第三の男(ラストシーン)

 コートに両手を突っ込み、真っ直ぐ歩いている女(アンナ)の姿が画面の並木道の奥から少しずつ大きくなって来る。男(マーティンス)は道路の左側の荷馬車に寄りかかってアンナが近づいて来るのを待っている。枯れ葉がはらはらと舞い落ちる。何かが起こりそうな氣のする、ひときわ高くかき鳴らされるチターの弦の音。しかし何事も起こらないのだ。ここに到ってのお互いの心の中は二人が一番よく知っているはずである。


 しかし・・・・・・・、しかしとマーティンスは思う。私も、もしかしたら・・・・・・・と少し期待する。けれども女はただ真っ直ぐ、ひたすら真っ直ぐ、きりっと正面を見据えたまま、男の前を通り過ぎて行ってしまう。


 女が近づく少し手前からそちらの方に視線を移し、自分を全く無視して行ってしまうその動きを追っていたマーティンスは、やがて視界からアンナの姿が消えてしまった時、ゆっくりと煙草を取り出して火をつけ、大きく煙を吐き出し、右手に持ったマッチ棒を振り払うように投げ捨てる。その時、画面は突然ブラックレベルへとフェードアウトし、”THE END”の字幕が出る。 

 あまりにも呆気ないエンディングであるが、チターの演奏とともに有名な「第三の男」のラストシーン。日本では1952年(昭和27年)に公開されたというイギリス映画を私はどこで見たのかはっきりとは覚えてはいないのだが、しかし初めて見て以来、この最後のシーンが心に焼きついて離れない。数ある映画のラストシーンの中でもこれは間違いなく最高の傑作品ではないかと思う。


 約1分20秒の画面の中に凝縮された、セリフのないただチターの弦の音だけが鳴り響くシーンに二人の男女の万感の思いが込められているのである。マーティンスに対して少し心を開きかけたアンナ、しかしその心を固く閉ざしてしまったアンナ。それをよく知っていながらそれでももしやと、かすかな期待を抱くマーティンスだが、予想していたとおり、その期待は空しく、彼の恋は終わってしまった。それを静かに自分の心に言い聞かせようとするその気持ちが、マッチ棒をポイと投げ捨てる彼の仕草に切なく表わされているように思われて、私はこのラストシーンを見るたびに少しばかりの落胆とともに、淋しさのまじった複雑な思いが湧いて来るのを押さえることが出来ないのである。(第三の男)  

(自転車泥棒)