曽我逸郎

《無常=無我=縁起と精進,はからい。親鸞を手掛かりに》


2006年9月18日

 親鸞について勉強してみた。親鸞の他力や自然(じねん)の考えを材料にして、釈尊の教えである無常=無我=縁起と精進とが両立し得るのか、両立し得るとすればどのようにしてか、もう一度検討したいと思ったからだ。

 無常=無我=縁起も精進も釈尊が説いておられることであるから、改めて両立し得るか、などと問うことは、奇異に聞こえるかもしれない。しかし、我々が無我であり縁によって起こっているのであれば、100%受動的反応であることになり、主体性などあり得ないことになる。それでも精進は可能なのか? これが私の問題意識である。

 これまで私は、日本の仏教についてほとんどまともに学んでこなかった。今回の親鸞が初めてのようなものだ。しかも、その向き合い方は、素直に学ぼうとするのではなく、上に書いたとおり、自分の課題を考える手がかりとして親鸞を利用し、刺激をもらおうという魂胆である。従って、「親鸞の教えに沿って考えていない」といったお叱りを受けるかもしれないが、親鸞の教えをそのまま理解しようとしている訳ではないので、ご容赦願いたい。ただ、とんでもない勘違いをしていたら(多分していると思う)、ご指摘いただければうれしい。

 今回親鸞を考えるにあたって読んだ本等を挙げておこう。
  「無宗教からの『歎異抄』読解」 阿満利麿 ちくま新書
  「インターネット持仏堂」 釈徹宗 内田樹 http://www.tatsuru.com/jibutsu/html/
  「非戦と仏教」 菱木政晴 発行:白澤社 発売:現代書館
  「親鸞[決定版]」 吉本隆明 春秋社
  「歎異抄」 梯實圓解説 本願寺文庫
  「教行信証入門」 石田瑞麿 講談社学術文庫

【 雑感 】

 私の問題意識に関する考察は後にして、先にまず、全般的な雑想から書いておこう。

 第一印象として、親鸞は一筋縄ではいかない人だ。何をどう考えているのか、なかなか竹を割ったようには腑に落ちない。

 その人となりについて想像すると、欠点の見えすぎるシニカルな人だったのではないだろうか。叡山についても、その修行の馬鹿馬鹿しさが目に付いて仕方がなかったのだろう。だから山を下りた。しかし同時に、鋭すぎる目は自分自身にも向けられ、自分の駄目さ加減も見えすぎるほど見えていた。自信と自己嫌悪が混ざり合った複雑な人だったのではないかと想像する。

 親鸞が他力思想に至ったのは、消去法だったのではないだろうか。これも駄目、あれも違うと捨てていって、最後に残った唯一の可能性が、法然の他力思想だったのだろうと思う。最後の望みの綱である他力思想を様々にテストし突き詰めていく中で、親鸞の思想は先鋭化し、法然を越えて独自の高みに登り詰めた。

 しかし、率直な疑問がある。果たして親鸞は、弥陀、浄土を本当に信じていたのだろうか?

 「馬鹿なことを言うな!」と、お叱りの声が聞こえてきそうだ。しかし、私には、親鸞が弥陀・浄土を素朴・純粋に信じていたようには感じられないのである。

 素朴・純粋に、というのは、妙好人のように、という意味だ。親鸞は、妙好人ではなかったと思う。親鸞は、賀古の教信沙弥という人に憧れていたそうだ。教信沙弥は、「西には垣もせず、極楽と中をあけあはせて、本尊も安ぜず。聖教をも持せず。…つねに西に向て念仏して、其余は忘れたるがごとし」(『一言芳談』)といった人だったというから、一種の妙好人だったのだろう。それに憧れていた親鸞は、そういうあり方を理想としつつ、そうはなれない自分を口惜しい思いで見つめていたのだろうと想像する。

