ローマの休日(ラストシーン)

 中世の宮殿を思わせる広間の奥にある壇の下で、王女が会見に現れるのを新聞記者達が待っている。ジョー・ブラッドレー(アメリカの新聞記者)もその中の一人だ。ただ彼の想いを知る人間は前日彼と行動を共にしたカメラマンのアービング・ラドビッチを除いては誰もいない。

 王女という地位、立場に制約されていつも自由を束縛されているのを嫌い、ノイローゼ気味になったアン王女は、ある日の夜、訪問先のローマの宿舎をそっと抜け出して街中へと出た。偶然のきっかけでブラッドレーの安アパートで一夜を過ごし、明くる日はローマの名所旧跡を新聞記者である彼と一緒に尋ね歩く。連れて歩いている娘が王女であることに気付いたブラッドレーは、仕事仲間のラドビッチ(カメラマン)を誘い出し、二人で特種記事にしようと画策する。しかし一日が終わるころには、王女とブラッドレーの間には友情とほのかな恋心が芽生える。

 あらゆる束縛から解放されて自由に楽しく一日を過ごしたアン王女であったが、しかしそれと同時に王女はまた王女としての立場の責任と任務の重大さに気付くのである。そして再び自由に振舞うことの出来ない、窮屈な世界に戻る決心をしたことをブラッドレーに告げ、後ろ髪を引かれる想いで彼と別れ宿舎へと帰って行く。

 一方ブラッドレーの方は、せっかくの特種には違いないが、それを記事にしてしまえば、王女との間に生じた友情、王女から受けた信頼の念など全てを失ってしまうことになる。それは彼にとって耐えることの出来るものではない。新聞記者として特種をスクープするよりも、人間として守らなければならないもっと大事なものがあると彼は考えたのであると私は思う。
 
 壇上の奥から静かに歩いて出てくる王女をじっと上向きに見つめているブラッドレーの表情。穏やかさと少し笑みを浮かべているかのように見える彼の表情が、この「ローマの休日」のなかで一番美しく、きれいなシーンではないかと思う。新聞記者にとって大事な特種以上に大事なものを得ることが出来た喜び、人間として捨ててはならないものを守ることが出来た喜び、心の安らかさを得ることの出来た満足感に満ち溢れた気持ち等々が画面から伝わって来て、私はこの場面になると何かしら思わず目頭が熱くなってしまうのである。

 やがて新聞記者との会見が終わり全ての人達が去ってしまった後も、ひとりがらんとした宮殿の間にたたずんでしばし思いにふけり、私には何か幾分心残りがありそうな様子に見えるのだが、ズボンのポケットに両手を突っ込んで出口まで大股で1歩1歩歩いて行き、ふと振り返って遠く王女の消えた壇上の奥をを見やった後に画面から消えて行く。少し淋しい感じのするラストシーンである。(ローマの休日)(00/07/26)

(オーケストラの少女)