終着駅(ラストシーン)   

 夜のローマ駅のプラットホームを背中を丸め、悄然とした格好で歩いている一人の男。1ヶ月ほど前に、ローマに来ていた自分と同年齢くらいの美しい人妻と知り合ったが、最後には別れることを余儀なくされた。今、彼女を列車の中まで見送り、去り難い思いで愚図愚図しているうちに列車が動き出したので慌てて飛び降り、ホームに倒れ込んでしまう。怪我はなく、通りすがりの人に助け起こされたが、諦めと絶望と悲しみの感情が複雑に入り混じって歩いている姿を見るとき、私までも男(ジョバンニ)の気持ちについ引き込まれてしまいそうになってしまう。

 もともと今流に言えば二人の関係は不倫の関係に過ぎないのである。

 7歳の女の子を持つ人妻のマリア。姉が住んでいるローマに来ていて、偶然ジョバンニに出会い、熱烈な恋に落ちいった。しかしローマを離れ、彼とも別れなければならない時が来た。ジョバンニのアパートまで来て、ドアのノブに手をかけようかどうしようかと迷った末に、彼には会わずに行こうと決心して駅に向かうところから物語りは始まるのだが、それから2時間ばかりの間の進行は結末がどうなるだろうかという期待を持たせて見事である。気持ちはジョバンニの方にあるけれどもそれを経ち切って夫と娘の元へ帰らなければならないことを訴えるマリア、それならばこの1ヶ月の間の付き合いは何であったのかと非難と怒りを込めて彼女を引きとめようと説得するジョバンニ。二人の言葉のやり取りは見ていて夫々にもっともに思えるだけにやり場のない思いにさせられる。二人のやり取りの間に、ローマ駅の構内で日常的に見られる様様な人間模様が描かれているのも臨場感を添えている。

 8時半発のパリ行き列車が発車するまでの僅かの時間の間、二人は構内の線路上に置かれてあった一両の客車に入り込み、そこで束の間の別れを惜しんでいると、見回りに来た駅員にその現場を見つかり、不法侵入者として駅の駐在署に連行される。
 署長は、本来は罰金で済ますことの出来る案件だが、駅員の供述書が出ているから判事の裁定が必要であると言う。そしてパスポートを調べながら尋問を始める。夫と別居しているのか、ローマに来ることについて夫は了解しているのか、子供はいるのか等々。

 このときマリアは最初は「NO」と言ったが、しばらくしてから「YES]と言い直した。

 この 「NO] と 「YES] との僅かの時間の間にマリアの気持ちがすべて凝縮されているのだろうと思う。

 署長が8時半発の列車に乗るのかと質問した時にもマリアにはしばらくの沈黙があった。その瞬間ジョバンニは顔をそむける。
 署長はマリアが8時半の列車に乗るという返事を聞いて処分を決める決心をした。「子供もいることだし、事が公になれば困るだろう」と言って供述書を持ってきた警官を説得し、それを破ろうとして二つに引き裂く寸前で警官の顔に視線を向ける。警官が肩をすくめて仕方がないと言う表情を示し、一件落着となるのだが、二人のほっとした様子の表情は痛々しいばかりである。

 常識的な規範に従うことを前提にして二人を釈放した警官達の行為、それに背けば彼女に大きな迷惑を及ぼさなければならず心ならずも従う事を余儀なくさせられた男、社会道徳に反する事の恐ろしさを身をもって体験し、かろうじて安住の世界に踏みとどまる事が出来て一安心はしたのだが、しかし内心の気持ちまでは断ち切ることの出来ない女、三者三様の思惑が夜のローマ駅を中心にして展開する見応えのある一編であると思う。それにしても人間は何とかわいそうな動物なのであろう。(終着駅)(00/08/29)
 

(モロッコ)