 妙好人については、もう10年以上前に、鈴木大拙『妙好人』(法蔵館)を読んだだけであるが、そのときの印象は、易行どころか難行中の難行、妙好人というあり方は、極一部の人格的に恵まれた人だけに可能な例外的あり方で、特に私のようなひねくれものには絶対に不可能だと感じた。
 妙好人は、弥陀・浄土を素朴・純粋に信じているのだが、そこには微妙な一面もある。弥陀の慈悲への信頼があり、弥陀の本願に摂取されて正定聚となったという安心もある一方、救われても救われなくてもどうでもよいという、すべてお任せする手放しの感覚もある。自力のはからいがないだけではなく、救われたいという願望までがなくなっている。
 すべて投げ出して預けてしまう心地よさは、私もオートバイ事故の後、手術台で麻酔を受ける時に二度ほど感じたことはあるが、妙好人は、一生その状態なのかもしれない。

 このような妙好人と対比すると、親鸞の信は、理屈っぽいと感じる。
 「こんなどうしようもない私が、浄土の教えに触れる縁を得られたのは、弥陀の慈悲の本願に因るとしか考えられない。」
このような「としか考えられない」「違いない」「筈だ」といった論理によって、親鸞の信は成立しているように思える。
 勿論、その論理は、するすると一直線に縦に展開する論理ではない。横ざまに飛躍した非論理的論理であり、いわば横超の論理だ。「不合理ゆえに我信ず」とも言うべき、「不思議・難思議を信じるしか道はない」といった切羽詰った論理である。

 教行信証では「歓喜地」を説きながら、弟子には「踊躍歓喜」の心の起こらぬことを吐露している(歎異抄第九条)。「喜ばないのは煩悩のせいであり、弥陀の悲願はこういう煩悩具足の凡夫のためだと知られて、ますますたのもしく思われる」と続けているが、これは理屈としか思えない。信につながる理屈ではあるが、、、。
 親鸞は、自分の信が理屈の信であることに不満を感じながら、弥陀の本願がもっとはっきりと、いつか偶(たまたま)自然(じねん)に届いて、歓喜地に立ち、理屈ぬきに直接弥陀の慈悲を実感して、教信沙弥のようになることを心待ちにしていたのではないだろうか。

 親鸞には、安直な宗教家にありがちな宗教的体験の形跡は希薄である。弥陀に出会ったとか、声を聞いたといった記述はない。親鸞だけではなく、浄土教の全体的傾向なのかもしれない。浄土思想の場合、弥陀の本願を信ずるといっても、そういった直接的な弥陀との出会い体験によって、というケースはあまりなさそうだ。苦行や瞑想といった非日常的なことをしないから、そのような神秘的超常体験がないのかもしれない。であるなら、妙好人であれ、その信は、直接的な信というより、言葉による信なのであろうか。だとすれば、親鸞も妙好人と同じあり方で弥陀・浄土を信じており、ただ親鸞は、頭がよくて論理的に語れる妙好人だったのだろうか。説法が自分の役割と自任して、自力の徒を改めさせるため、敢えて理屈によって語ったのだろうか。

 ただ、私には奇妙に思えるのだが、親鸞は、弥陀に対しては節度を保ち、出会ったとか声を聞いたとか言わないのに、聖徳太子の夢告げは何度か受けている。しかも、法然に教えを請うきっかけとなるなど、それが重要なターニングポイントになっている。聖徳太子は比較的身近だから出会えるが、弥陀は直接体験できないほど超越的ということだろうか。
 妙好人は、真宗において、理想的なあり方なのであろうと思う。ただし、教義上、妙好人になることが究極の目的ではない筈だ。目的は、あくまで弥陀の本願を信じて、摂取され、穢土(この世)で死んだ後、浄土に生まれ直させてもらい、そこで修行して仏になること。妙好人は、弥陀の本願に摂せられ信を得た結果付随的にもたらされた、いわばオマケのあり方であるに過ぎない。
 しかし、ひねくれものの私としては、妙好人となることこそが真の目的であり、弥陀も浄土も、実は壮大な方便ではないか、とも思ってみたりする。というのは、妙好人の執着のなさは、それほど徹底しており、浄土に生まれ変わらずとも既に救われているように思えるからだ。

