曽我逸郎

靖国神社に関して(続き)


2009年6月14日

 はじめに、この小論に至る経緯を簡単に。

 中川村ホームページに長野県の戦没者遺族大会と戦没者追悼式に出席した際の感想を書き、賛否両方のご意見を頂いた。批判的ご意見については、靖国神社に関するものが多かったので、当HPの小論『靖国神社に関するやりとり』として掲出し、私の見解も述べた。先月さらに2通のメールを頂き『〜やりとり』の末尾に追加した。

 また、先日「東京の戦争遺跡を歩く会」の「平和案内人」長谷川順一さんに無理にお願いして、靖国神社を半日案内して頂いた。さまざまなことを現地で教えてもらったので、上記2通のメールへの返事も兼ねて、思うところを書いておきたい。


1)戦前、遺族は参拝できなかったか?

 『〜やりとり』の小論に掲載している12月26日の匿名の方からのメールには、こうあった。

戦前、遺族であっても國神社には参拝できません。特別の日だけです。神門は空いてません。
 長谷川さんは、「そんなことはない筈だ」と仰り、事情に詳しい靖国神社女性職員に確認して下さった。「朝から夕方まで自由に境内に出入りして参拝できました」との答え。「匿名」の方とは違う証言だったので、記載しておく。

2)鎮霊社について

 神社新報のOさんは、村ホームページに意見を下さり、鎮霊社について、靖国神社に祀られない「みたま」や外国人の「みたま」を毎年の例祭や毎日の祭儀で丁寧に祀っている、と書いておられた。「靖国神社は、天皇のために亡くなった兵士だけではなく、すべての戦争犠牲者を敵味方を問わず広い心で誰でも祀っている」と仰りたかったようだ。
 しかし、今回はじめて訪れてみると、「匿名」の方が「ケチなちっぽけな祠」と表現されたように、目立たない所に鳥居さえなく建っていた。2006年までは柵に外からの出入り口もなく、それこそ一般の人は近づけなかったそうだ。さほど立派な祠でもなく、神社新報のOさんの仰るほど重大な意義を込めてお祀りしているようには感じられなかった。少なくとも本殿との差は歴然だ。

 鎮霊社ができたのは、1965年。A級戦犯の合祀は1978年だが、それにずっと先立つ1966年の段階ですでにその祭神名表は靖国神社に送られてあったそうだ。鎮霊社設立とA級戦犯祭神名表の送付とはおそらく同時期。長谷川さんは、両者にはなんらかの関係があったのではないかと推察しておられた。

3)合祀の基準は、「天皇のために死んだ兵士」か?

 「匿名」の方は、靖国神社で祀るかどうかはもっぱら天皇の側で決める、靖国神社は「天皇の私祭」として捉えるべきだ、と仰る。

天皇の神社であり、天皇が認めた人間だけを祭っているからです。
 しかし、一方では、遺族が納得するか、喜ぶか、も問題にしておられる。
天皇と戦った南部藩士、会津藩士の死者を、靖國神社で共に祭って、会津藩士の遺族が納得しますか?第一、勤王軍と戦って戦死した会津藩士、南部藩士が喜ぶと思いますか?
日本軍に刺殺された支那人を一緒に祭ることを今の中国人が喜ぶと思いますか!?
 この発言は、上の「誰を祀るかは天皇が決めること」というご自身の主張と一貫しない。天皇が私的に決めることであれば、遺族の気持ちなど関係ない筈だ。そして、現実に、遺族の意向は考慮されず、合祀取り下げ要請があっても無視して合祀は続けられている。
 やはり、祀るかどうかは、原理的には天皇の意向によって決められているのだ。

 ところで、「匿名」の方は、こうも仰っている。

天皇と戦った者たちーこれを賊軍といいますが、(靖国神社が)彼らを祭ることはありません。
敵味方一緒に祭ったら、第二次の戦いが、靈同士で始まります。
 これは嘘だ。1864年の蛤御門の変で京都御所を攻めて死んだ長州藩士は、その数年後には靖国の神になっている。一方、孝明天皇の勅命を受けて門の警備にあたっていて殉職した会津藩士は、その時は合祀されずに50年たった後にようやく祀られた。賊軍が優先された挙句、最終的に敵味方が合祀されたことになる。靖国神社では、今も霊同士が第二次蛤御門の変を戦っているのだろうか?

