<自分たちは、ネイバーフット・チャーチ沖縄であって、上記の宗教団体ではない。上記政党に確認した上でツイートしたのか。あなたの好きな琉球新報のネット記事にも、ネイバーフット・チャーチと書いてあってその宗教団体の名は書いていない。非常に傷ついた。あなたが辺野古の基地建設に反対するのは好きにやればいい。しかし、あなたのやったことは、熊本の震災後朝鮮人が井戸に毒を入れたというのと同じデマゴーグだ。信仰を傷つけられた。すぐにツイートを消去して、お詫びを掲載せよ。>
30分ほど概略以上のような意見を聞いた。本人は否定(謙遜?)しておられたが、かなり流暢な日本語だった。私からの説明は十分させてもらえなかったが、確かに、ツイートするにあたってその政党に確認はしていない。別の人のツイートで、参加者の一人がその政党名のサインの前で同党の人と記念撮影している写真を見たのと、その参加者のフェイス・ブックで同党関係者と親しくしている写真を見ただけだ。一人を見て参加者全体がそうだと思ったのか、と言われれば、そのとおりである。
話を聞いていて、次第に軽率だったと気づいた。ネット上で散見した祈りの様子に私の感覚ではどことなしの違和感を感じていたこともあり、上に書いた情報と何度か沖縄に行って知ったことなどとが結びつき、確認作業せず思い込んでしまった。
ネイバーフット・チャーチ沖縄という名前は、今日の電話で始めて知った。ネイバーフット・チャーチ沖縄の人たちが真摯に亡くなった女性のために祈っていたのだとすれば、大変申し訳ないことだった。
はじめは、経緯を残すために元のツイートにつなげる形で謝りたかったが、「ツイッターは部分的に一人歩きするからダメだ。消去せよ」と言われた。確かにそうかもしれない。どうするのがいいかと考えて、17時40分頃とり急ぎそのツイートを消去し、私のホームページのここに顛末を含めて記載することにした。
私としては、米軍による犠牲者をこれ以上出さないためには、米軍や日本政府にしっかりともの申すべきで、沖縄の人たちに祈りの気持ちを示すことではないと考えるが、ネイバーフット・チャーチ沖縄の人たちには、自分たちの別の考えがあるのだろう。その考えを十分に確認せず、軽率に否定したのは申し訳なかった。
2016年5月30日 21時20分
曽我逸郎
ホームページへの掲載は、明日になると思います。
掲載できれば、ツイッターにもその旨告知します。
2016年5月31日朝、掲載しました。 曽我逸郎