曽我逸郎

《自分という現象について》


2003年9月4日

 お盆の一週間、日本テーラワーダ仏教協会のヴィパッサナー瞑想合宿会に参加した。5月の5日間に続いて、2回目である。
 前回は日本語の堪能なスマナサーラ長老の指導で、ヴィパッサナーよりも、輪廻だとか、上座部と自分との仏教理解の違いにこだわってしまったので、今回はそういった問題は置いておいて、ひたすらヴィパッサナーに集中しようと思った。指導はミャンマー最大の瞑想道場のひとつというマハーシ道場から派遣のウィセッタ長老で、大変親切なアドバイスを頂いた。お陰で、ほんの爪の先程度かもしれないが、ヴィパッサナーによる定とはこういうことかという実感も得ることができた。

 ただ、定については、文章化しても、読む人にとってはなんだかわけの分からない胡散臭い話にしかなりそうもない。それよりも、自分という縁起の現象について、考えた事をまとめておきたい。(こんな事ばかり考えていたわけではありません。本当はこんなことを考えていては、瞑想は失敗です。)

 座って息をする腹の動きに集中しようとしていても、歩く時の脚の動きに集中しようとしても、いつの間にか様々な妄想が沸き起こり、気がつくと愚にもつかぬ物語を延々と紡いでしまっている。また、瞑想時間以外も自分のすべての動きを意識して行わねばならないのに、意識より先に身体が自動的に動き出してしまう。どんなに堅く決意しても、私は「私」のコントロール下にはなく、「私」の意向とはかかわりなく、身体や無意識が自動的に反応を続けている。それが私だ。

 こんなイメージが浮かんだ。
 小学校の校庭の水道で蛇口を上に向けて水を出し、ピンポン球を乗せて遊んだ記憶がおありだろう。もこもこと水は湧き出し、その上でピンポン球はぶるぶる震えながら、落ちそうで落ちない。この不安定なようで安定なピンポン球が「私」ではないだろうか?  地の底の何処とも知れない彼方から、身体や無意識の様々な反応が途切れることなく湧き上がってきて、その上で「私」ははしゃいだり怒ったり落ち込んだり、激しく不安定にぐらつきながら、それでも「私」であり続ける。

 しかし、このイメージには問題がある。釈尊は「無我」と教えて下さった。我々には、ピンポン球のような持続的実体はない。ピンポン球は取り去ってしまおう。不断に湧き上る身体や無意識の様々な反応、それこそが私なのだ。 (以前の私の言い方だと「ノエシス」にあたる。) そして、我々という反応を引き起こす縁は、見えない闇のかなたから連綿と連なり来たり、どこまでが縁でどこからが私か、線を引いて分けることはできない。私という反応は、縁とシームレスに連なって現象している。まさに溢れ出る水道の水のように。

 勿論 我々人間という現象は、水道の水のようには単純ではない。進化の過程で、様々な複雑な仕組みが付加されてきた。しかし、それらとて、身体や無意識の様々な反応が組み合わさって次の反応が引き起こされ、それらがさらに繰り返されるという連鎖反応である。高次かもしれないが、根本的総体的には身体や無意識の反応である事に変わりはない。

 では、これらの反応はどこから湧き出してくるのだろうか? おそらく最も深い起源は、三十数億年前、生命誕生時に遡る。すなわち、生命に本源的な、生命反応をより安定的により長く保とう、拡大しようとする傾向がそれであろう。この傾向は、我々という多様な反応のすべての方向性を決定づけている。この傾向の故に、生命は進化を続けてきた。分かりやすく擬人化して言えば、生命は自分をより巧みに守り育てることに延々と腐心してきたのだ。さらに言い換えれば、進化の過程で幾重にも積み重ねられ精緻を極めた<我執>の仕組みの上で、不断に現象し続けている多様な反応、それが我々なのだ。

 「執着は客塵(外から付いた汚れ)であって、我々の本体は明鏡(澄み切った「なにか」)である」という考えは、間違っている。我々は、本源的に根っから我執の反応なのだ。

 ひとりひとりの我々という反応の起源は、生命種としてDNAに規定されたものだけではない。それを基本パターンとして、個体(個人)として積み重ねた経験も、後から撚り合わさり、反応の仕組みはさらに精緻化される。