 蛤御門の変においては、天皇のために死んだ兵士よりも、賊軍が優先された。どういうことか。合祀の基準は、本当のところは、天皇のために戦って死んだかどうか、ではない、ということになる。
 「匿名」の方はいう。「天皇の私祭である。祀るかどうかは天皇が決める」と。やはりこれが正解だ。そしてもっと正確に言えば、原理はともかく、実際の運用では、天皇本人というより、天皇の周りにいてその権威を利用する連中が自分達の都合で決めているのである。蛤御門の変では、時の政府(≒長州)が、天皇を攻めた長州藩士を神にし、天皇を守った会津藩士は神にしなかった。

 沖縄戦では、多くの住民が「米軍に情報を漏らすかもしれない」と怯えた日本軍に斬殺された。彼らは、戦後、援護法適用のため戦闘参加者とされて、靖国の神にされている。この犠牲者たちは「天皇のために戦って死んだ者」なのだろうか。(それに、斬り殺した兵隊も、斬り殺された住民も、一緒に靖国神社に祀られているケースも多い筈だ。靖国の同じひとつの座布団の上で共に安らいでおられるのか?)

 東条英機首相は、1944年の「陸密第2953号靖国神社合祀者調査及上申内則」で、合祀基準を厳格化し、合祀対象は原則、戦地において戦死・戦傷死した軍人・軍属だけに限定している。戦地以外の例外として認めているのは、「戦役に関する特殊の勤務に従事し負傷、病気の末に死亡した者」だけだ。戦地でないところで法務死したA級戦犯は、東条自身を含めて、東条の定めた合祀ルールには合致しない。まして、A級戦犯の中でも軍人・軍属でない文官は、東条ルールではまったく対象外だった筈だ。

 これら三つの事例から分かることは、合祀対象になるかどうかは死んだ時の状況によるのではなく、実際には合祀を決める時の、合祀を決める者の都合・思惑による、ということである。

4)A級戦犯合祀

 A級戦犯の合祀も、それを決めた者達が、自分達の政治的な目的・利害で実行したのである。そしてこれは、富田メモで分かるように、昭和天皇の意には沿わぬことだった。

 長谷川さんによると、A級戦犯を合祀してから、遊就館の展示は、一連の日本の戦争を「そうせざるを得なかったもの」と肯定するように変ったそうだ。それまでは、もっと平和よりだったという。以前の展示を知らないので、具体的なことは分からないが、そうだとすると、A級戦犯合祀は靖国神社の歴史観を変えたことになる。

 ただ、誤解のないように言わねばならないが、私はA級戦犯を切り出して分祀することには反対だ。A級戦犯分祀は表面的な体裁の取り繕いに過ぎず、かえって本当の課題を見えなくする。A級戦犯にだけ戦争責任があって、他は全員が被害者なのだろうか。そんな筈はない。
 中東情勢に詳しい記者の方から、イスラエル政府がパレスチナにあれほどのひどい行いをする背景には、国民からの強い圧力もある、という分析を聞いた。同じように、例えば三国干渉に憤る日本大衆の反応は、次の戦争に向かわせる圧力になった筈だ。国民にも、兵士にも、マスコミにも、A級戦犯にも、天皇にも、戦争責任はある。勿論分担する重みに大きな差があることは否めない。しかし、戦争にかかわった国民は、敵味方を問わず、誰もが被害者であると同時に、幼子は別にして、誰もが加害者だ。政府と大衆とが、打算や思い上がりや怒りや恐怖から、互いに尻を叩き責め合い、マスコミがそれをさらに煽りたて、時流は止められなくなり、戦争になだれ込んでいく。
 自分達国民は単なる被害者だと思いなし、何の反省もしなければ、また同じように集団的憎悪で武力に手を出すことになる。A級戦犯に罪を負い被せて、自分は被害者の座に安住していたのでは、また同じ間違いを繰り返す。戦争に向かわせる危険な打算や思い上がりや怒りや恐怖や憎悪といった執着が、自分の内奥でいつもちろちろと蠢いていることを、我々は常に自覚せねばならない。A級戦犯の分祀は、その自覚の障害となる。

