キリング・フィールド(ラストシーン

 この映画を見て先ず第一番に感ずることは、ソビエト共産主義政権の成立とその崩壊はいったい何であったのであろうかという疑問である。
本来は、貧困に苦しむ民衆の生活向上を目指して成立した、あるいはそのようでなければならなかった筈の政権が、結果的には競争原理に無縁な無責任な人間、怠惰な社会を作り、逆に経済の進展を妨げ、秘密警察による恐怖政治を行う羽目に陥ってしまった。貴族、資本家に代わって共産主義を標榜する特権階級が現れたに過ぎなかったのではないだろうか。少なくとも人間の精神の自由を奪ってしまったことだけは間違いないようだ。

1970年代半ば、カンボジアのポルポト政権下でアメリカ人と現地採用のカンボジア人ジャーナリストの二人が経験した実話にもとずいて制作された映画であるが、赤いクメールと称した共産主義軍団の非情な、常軌を逸した行動が悲惨なまでに描かれていて、思わず考え込まずにはおられないのである。

個々の事実、物語も波瀾に富んでいるが、それよりも旧政権を追放して首都プノンペンに乗り込んで来るや否や全住民を有無を言わせずに農村に連行し、粗末な衣服、食事をあてがって強制労働に従事させるシーン、インテリは必要ないといってそれらの人々を探し出し次々と虐殺してしまうシーン、なかでもまだ年端もいかない子供たちが銃を持って訳も分からずに大人達を脅迫するシーン、なぜこのような事があの時期に簡単に起きたのであろうか、深刻に考えてみなければならないのではないかと思う。

強制労働を終えて粗末な掘建て小屋の住居に帰って来ても一日は終わらない。党の幹部による洗脳教育が始まる。その中のセリフに「大人には革命前の生活を追憶する病がある。その点子供は純真である」というのがあり、これが彼ら無知な子供たちを動員して銃を持たせる理由のようである。

日本の有名な左翼学者の書いた「歴史に何を学ぶか」というのを読んだが、近頃これほど面白い本を読んだことはないような気がする。古代の日本と朝鮮との関係から説き起こし、文化史的に教えを受けて来た朝鮮を植民地化したのは実にけしからんと悲憤慷慨しているのまあいいとして、結局日本には人民史観がないということを盛んに嘆いている。そして次に人民の定義をしているのだが、それによるとまさにこのカンボジアの「赤いクメール」の幹部と称する人間たちと同じ考えの上に立っているようである。

昭和初期、東北地方の貧しい子供達が上級学校に進めず、あまり金のかからない士官学校に入り、「2.24事件」の主役となった陸軍の青年将校達に人民の立場に立ち得る要素があったかもしれないというと、いや彼らは本当の意味での人民ではない、働かないで官費の学校に行くことの出来たのは本当の貧乏人ではない。官費の学校へ行くことも出来ずに働かなければならないもっと貧しい階級が日本の本当の人民であるという論旨である。そうなると論者自身は一体何であるのか聞いてみたい気がするが、それはとも角として、医者、教師、技術者等インテリは社会の罪悪階層であるとしたカンボジアの共産主義信奉者達の実際の姿を現実に知らされるこの映画を見ていると、日本ももしかしたらアメリカ、イギリス、中国、ソ連に4分割占領される可能性があったかもしれず、そうならなかった歴史の現実にただ感謝あるのみであるという感想を持つ。(キリング・フィールド)(00/11/02)

(タクシードライバー)