オーケストラの少女(ラストシーン)
トロンボーン奏者のジョン・カードウェルは失業中の身、その娘パトリシアは歌の上手な活発な少女である。父親はなんとか交響楽団の団員として雇ってもらうよう、劇場へ行き指揮者のストコフスキーに直接会って交渉しようとするが、もちろん相手にされずすごすごと引き返す。その時音楽会の会場で有閑マダムの落とした財布を拾う。落とした本人を見失ってしまった彼はそのまま家に帰るが、住んでいるアパートの持ち主に家賃を催促され、ついその財布の中から家賃を払ってしまう。パトリシアはその財布を持ち主の金持ち夫人に返しに行く。 このあたりの映画の進行はユーモラスで話の中に暗さがない。失業中の父親の表情にも絶望感とか失意を感じさせるものがない。またパトリシアを乗せてあちこち走り回るタクシー運転手が、運賃をもらうことが出来そうにないにも拘らず、せっせと付き合っている光景は、タクシー運転手の人柄の善良さもさることながら、アメリカの社会全体がようやく不景気を脱して明るさが戻ってきた有様を象徴しているのではないかという気がするのである。この映画が現実にはあり得ない話の進行であるにも拘らずそれを不自然と感じないのは画面全体に現れている巧らざるユーモアの感覚、登場人物の善良性と明るさではないかと思うのである。 パトリシアの願いはストコフスキーに断られて万事休するかにみえるが、最後に楽団員全員を劇場に忍び込ませ、ストコフスキーの執務室の前で演奏させるという賭けに出る。階段や廊下全体に陣取って演奏を始めたのはリストの「ハンガリア狂詩曲2番」である。突然鳴り響いた音に驚いて出て来たストコフスキーはしばらくの間、当惑したような表情を見せるが、やがて楽団員の腕前に感心したのかあるいはその熱意にほだされたのか、しばらく手で調子を合わせているうちに、やがて指揮を取り始める。 |
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