5)「天皇を守る軍」は変遷する。(昭和天皇の戦後戦略)

 蛤御門の変では、天皇を攻撃した賊軍が先に靖国の神にされた。この背景には、その前後に天皇を守る軍が徳川幕府から薩長に移ったという事情がある。

 考えてみれば、天皇という制度は、日本の歴史を一貫して時代の節目のたびに、弱体化した古い権力を捨て去って新興勢力に乗り換えることで延命してきた。明治維新もしかり。会津は、その中で使い捨てられた側のひとつだ。

 このような伝統を受け継ぐ昭和天皇は、「神国日本」が外国軍隊に全面降伏し占領されるという未曾有の事態にどう対処し、どう延命を図ったか。それは、先の小論で紹介したとおり『昭和天皇・マッカーサー会見』(豊下楢彦・岩波現代文庫)で精緻に追跡されている。昭和天皇は、東条英機をはじめとする旧帝国陸海軍を捨て去って、鬼畜であった筈の米軍に乗り換え、米軍によって天皇制と三種の神器を守っていくという戦略のもと、マッカーサーやダレスに接触・工作した。
 (そもそも無条件降伏を受諾した理由は、臣民を慮ってというより、沖縄を捨て駒にして連合軍と差し違えさせて打撃を与え敵の厭戦機運を高めることで、天皇制を維持したまま停戦に持ち込むことを狙っていたものの、沖縄を奪われ原爆を落とされて、次は伊勢・名古屋に上陸されるか原子爆弾を投下され三種の神器のひとつかふたつを略奪または破壊される事態を恐れたためである、そういう説を聞いたことがある。
 ともあれ、天皇制と三種の神器を駐留米軍によって守るという戦略は、沖縄を始めとする現在日本各地の在日米軍基地問題に直結している。)

 昭和天皇のこの戦略の中で、靖国神社は、本当のところでは、旧帝国陸海軍ともども旧権力の側のひとつとして、既に捨て去られているのではないだろうか。靖国神社は、今やいうなれば会津藩の立場なのだ。靖国神社ばかりではない。極論してぎりぎりの核心まで突き詰めて考えれば、昭和天皇は、天皇制と三種の神器を守るため、日本国・日本国民よりも米国軍産複合体に頼ろうとした、とも言えるのではないか。例えば、かつてのイランのパーレビ国王のように。

 この戦略においては、米軍との戦いを主導したA級戦犯を神として顕彰したり、「ルーズベルトの策略に嵌められて戦争せざるを得ない状況に追い込まれた」などと主張することなどはあってはならない。昭和天皇の戦略は、米軍に磐石の態勢で駐留させ天皇制を守らせることなのだから、米国政府の機嫌を損ねるわけには行かない。富田メモは、戦略の足を引っ張られた昭和天皇の苛立ちの発露だ。

6)もはや、愛国と天皇主義とは両立し得ない。

 昭和天皇発案の米軍による天皇制護持の戦略は、日本という枠をはみ出し、日本という枠を突き破ってしまっている。今や天皇主義はパックス・アメリカーナと結合しており、それはすなわち米国軍産複合体に従属することにならざるを得ない。日本には日本にふさわしい独自の道がある、とする愛国運動は、必然的に反米自主となるしかない。もはや、愛国と天皇主義とは両立し得ない。どちらか片方しか選べない。軍事力で米国に対抗するのは不可能であるから、残された愛国の道は、世界の市民と連帯し、世界の良識の側に立ち、非軍事的手段で、平和で安定した世界の中で自国民が充実した生に取り組める環境を実現する他はない。これこそが敗戦後日本における愛国のあり方だ。