【 はからいは凡夫の自然 】

 とりとめのない雑感はこれくらいにしておいて、私にとって肝心の課題、無我=縁起と精進について考えてみよう。

 親鸞は、精進を、自力のはからいとして否定している。努力すること、自力ではからうことは、弥陀の本願を100%信じていないことであるから駄目だ、というのがその理由だ。

 今回親鸞に関する本をいくつか読んで一番関心を持ったのは、越後から東国へ移る途中のエピソードだ。三部経千部読誦を企てたが、「名号の他になんの不足があるか(三部経千部読誦など要らぬはからいだ)」と気づいて途中でやめた、という(恵信尼消息)。「執心、自力の心にはよくよく気をつけねばならない」と親鸞は言うのであるが、これは少し行き過ぎのように感じられた。

 はからいをなくそうと努めることも、はからいではないのか。凡夫は、自然(じねん)にはからってしまう。儲けよう、名を挙げよう、悟りを開こう、、、などなど、様々にはからうのが、凡夫の自然だ。弥陀は凡夫を救う、というのであれば、はからう凡夫こそが救われねばならない。

 涅槃経などの経典が、五逆、誹謗正法、一闡提を救いの対象から除くのに対して、親鸞は、それらをも(or それらこそ)弥陀は救う、と説いた。これは、弥陀の慈悲の大きさを説く大きな一歩である。それは間違いない。しかし、弥陀の慈悲が真に大きなもので、全然だめな凡夫を救おうとするのであるなら、自力ではからい努力するものも、弥陀の慈悲を信じないものも、単なる執着の固まりも、仏教に縁のない異教徒も、すべて分け隔てなく救いとるのではないだろうか。

 確かに理屈はそうだが、しかし、ここまで拡大してしまうと、宗教として成り立たなくなる。どんな人でも、弥陀の名も仏教も聞いたことのない人でも、執着の固まりも俗物の極みも、まったくそのままでOK、救われる、ということになってしまう。この矛盾は浄土教だけのものではなくて、絶対的救済者の慈悲を拡大していけば、必ず陥る矛盾だ。そうならないためには「弥陀の本願を信じること」であれ「名号を唱えること」であれ、救済になにか条件をつけなければならない。しかし、そうすると救済者の慈悲に限界を付け矮小化することになってしまう。
 この矛盾は、衆生の努力・精進を否定し、救いの根拠をすべて救済者に委ねてしまうところから発生するのだと思う。

 では、浄土の思想は、なぜ救いの根拠を凡夫から剥奪するのだろうか。

 釈尊から遠く隔たった末法の世だという認識のため。末法の世の穢土においては、人間(自分)は、徹底して執着の固まりであり、自分のことしか考えない、修行も立派に成し遂げることはできない、そういう自覚の故だろう。徹底して執着の固まりであり、いかに精進しようが、執着をなくすことはできない、修行を完成することは不可能だ、と考えている。だから、まず一旦とりあえず浄土へ生まれ変わり、よい環境で修行を完成し、執着をなくして、仏になろうと考える。

 確かに、凡夫は、凡夫のままで執着を滅することはできない。修行を完璧になどやり遂げられないというのも、そのとおりだろう。しかし、そんなことを釈尊は凡夫に求められただろうか。
 ここには、順序に誤解があると思う。凡夫がまず修行を成し遂げ、執着をなくし、そのことによって、その結果、仏となるのだろうか。

 釈尊の教えは、無常=無我=縁起だ。無常=無我=縁起がくっきりと分かること、世の中の諸々、なにより自分自身が、無常=無我=縁起しているさまがありありと見えるようになること、それが、仏になる、ということだ。
 修行は、何かのプログラムを成し遂げることが目的ではない。無常=無我=縁起を自分のこととして納得できることが修行の目的だ。無常=無我=縁起に気づき納得するために修行するのであって、修行の完成度を上げるために修行するのではない。修行の完成度にこだわって、修行をあきらめるなら、本末転倒だ。
 執着についても、八正道に、執着をなくせ、という項目はない。三学(戒定慧)にしてもそうだ。戒は、個々の具体的禁止事項の列挙であり、執着一般をすべて滅ぼせとは言っていない。戒は、「100%守らないと次のレベルに進めない」といったものではない。戒は、凡夫に対しては、修行に集中できる落ち着いた状況をつくるためのアドバイスだ。執着をなくすことによって仏になるのではなく、仏になると執着は勢いを失い次第に衰えていく。執着の滅は、仏になったことによる結果であって、その逆ではない。

