マディソン郡の橋(ラストシーン)

 


1992年、ベストセラーとなったアメリカの大学教授ロバート・ジイェイムス・ウオラーの小説「マディソン郡の橋」を映画化したものである。
 月曜日の午後偶然出会い、木曜日の夕方には別れることになった中年の男女の4日間の出会いが、その後の25年間一度も会うことなく互いに想いを抱きながら死んでいった。何故そのようなことになったのか、著者は主として男のロバート・キンケイドの特異な人間性に焦点をあてながら物語を進行させている。
 
 ある日大学でちかちか光るコンピュータのディスプレーを眺めていた時ベルが鳴り、マイケルと名乗った相手は概略次のようなことを電話の向こうから自分に告げた。母親(フランチェスカ・ジョンソン)の遺品の中から出て来た日記や手記を読み、愛が軽便に扱われている現代社会において、このような事実があったということを是非人々に知って欲しいと願い、是非あなたの力でこれを小説にしてはもらえないだろかという内容である。

 ウオラーは妹のキャロリンと二人ではるばる尋ねてきたマイケルと,空港の近くの店で深夜になるまで何時間にもわたって彼らの話を聞いた。聞いているうちに彼はロバートの人間性に興味を引かれるようになり、小説に書くことを約束した。
 その後彼らとは3回会い、自分でも色々調査を行った。ある時は自動車で、ロバート・キンケードが通ったと考えられる道路を走り、ある時は彼の少年時代を知っている数人の老人たちをホームに尋ねて話を聞いた。

 彼の人柄を一口で言うならば、人類の歴史をさかのぼったその先に存在するかのような豹のように強靭な身体や意思を持つジプシー的な人物である。子供の時からIQは抜群に高く、普通の子供たちと同じように勉強すれば間違いなく社会のリーダーとなれる素質が十分にあった。しかし彼はそのようなことには全く興味を示さず、草原に寝転んで、そよ風の奥から聞こえて来ると信じている魔女の声にじっと耳を澄ませ、世界各地の秘境に憧れ、それらの地に旅することを夢見る少年時代を送った。

 軍隊に入って写真撮影の部門に回されたが、それが彼の一生を決定付けることになった。写真は対象となる物体を写すのではなく、物体にあたる光を表現することである。光が写真の本質である。このような彼の作品は商業主義に走る一般の写真社からはなかなか受け入れてもらうことが少なかった。
 このような彼の行き様を調べて行くうちに著者自身もロバート・キンケイドになったかのような気持ちになり、それまで抱いていた人生に対するシニシズムが薄らいで来て、人間関係の間に生じる暖かい感情を理解することが出来るようになっって来た。そしてこれを読む読者もきっと同じような考えになるであろうことを信じているという結びで序文は締めくくられている。

 小説はロバートがワシントン州ベリンガムのアパートを車で出発するところから始まっている。写真出版社からの依頼で屋根のついている橋の写真を撮るために、1965年8月8日8時17分、ハリーと名付けている古ぼけたトラックのエンジンをかけた。勿論その時フランチェスカとの運命的な出会いが待っていようなどとは夢にも思っていなかった。途中方々に寄り道をし、8月16日の月曜日の午後、目的の七つ目の橋のある場所が分からず、それを尋ねるために立ち寄った一軒の農家のポーチに腰掛けていた彼女を見た瞬間、ある不思議な感情にとらわれた。フランチェスカも身体の中に何かどきりと走るものを感じた。そこからこの物語が展開して行くのである。

 しかし映画では二人の子供が弁護士から母(フランチェスカ)の遺言状の説明を聞くというのが最初のシーンとなっている。そして遺品の整理を進めて行く中で、フランチェスカがロバート・キンケイドとの経緯を書いた日記や手記を見つけた。それを読んだ子供たちは、俗な言い方をするならば、自分たちの母親が不倫を働いたことに対して腹を立て、軽蔑するという設定になっている。だがだんだん読み進んでいくうちに母の感情、行為が理解出来るようになり、最後には遺言どおり遺体を火葬にしその灰をローズマン橋から散布し終わりとなる。

 今ここで原作との多くの違いを指摘するのはナンセンスであるが、次の点だけは是非あげておかなければならないと思う。手記を読み終えた二人は、母親がたった4日間だけ一緒に過ごしたロバートに対していかに大きな愛情を持ち続けていたか、そして子供や夫の為に、あるいは思慮分別に欠ける駆け落ち的な行為が決してロバートと自分にとっても幸福をもたらすものではないと判断し家を出ることなしにその想いを胸の内に秘めて一生を過ごしたこと、そしてそう言う母の意思を尊重して、25年間一度も連絡をとることをしなかったロバートの気持ちを察して感動し、しばらくの間、言葉を発することが出来なかったという原作の大きな流れの主題である。

 そしてこれは映画では全く触れられていないが、ロバートが晩年知り合った黒人のサキスホーン奏者と著者が交わす会話の最後の章がこの物語を締めくくるのにふさわしいものとなっているのではないかと思うのである。毎週火曜日になるとロバートが店に来て必ず「枯葉」をリクエストし、ビールを飲みながら静かに聞き入っている。知り合いになってからのある日、ロバーートはフランチェスカとの間に起きた事柄を涙を流しながら何時間も語り続けた。そんな彼の為に「フランチェスカ」という曲を作り、彼が店に来るたびに演奏した。
 しかしある日以降彼はばったりと店に来なくなった。湖の中の小島にある粗末な堀立小屋に訪ねて行くと、隣人が彼は10日ほど前に死んだという。自分自身も腕が不自由になり20分以上サキスホーンを吹くことは出来なくなったが、ロバートから聞いたフランチェスカとの話を忘れることが出来ず、火曜日になると彼は自作の「フランチェスカ」を暗いアパートの中でサックスを演奏するのである。ロバートからもらったローズマン橋の写真をみながら。 何故ならロバートとフランチェスカが台所の蝋燭の灯りの中でダンスをしそして夜を過ごしたのが火曜日であったということを聞いていたから・・・・・・・・・・・(マディソン郡の橋)00/12/09)
(ミッシング)