 ところが現状の日本はどうだろう。
 A級戦犯からCIAのエージェントとして首相になった男が締結した新安保条約にすがり続ける国。
 口先では唯一の被爆国として核廃絶を希求するとか言いながら、米国の核の傘にすがる国。
 国民には非核三原則を言いながら、核兵器持込の密約で米国には自由にさせつつ、密約を否定し続ける国。
 「重要案件以外は日本側は第1次裁判権を放棄する」と密約を交わし、そのとおりほとんどの米兵犯罪を放任したまま、国民に白を切り続ける国。
 財政再建のため国民のセイフティネットは切り捨てながら、米国のコントロール下でなければ機能しない兵器、自分の考えるままには使えない兵器を高い金で買い続ける国。
 莫大な「思いやり予算」を毎年増額して貢ぎ続ける国。
 先日、元読谷村長・参議院議員の山内徳信さんのお話を伺う機会を得た。「普天間飛行場の返還のために辺野古を埋め立てて代替施設を建設すると言うが、辺野古で計画されている基地の機能は、普天間とは異なる。代替ではない。要らなくなった基地を捨てて、新しい基地を造ろうとしているに過ぎない。代替と思わされてはならない。」といっておられた。
 米国の意向に沿って、自国の若者を米国の戦場で下働きさせる国。

 これではそのまま占領下の属国ではないのか。そうだとしても、昭和天皇の戦略に適うことだから、それでいいのか?

 尾方さんのように、強力な軍隊によって国を守るべきだと主張する人たちは、どう思っておられるだろうか。守るべきとおっしゃる国は、そもそも既に実質的に支配されているのではないか。イージス艦だ、ミサイル・ディフェンスだ、F22だと騒ぎ立てるのは、国を守るどころか、支配される状況をより強固にしているだけではないか。軍備増強論者は、愛国的どころか、売国的であると思う。
 日米安保が、売国的である事例。09年6月22日の東京新聞の記事(共同配信)

7)靖国神社の財政状態 今後のあり方

 神社に向かって右手奥、神とする魂を招き降ろす場所であった招魂斎庭は、何の変哲もない単なる賃貸駐車場となっていた。「神聖なる招魂斎庭をなんたることか!」という非難の声もあるそうだが、長谷川さんのお話では、各地の遺族会・戦友会が高齢化し沈滞して、経済的支援も細まり、靖国神社の財政は苦しく、背に腹は代えられないのだそうだ。

 国は勿論、皇室からも幣帛などは別にして、金銭的な支援はない。政教分離というルールも勿論あるだろうが、それ以上に根本的理由は、上に述べたように、昭和天皇の戦後戦略によって靖国神社が旧帝国陸海軍もろとも捨て去られている、という点にあろう。

 遺族会・戦友会に頼っても先細りは目に見えている。では、どうすればよいのか。

 やはり、村のHPに書いたとおり、戦死者を、顕彰ではなく、純粋に追悼する施設に生まれかわることだと思う。戦争を美化するのではなく、その愚劣さ、むごたらしさを直視する場になることだ。我々人間の誰もが備えている、怒りや恐怖や差別心が、自動的反応であり、操られやすく、暴走すればどんなことをしでかすか、どれほど危険なものであるのか、善良だった青年が戦場に放り込まれて、どういう反応パターンになるのか、そういったことを自覚し、自分自身に警戒せねばならないことを学ぶ場所に、靖国神社はなれないだろうか。

 世界には多くの戦争記念施設がある。しかし、おそらく二つのタイプしかない。自分達の英雄的戦いを誇り伝えるものと、自分達の悲惨な被害を語り継ぐものと。
 けれども、本当は、過去を残すことよりも、現在・未来の戦争の危険を自覚し、その芽を摘むことのほうがずっと重要だ。芽は私たちの中にある。怒り、妬み、不安、人を見下す思い上がり、自己陶酔、武力で事を済ましてしまおうとする性急な安直さ。そういったものを、自分自身の中の危険な因子として、時代や人種や宗教や階級を超えて人類すべてに内在する危険として提示する戦争記念施設。遊就館は、そういう展示をして欲しい。世界になかったはじめての存在に靖国神社はなりうるのではないか。そうなるために生かせる過去を、靖国神社はもっている。