 では、なにが手段か? 八正道であり、三学である。そして、八正道には、正精進が含まれる。つまり、釈尊の教えを腑に落ちるところまで確認して納得するためには、凡夫の精進=努力=はからいが必要なのだ。

【 無我なる縁起の現象に、いかにしてはからい=努力が起こり得るか 】

 長々と書いてきて、ようやく最初の問題意識に辿りついた。凡夫の精進=努力=はからいが必要である。ならばしかし、縁によってそのつど起こっている無我なる反応である我々凡夫に、それがどうして可能なのか? 縁起であり無我であれば、主体(=アートマン)などはあり得ず、よって主体性などあり得ないのに…?

 シンプルな答えが可能だ。「精進=努力=はからいもまた、縁によるところの無我なる反応であるから。」

 我(独立自存の主宰者アートマン)がいて、それが主体的に精進=努力=はからいをするのではない。そのつどの縁に応じて、自動的に腹を立てたり、がっかりしたり、なまけたり、欲を出したり、はからったり、努力したり、我慢したり、精進したりする反応が起こる。色身という場におけるそういったそのつどのさまざまな反応が、私という現象である。

 はからいを誘う縁に会えば、反射的にはからってしまうのが、凡夫という反応の自然(じねん)な反応だ。親鸞でさえ、ふと思わず三部経千部読誦を企ててしまったりする。

 執着、努力、発心、精進といった反応が発生してきた道筋を大雑把に考えてみよう。またいつもの進化論モドキで恐縮である。

 あらゆる生物は(大腸菌も)、千変万化する環境の中で生き抜こうともがき足掻く(ホメオスタシスを維持せんとする)。このもがき足掻き反応こそが生命だ。ひとつひとつの変化が縁となり、それらに対応するもがき足掻き反応を引き起こす。(原初的なもがき足掻き反応は、人間においても、厳然と残っている。例えば、熱いものに触れたときの反射反応などがその例で、脳を必要とせずに起こる。)
 そして、進化の段階に応じて、もがき足掻き反応は、条件反射による学習や、経験の記憶、記憶を様々に連結して検討・分析する反応などへと、分化発展していった。

 小賢しく知恵のついたホモサピエンス(=凡夫)においては、もがき足掻き反応は、執着の反応に展開する。執着は、生命共通の本源的なもがき足掻き反応が発展・進化したものだ。執着とは、もがき足掻き反応が小賢しくなって、様々な現象をカテゴリーで<いつも化>し実体視し対象化し、それらに自ら貼り付けた固定化した価値に応じて、それらを保持しよう、獲得しよう、あるいは排除しようとすることであるが、執着は人間だけの特異な反応ではなく、生命そのものであるところのもかぎ足掻き反応が展開したものだ。

 種としての進化のみならず、個体としても、経験を積むにつれて、凡夫は、ますます小賢しくなり、損得の計算に長け、目先の損をしても将来のより大きな得(執着の対象)を取ろうとするようになる。もっと先を読もうとし、もっと大きな得を目指すようになる。
 しかし、どれほど賢しくなり、計算高くなっても、結局のところ執着は満たされない。一時的に満たされても、執着はたちまち退屈に変り、より大きな執着を生み出す。予測不能なカオス的世界において、計算どおり事は進まず、執着は往々にして挫折する。万一目論みどおりいったとしても、有限な我々は、無限の執着を消費できない。あるいは、特に目立った事件がなくとも、執着の反応がより計算高く長期計画的に改変されていくうちに、執着が本当に得をもたらすのか、意味があるのか、という根本的な疑念が生まれ、それが徐々に育ってくる場合もある。
 いずれにせよ、執着はやがて必ず破綻する。