 個人としての経験には、文化や社会から学ばれ同じ文化・社会に属する人々と結果的に共有されるものと、まったく私的な経験がある。しかしいずれにせよ、経験それ自体は個としてなされる。
 経験によってもたらされるものは、単なる記憶だけに留まらない。なにか考えた事、なにかした事、なにかをしないでいる事は、記憶のみならず、その人の反応の仕方・パターンに変化をもたらす。神経細胞の間を信号が流れること、逆に長期に流れないことなどで、信号の流れやすさが変化する。時には新たな回路が開かれ、あるいは閉じられ、反応パターンは大きく変わる。業とは、このことだと思う。来世などといった遠い未来に実現されるものではない。身口意の行ないの瞬間に、業は実現される。唯識派の言う薫習も同じ意味で私は捉えている。ずるがしこく立ちまわって味を占めれば、そのようなパターンが癖になっていくし、自分なんかどうせダメだとすねれば、そういうあり方にどんどん流されて行く。今の自分の反応こそが、次の自分の反応への最大の縁なのだ。
 (宝塚で大勢の小学生を殺した犯人も、ふとしたきっかけで悪い業をつくり、それが縁となって不幸を呼びこみ、怒り妬みがさらに大きな業を生むということを繰り返した末に、あのような犯行に至ったのだろうと想像する。犯罪者は異質な人間なのではない。普通の人が縁が重なって犯罪を犯す。勿論、繰り返しになるが、自分自身が最大の縁ではあるのだが、、。)

 我々という反応には、水道の水にはない様々な高度な反応がある。その中で、最も特筆すべきは、「一貫した私がいる」と思う反応だ。この反応も、他の様々な反応と同様に、ある一定の縁を得た時にだけ現象している。つまり、時々起こる切れ切れの反応だ。日常生活のほとんどは、一貫した「私」など仮想することなく、縁による我執の自動的反応で遂行されている。しかし、「私」を仮想する反応が起こった時は、「私」はいつも、一貫性ある「存在」(以前の言い方なら「ノエマ自己」)として仮想される。その結果、私達は、主宰者であり一貫性ある「私」(アートマン)がいる、と思い込む。

 「私」を仮想する反応には、進化の上でどういう有利さがあるのだろう? ふたつの点が考えられる。〈我執の産出〉と〈修正点の発見〉である。

 生命は、その反応をできるかぎり安定にできるかぎり長く維持し拡大しようとする、いわば原我執の反応であった。その反応に「私」を仮想する反応が付加される事により、自分という反応を守り育てようとする傾向は、仮想の「私」に収斂される。「私」を守り、「私」に有利なものを手に入れようと執着し、「私」に危害を及ぼすものを憎悪するようになる。原我執は、その場その場の喜び・怒りのレベルから、真に我執と呼べるレベルへと「高度化」する。すなわち、「私」(ノエマ自己)とは、生きんとする生命の本源的傾向を我執へとバージョンアップさせる過給機なのである。

 このことは、特定の人物や旗・スローガンなどのシンボル操作によって、国民、臣民、民族、教徒などが収斂され結集されることと似ている。
 「仮想された私」(ノエマ自己)は私(不断に湧き上る身体や無意識の様々なそのつどの反応)の主宰者(アートマン)などではない。反対に、「私」とは、私(様々なそのつどの反応)の道具的、部品的反応なのである。

 もうひとつの〈修正点の発見〉とは、以下のようなことを考えている。
 「私」(ノエマ自己)を仮想することで、(いかにそれが、そのつどの様々な反応である私のあり様からかけ離れていようとも、)自分を対象化することが可能になる。ひとつの状況において、自分のした反応と、それがもたらした結果を観察する事が可能になる。反応のどこがいけなかったのか見えてくる。そのような反省を重ねることによって、反応がより我執にかなったものに洗練されていく。
 ただし、ここでも「私」は、我執の道具にすぎない。いわば化粧で使う鏡のように、欠点を見つけるのに役立つけれど、それ自体が欠点を指摘し、修正するわけではない。失敗を自覚し、反省し、新たな反応を模索し、反応パターンを変えるのは、あくまでそのつどの反応の側である。あるいは「仮想された私」を擁護する言い方をすれば、「私」を仮想し対象化して観察することで、反応パターンを修正する反応が格段に効率化される、とも言えるだろう。

 こうして、私というそのつどの反応は高度化し、洗練される。計算高くなり、長期的になり、肥大化した我執に適う自動的反応になる。より大きな利益のために目先の小さな不利益や苦しみは自動的に我慢される。欲望の肥大化に比例して、そのために犠牲にされる苦も大きくなる。社会も複雑化し、共同幻想された「大きな楽」のために、人は自分のみならず、他人まで苦しめるようになる。現代社会においてどれほどのストレスが我慢されていることだろう。