 そうなれば、A級戦犯も合祀したままでいい。愚かな間違いを犯し、自ら苦にまみれたのだから。祀られている誰でもが、自分達の弱さ、愚かさを制御できなかった時代の、加害者でもあった被害者として、追悼される。
 (但し、家族の合祀を止めてほしいという遺族の要求には応えるべきだ。)

 日本国首相も、各国の指導者も、庶民も、あらゆる人が訪れるだろう。天皇ですら、参拝するかもしれない。この新しい靖国神社であれば、米軍による天皇制護持という戦略に、今ほど真正面から敵対するものにはならないであろう。  ともあれ、自らの内なる危険性に向きあうことは、誰にも必要なことだ。そして、世界唯一のユニークな意義を持ち、多くの人が訪れるとなれば、経営的にも展望が開けてくるに違いない。

8)尾形 仁さんの二通目に対して

 尾形さんは何度も「常識」と主張しておられる。

・国家や民族のためなら、個人の命を犠牲にする…、それが世界の常識
・戦争に負けない国家を作る。それが世界の常識
 しかし、尾形さんの「常識」は、はたして常識的だろうか。

 国民を飢餓に苦しませて核武装する北朝鮮や、莫大な維持費を要する空母を建造する中国を、常識ある国と評価しておられる。自爆テロは愚かではないとし、肯定的に考えておられる。
 核武装にせよ、空母建造にせよ、自爆テロにせよ、そんなものはかえって戦争の危険を増す、苦を増やす、なんとか平和裏に安全を守ることを考えるべきだ、というのが常識ではなかろうか。
 戦後日本は、一旦は世界に先駆けてその決意を憲法に定めたにも拘らず、その努力をまったく怠り、戦力に頼らずに安全を維持することは想像すらできず、安直に米国の軍事力にすがってきた。

 尾形さんは、スイスの「民間防衛」の本に繰り返し言及しておられる。未だこれを読む余裕を持てていないのだが、尾形さんのような「軍備を強化せよ」と主張する人たちに対しては、かねてから疑問がある。現状の日本をどう評価しておられるのだろうか。現状の日本は米国支配下の属国である、とは考えないのだろうか。先に書いたように、米軍のシステム・ネットワーク下でなければ機能しない、修理補修も消耗品調達もソフト更新もすべて米国に牛耳られた米国製兵器で軍備増強することは、米国による支配を増々強めることだ、とは考えないのだろうか。

 あるいは、米国に頼らない自主独立の軍備を模索しておられるのか。イランや北朝鮮のように…。しかし、それではアジアのすべての国を敵にすることになるだろうし、米国が許さない。第一、米国を始めとする各国に対抗できるだけの軍備を構築するのにいくらいるのか。実現不可能なコストだ。

 結局のところ、消去法でしかない。残る選択は、憲法で腹をくくったとおりに、軍事力によらず、その他のあらゆる努力を総動員して、国民の安全を守るしかない。その努力は、世界に範を示すことになるだろう。世界の市民の尊敬を集めることになるだろう。夢物語ではないはずだ。硝煙の匂いが絶えることのなかった米国の裏庭、中米において、コスタリカは、軍備を全否定していないように読める憲法にも拘らず、軍備はもてないと「解釈」し、非武装と外交による安全保障の実績を積み重ねている。(『丸腰国家』安達力也 扶桑社新書、参照)

 「常識」や固定観念にとらわれず想像力をもって、安全保障のオプションを広く虚心に検討すべき時だと思う。
 道理を深く掘り下げ、それを高く掲げ、各国政府のみならず世界市民に示し、憲法に定めるとおり軍事力を放棄し、情報収集力・分析力、そして外交力を磨き、コスタリカなど志を同じくする国、あるいは有効な軍事対抗力をもち得ない小国等と非軍事的な安全保障条約を結び、国際世論に一致して訴えて、互いに防衛しあう。そんなこともあり得るのではないか。軍事力を保持することが恥ずかしく思える世界をつくる、その先頭に日本が立てれば、すばらしいのだが…。

ご意見お聞かせください。

小論集リストへ戻る  ホームページへ戻る  意見を送る soga@dia.janis.or.jp