 その時、二種類の反応があり得る。
 ひとつは、新たな執着の対象を立ち上げ、その獲得を目指してはからい努力すること。(A)
 もうひとつは、執着する自分の反応に根本的な疑問を持ち、それとは異なるあり方を模索することだ。(B)

 一応(B)は、宗教的発心と呼ぶことができそうだ。しかし、(A)は世俗的で、(B)は宗教的だと単純にいえるだろうか。両者の違いはそれほど単純ではない。(A)として超越神を求めることも、世間では宗教だと言われている。また、(B)も、執着しないあり方への執着でないのか。
 つまり、言いたいことは、宗教的発心も、執着の対極ではなく、執着のひとつのバリエーションであり、はからい=努力の一種であり、もがき足掻き反応の発展型だということである。精進もまた、発心の持続であるから、同様に捉えることができる。

 しばしば、「覚りを求めることも執着だ」といった言い方がなされる。それは、そのとおりだ。しかし、そのことを理由に、発心や精進が否定されてはならない。発心や精進は、執着が生まれてくる仕組みが改変されるために必要なことだからである。
 発心も精進も、執着やはからいと同様に、もがき足掻き反応の発展型であり、縁によって起動される無我なる自然(じねん)な反応である。従って、無我なる縁起の反応である我々凡夫にも、発心や精進は起こり得るのである。
 ただし、再度念を押しておきたいことは、「我(主宰者アートマン)」が発心しようとして発心したり、精進しようとして精進するのではない。あくまで受動的な、縁に起動される反応だ。
 しかし、発心はともかく、「精進・努力が、主体的ではなく、受動的反応だ」という主張は、なかなか納得してもらえないだろう。その点については、もう少し説明が要る。

【 ノエマ自己:反応パターン改変の仕組み 】

 無我=縁起といっても、我々は、風に舞う枯葉あるいは淀みに浮かぶ泡沫のように、外からの力だけで動かされているのではない。縁による反応がまた縁となってふさわしい次の反応を起動していく複雑精緻な仕組みがある。色身という場所において、そのつどの縁は、精妙なドミノ倒しのように次々と反応を起動し、総体としてひとつの大きな反応が起こる。その反応こそが、我々である。その反応の仕方は、基本的には遺伝子によって決められているが、同時に過去に起こった反応とその結果とによって学習が蓄積され、それによっても反応パターンが形成される。すなわち、反応パターンには、過去の反応とその結果の蓄積が反映されている。言い換えれば、新たな反応が起こるたび、その反応とその結果が良かったか悪かったかによって、そのつど反応パターンは僅かに、時には大幅に改変されている。

 このような学習に加えて、我々凡夫(ホモサピエンス)には、さらに積極的に反応パターンを改変する仕組みも生まれた。自己を対象化し、<いつも化>して、「ノエマ自己」を実体視する反応である。