 ここで苦について少し考えておきたい。
 苦のうちの一部とも言える痛みは、身体に異常事態が発生していることのアラームであり、早急な対応を促しているのだと言う。つまり、痛みは、動物がより長く安定的に生きるための道具なのだ。であるなら、苦も同じような道具だと考えることはできないだろうか。動物は、生き長らえるために苦を避けるように反応する。つまり、苦は、動物にとって不適切な状況からの離脱を促す仕組みだと考える。苦もまた、本来は、生命の道具、生きんとする本源的傾向の道具であったのだ。

 しかし、人類は、進化の結果「私」を仮想する反応を獲得し、高度な我執を持つに至り、そのために「理に適った」行動を模索するようになった。その結果、先の大きな楽のために目先の苦を我慢する能力を得た。しかし、それでもやはり苦は苦しい。目先の苦を納得するために、それが確実により大きな楽をもたらすのかどうか、繰り返し確認される。苦から楽に至るプロセスと、期待される楽が本当に楽か、検証される。

 この検証が突き詰められた結果、人類はとうとう、生命そのものの矛盾に逢着してしまった。諸行無常の世界の無常なる現象であるのに、永遠を求める生命。いくら永遠を求めたとて結局遠からず死ぬのに、すべての苦を最終的に承認するに足る価値はあるのだろうか?
 この矛盾に薄々感づきながらも、人々は、明日の楽の為に今日の苦を忍び、毎日をそうやって過ごしていく。そして、ある日、明日は来ない。しかし、かといって今日を楽にまかせれば、明日から先どれほどの苦が待ちうけていることか。しかし、それでも、目先の苦を我慢させる中期の目的には事欠かなくても、究極の価値は見出せない。
 人々は、この矛盾から敢えて目を背け、さしあたっての利益に汲々とし、我執に突き動かされ、損だ得だと騒ぎまわり、怒り嘆き妬み勝ち誇りはしゃぎ落ち込み、互いに苦しめあいながら有限の生を終える。

 しかし、一人の天才が、ごまかすことなく徹底して矛盾を見つめ、ついにそれを克服された。釈尊である。
 釈尊は、一切皆苦と言い切られた。いくら苦しんだとて、もし仮にそれが何かのためになるのであれば、それはもはや真の苦ではない。しかし、すべての苦は、結局のところ何のためにもならない。苦しんで何かを得たとしても、それは更に大きな苦をもたらす。苦が何かのためになるというのは、思い込みに過ぎない。だからすべては苦なのだ。釈尊は、生に意味を与える究極的な価値や目標を否定された。一切皆苦とは、一切の価値の否定なのだ。

 「仏教は価値を否定する」というと、「では仏教は自殺を勧めるのか」と詰問する方が少なくない。どうして価値がなければ死なねばならないのだろうか? 生に価値がなければ死なねばならないと考える人は、まだ価値の観念に呪縛されている。

 本当は価値がないのに、人々は、富や名誉や権力に執着し、そのために争い苦しむ。人を苦しめる。いたずらに苦を増やす。なぜか? 自分が、生きんとする生命の根本的傾向に根ざすところの、縁起の自動的反応であることを知らず、確固たる「私」(アートマン)があると我執し、「私」にとっての価値で染め抜かれた執着の対象が実在すると思い込み、自分に永遠の価値を与えようとするからだ。

 日々の生活において我執の暴走をできるかぎり制止し(戒)、我執による反応パターンで凝り固まった脳を柔軟にし(定)、自分に主宰者(アートマン)などはなく、自分はそのつどの縁への我執に導かれた多様な反応であることを客観的に観察し認識する(慧)。
 このように修行すれば、我執に導かれた反応パターンは改変され、いかなる価値も妄想せず、無用な苦を苦しまず、人に与えず、無価値な生を平安に生きることが可能になる(涅槃)。これが釈尊の教えだと思う。

 それにしても、ここで釈尊がなさったことは、なんという離れ業だろうか。生きんとする生命の本源的傾向に方向付けられたそのつどの様々な反応の道具であるところの、「私」を仮想し対象化・客観視する反応を逆手にとって、根本動因であるそのつどの様々な反応を分析し、それを徹底的に追い詰めて、その反応パターンを書換える。
 確かにそれは、これまでの進化の過程で幾度となく繰り返されたきた、新たな反応パターンを付加することではあるけれど、それを自覚的意図的に達成された。それはまるで、神業の大工が、高い塔の上に立ったまま、自分の足場である塔をすっかり立て替えてしまうような技だ。


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2003年9月4日 曽我逸郎

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