雑記帳 その2 新年編 (2002.1.6作成)
新年の、怒濤のドキュメントです。
2002.1.1(火) 曇りのち雪
6:15、目が覚めた。
何とか食欲だけはある。
初日の出中継等を見たが、今年は天気が全国的には悪く、あまり良く写っていない。
疲れが残っているのか、また眠くなったので、お雑煮を頂かないままベッドへ。
9:50 へその少し上に、刺すような激痛が。(>_<)
約20分ほど、痛んだりおさまったりを繰り返した後落ち着いた。
11:00 お雑煮を頂いた。
午後、隣町の病院が緊急医になっているので、診てもらった。
盲腸にはあらず、食あたりと言うか、お腹を壊した程度とのこと。整調薬を頂いた。
家に帰ってからしばらくして、エスパルスが優勝した。
夕食もお雑煮を頂く。
22:30
再度激痛が。(>_<)×10
断続的に痛みが襲ってくる。
仕方なく救急車を呼んだ。
〜こぼれ話〜
自宅のある地区には、消防署の出張所があります。
まずそちらへ電話したところ、やはり「119番にかけて下さい」とのこと。
その際に、「夜中なのでサイレンを鳴らさないようにお願いします」と言ったが、法規上
それは出来ないとのことであった。
救急車初体験である。救急車まで約20m、吹雪の中を何とか歩いて行った。
サイレンが鳴っていたので、近所の人が心配して外まで出てきた。
ストレッチャーに横になったが、振動で背中に痛みが走る。
血圧は一度少し上昇したが、昼に診てもらった病院に着く頃は元に戻り、安心した。
担ぎ込まれて、まずはCT撮影。息を止めるのが辛い。
レントゲンも、立っているのがやっとであった。
この時点で、尿路結石との診断が下った。
思い起こすと、’82年4月に一度痛んだことがある。痛みの部位はその時とは異なったので
まさかそうとは思わなかった。でも、痛みのレベルは、今思えば同じくらいだった。
病室へ。点滴を打ってもらい、ベッドに横になってようやく落ち着けた。
次第に痛みも引いてきた。夜中に二回ほどトイレに立った以外は、何とか眠れた。
2002.1.2(水) 雪
朝7時前には目覚めた。
同室の患者さんに、夜中に騒がせて申し訳なかった、と詫びておいた。
一番痛かった部分の痛みはほぼ引いたが、背中(腎臓付近)は叩くと痛みが響く。
点滴を打ちながら、尿で石を外に出す方法のため、ほぼ1時間間隔でトイレへ。
今日だけで、500ml×4本の、乳酸リンゲル液の点滴を打たれた。
ご飯はおかゆ。正月早々、非常に健康的な病院食を強いられた。もちろん仕方無いことなの
だから、我慢あるのみである。
背中の痛みが、背筋腹筋に影響するのだろうか、腰痛の時と似た症状になってきた。
まっすぐ立って歩くことが出来ない。
夜九時にはきっかり消灯。尿意が近いので、到底熟睡出来なかった。
2002.1.3(木) 雪のち曇り
何とか痛みはおさまってきて、まっすぐ立って歩けるようになった。
ご飯も普通食になった。\(^o^)/
今日の点滴は2本だけ。
あともう少し、という感じがしてきた。
ようやく、入浴する事も出来て、さっぱりした。
新年初風呂が病院になるとは、思ってもみなかった。
2002.1.4(金) 曇りのち雪
午後退院して良いとの許可が出た。\(^o^)/
念のため再検査、造影剤を点滴して、レントゲンを撮った。
まだ少しだけ石が腎臓に残っているとのこと。
もしまた痛んだら、坐薬を入れるか、それでも駄目ならまた来て下さいと言われた。
でも、普通にしている限り、特に大丈夫そうである。
月曜に、泌尿器科の先生にも診てもらうことにして、病院を後にした。
ちなみに、この三日間の入院費は、約1万5千円かかった。
浦島太郎している間に、家の周りの雪は約30cm増えていた。
ほんとに、浦島太郎気分である。(^^;)
2002.1.5(土) 一日中、雪降り
家の周囲の積雪は約50cmに達した。
痛みが出ないので、安心している。
とにかく水分を摂って、石を出すことに努めた。
病院では、廊下を歩き回って運動出来たが、狭い家の中ではままならないのが辛い。
2002.1.6(日) 曇り時々晴れ
元旦以来のお天道様を拝むことが出来た。
午前中、消防団の分団長及び有志が、お見舞いに来て下さった。
どうもありがとうございました。m(_ _)m
この場を借りてお礼の言葉を述べさせて頂きます。
結果論から言うと、大晦日の消防忘年会の場では、ビールを呑んでおけば良かった
のだろうか・・?(自爆)
御近所をはじめ御迷惑をお掛けした皆さんに、お詫び申し上げます。
再発しないよう、安静につとめます。
どうもお騒がせしました。m(_ _)m
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