 ノエシス・ノエマ自己と聞いて、以前から私のホームページにお付き合い頂いている方は、「またか」とうんざりされているかもしれない(すみません)。そうではない方のために、簡単に説明させて下さい。
 ノエシス・ノエマは、フッサールの現象学の概念だが、私自身はフッサールは読んだこともなく、木村敏の本から学んだ。その上自分の解釈で勝手に使っているので、本来の意味とは違っているかもしれない。
 ノエシスとは、縁によってそのつど起動される私という反応のことである。
 フッサールにおいては、ノエシスは意識の志向作用とされているが、私の場合勝手に拡張して、意識だけでなく、すべての反応を含めてノエシスとしている。
 ノエマとは、ノエシスによって意識の対象として立てられるものである。
 ノエシスがそのつどの反応であるのだから、ノエマも実際はそのつど立てられている。しかし、意識においては、そのつどの現象がその一回性のまま捉えられることは非常に稀で、ほとんどの場合、一回的現象は、クオリアによってカテゴリー分別され、<いつも化>されて、「変らずにそこにある実体」として実在視される。
 ノエマ自己とは、上記のような仕方で、「変らずにいつもちゃんといる私」として実体視され構想された自己像である。ノエマ自己は、たまに対象化された時にだけ、つまり途切れ途切れに間隔を置いて構想されるのであるが、その際には持続的実体として構想されるので、ノエシスが志向しない間もずっと実在しているかのように思い込まれてしまう。
 構想の産物であるノエマ自己を守り育てようとする自動的反応(これもまたノエシス)が、我執(パーリ語:ahaMkAra)である。
 我執は、千変万化する状況に対して、すぐさま自動的にとりあえず有利な反応を引き起こし、生存競争に役立った。
 その時々の縁によって、その時々の様々な反応(ノエシス)が起こるが、それらの中に、以前の反応(ノエシス@)とその結果とを縁として、その反応(ノエシス@)を対象(ノエマ自己T)として捉える反応(ノエシスA)が混ざってくるということだ。日常の普通の言葉で言えば「反省」である。ノエシスAとノエマ自己Tが縁となり、過去に蓄積されたさまざまの経験も縁となり、ノエシスBが縁起し、ノエシスBは、可能で新しい反応パターン(ノエマ自己U)を構想する。ノエマ自己Uは、蓄積されそれ以降の反応(ノエシス)の縁となり、以降の反応(ノエシス)になにがしか(時には大きな)影響を与える。
 すなわち、ノエマ自己を構想すること(「私がいる」と思い込むこと)は、我執の反応の起動装置であるとともに、反応パターンが改変されていくための仕組みでもあるのだ。

 ところで、反応(ノエシス)を引き起こす縁はさまざまであり、いつも同時にたくさんの縁が押し寄せている。それらのうちいくつかの縁がクオリアの網にかかり、反応(ノエシス)を起動するのだが、しばしば、両立し得ない反応を引き起こす互いに競合する縁が、同時にやってくることがある。その場合、それらの縁は、色身という場所においてどちらが反応(ノエシス)を引き起こすか、しばしせめぎあう。

 ノエマ自己による縁は、かならず他の縁と競合する。これまでとは違う新しい反応(ノエシス)を起こす縁だからだ。新たなパターンの反応(ノエシス)を起動しようとするノエマ自己の縁は、従来どおりの反応(ノエシス)を引き起こそうとする縁と、せめぎあう。このせめぎあいにおいて、ノエマ自己が縁となって導き出す反応(ノエシス)が、努力である。
 見事新しいパターンの反応(ノエシス)が発生し、その結果も望ましいものであれば、ノエマ自己による縁は強化される。これが繰り返されると、ほとんど努力なく、新しい反応パターンが自動的に起動されることになる。古い反応パターンは、消失してしまうわけではおそらくないが、ほとんど機能することがなくなる。

 現実にはもっと細密なステップを積み上げて反応(ノエシス)は起こっているはずだ。上に書いたことは、極めて荒っぽいデッサンに過ぎない。

 親鸞を手がかりに、と言いながら、結局肝心のところでは親鸞とはあまり関係なくひとりで暴走してしまった。親鸞どころか、仏教的でさえない、いつもながらの表現になった。無常=無我=縁起を突き詰めて考えようとするとき、私はいまだに仏教の伝統的な言い回しで語る方法を見つけ出せていない。親鸞は理屈っぽいなどと言いながら、それ以上の屁理屈をこねてしまったとも感じている。

 しかしながら、無常=無我=縁起であっても、否、あるが故に、しかるべき縁によって努力・精進を自然(じねん)に行ってしまうことは、なんとか示せたのではないかと考えている。
 また、私たちとはこういう現象であり、釈尊が無常=無我=縁起という教えで説いておられることも、実はこういうことだったと思っている。

【 釈尊の教えを、よき縁として広めること 】

 目論んだことは、なんとか書けたように感じているが、もうすこし考えておきたいことがある。

 上記を踏まえて、釈尊の場合と我々の場合の違いを考え、我々にとって重要なことを確認しておきたい。

 まず釈尊の場合を考えよう。釈尊において、発心、精進、成道が起こったのは、どのようにしてだったのだろう。

 言うまでもないことであるが、釈尊もまた、そのつど縁によって起こされる無我なる反応(ノエシス)であった。神格化して、永遠性を付与したり、実体視することは、その教えに背く。だから、この小論で述べたことは、釈尊にも当てはまる筈だ。

 釈尊もはじめは凡夫であった。それまでに培われてきた執着の反応パターンでそのつどの縁に反応する反応であった。反応するたびに反応パターンは微修正されてきたが、当初は根本的な改変はおこらなかった。しかし、ある時、その反応パターンが機能し得ない事態に直面した。あるいは、執着の反応パターンがより洗練されより長期を見通すものになっていくうち、執着の対象が本当に得をもたらすのか検証されていき、やがて執着そのものに疑念が生まれ、抑えがたいものに成長していった。いうなれば価値全般への疑念が生まれた。

 いずれにせよ、執着の反応パターンが破綻する事態に至り、それになんとか対処するため、新しい反応パターンを構築すべく、もがき足掻き反応が起動した(発心)。

 新しい反応パターンを模索するもがき足掻き反応が繰り返しさまざまに起動し、実験や、観察や、比較や、考察など、さまざまな反応(ノエシス)が継起するうち、ついに、たまたま(偶)、無常=無我=縁起という事実が発見された。

 この時、様々な問題は、一気に氷解したに違いない。

 「自分は縁によって継起する現象・反応であって、守るべき実体(アートマン)などではない。目指すべき価値もないし、そんなものを必要ともしていない。このことに気づかず、守るべき自分があると考え、現象を価値ある実体と考えて、それを守ろう手に入れようと争い、我執の反応を繰り返してきた。無いものをつかもうとこぶしに必死に力をこめていた。その結果、自分と人を苦しめていた。なんと愚かであったことか。
 なすべきことは、ただ自分の反応をよく見て、執着によって自動的に苦をつくっている反応のパターンを苦をつくらぬものに丁寧に改変していくことだ。」

 これが釈尊において起こったことだ。では、我々はどう違うのか。
 我々には、釈尊の教えがある。釈尊が気づき、教えとして残して下さったことが、我々の縁となる。タイミングよく教えに触れたとき、教えが縁となり、発心を引き起こす。精進を引き起こす。我々の場合は、釈尊と違い、完全に偶(たまたま)ではない。これは大きな恵みだ。

 これまで何人もの仏弟子たちが釈尊の教えを伝えてきてくれたお陰で、釈尊の教えは我々の縁となる。同じように、我々が釈尊の教えを聞き伝えることが、誰かの縁になる。だから我々も、釈尊の教えを伝えるべく努力せねばならない。

 「この言い方は、意思的・主体的ではないか、言ってることが矛盾している。」そう思われたかもしれない。確かに、意思的・主体的に響く言い方だ。しかし、どう響いたとしても、こういう言葉は、縁になってよき反応を起こさせる。発心・精進が起こる縁となる。

 我々は、無常=無我=縁起の反応であり、つきつめれば主体性はないけれど、よき言葉は我々によき縁となり、我々をよき反応にする。よき縁をもらい、よき反応をして、よき縁を返し、よき連鎖反応が広がっていくよう努力せねばならないと思う。

 小論集から関係のあるページを挙げておきたい。ただし、以前の私は、「自由はないが、限定的な主体性はある」という言い方をしていた。その後、おたまじゃくしの尻尾が縮むように主体性は縮小し、「縁によって努力するが、主体性はない」という言い方に変ってきている。一貫していないように思われるかもしれないが、考えの基本的方向は変っていないつもりだ。あわせて目を通していただけると幸甚である。
 2001,3,16, 「人無我を説く方便の試み」
 2003,2,25, 「無我なる縁起の現象に主体性はいかにして可能か」
 2003,9,4, 「自分という現象について」
 2003,11,19, 「クオリアについて」
 2004,1,18, 「ダマシオ『無意識の脳 自己意識の脳』を読んで」
 2004,7,26, 「クオリアとホムンクルスを仏教(無我=縁起)の視点から考える」
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 ご批判・ご教授をお願いします。

2006年9月18日 曽我逸郎

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