sincekeさん 慈悲と他者について  2005,7,1,

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小論集2004.11.4 『慈悲は仏教によって生み出されるのではない?』を読みました。

これは、自己の修行のプロセスの話だと思います。無我や縁起を修することによる、自己の内部で起こるであろうプロセスとして、慈悲が説明されています。「執着が消えた時、その結果としてその分だけ、慈悲は自然に拡大する。」

図示もありました。執着と慈悲の反比例ですよね。

わたしは、仏教の慈悲について、ちょっとちがうことを考えています。ちょっとちがうというのは、関心の持ち方が違うというだけで、たぶん、曽我さんの話とけっして相反するものではないと思います。

「最初の慈悲」ってどこから来るのか、ということに私は関心があります。だって、私の中をいくら探してみても、自分の中に「慈悲」があるようには思えないのですから、困ってしまいます。とりあえず、慈悲は「あっち側」から、仏陀の側から来るのだろうと思います。

でも、ここで問題なのは、仏陀って、本当に「慈悲深い人」だったのかな、ということです。

曽我さんの文章にあった「説法躊躇」「梵天勧請」の話を思い出します。悟りを開いたときのゴータマ・シッダルタさんって、人々のために法を説こうなんていう気持ちはあんまりなかったようです。つまり、まあ、仏陀は最初から「やる気」がなかった。私が「仏教っていいな」と思うのは、こういうところ、釈尊が悟りを開いても、「おいらが世界を救ってやろう」などとへんに意気込まなかったというところにもあります。しかし、この説話については、もうすこし考えるべきことがあるような気がします。

三枝充悳(さいぐさみつよし)『仏教入門』(岩波新書 1990)では、慈(メッタ−)という言葉は、スッタニパータなど初期の仏典ではあんまし使われていないと書いてありました。それで、慈悲というのは、仏弟子の側から仏陀を見たときの言葉ではないか、ともありました。

本はいま手元にないのですが、紙の切れ端にメモッてた部分を引用しておきます。

「慈(メッタ−)や悲(カルナー)が初期経典にみえるのは、あたかも医師を患者の側からみるケースと同様、釈尊の教えを受けて、みずからの苦を脱し得た信者や仏弟子たちが、かれらのほうからあらためて釈尊を眺めて、かれらの抱いた敬慕帰依の感動が慈ないし悲と表現され、この慈ないし悲を釈尊に当てた、とも考えられよう。」(三枝『仏教入門』)

あと、この本では大乗仏教運動のことを「他者の発見」と呼んでたような記憶があります。大乗の徒のことを、「みずからの無力感に打ちひしがれた末に、同じ途を歩んで自己と対等の他者を発見した一群の人々」と言ってました。

他者というファクターをいれてみないと、慈悲を仏教の体系の中に位置付けることはできないのではないか、と思います。

梵天勧請というのも「他者からの要請」なのかな、と思います。でもそれはたぶん、あとからつけた話です。これは、仏弟子たちが作った話という意味では必ずしもなく、ゴーダマ・シッダルダさんがあとから「気づいた」話という意味でもそうです。

梵天勧請というのは、説法してるうちに仏陀が、つまり、「自分の説法すべき人」と出会っている仏陀が、「あ、そうだったのか。あのときのアレって・・・」と思い返して自分の過去に発見した、創作すれすれの記憶なのではないでしょうか。同様に、仏陀の慈悲というのは、後世、仏陀の教えに触れた人たちが、「仏陀」や「過去」というものに事後的に発見した「よろこばしい関係」なのではないでしょうか。

つまり時間的因果関係をさかさまに見るというか・・・。

(夏で暑いです。蒸し暑くて頭がボーっとしていますが、言い訳にはならない)

やる気をなくしていた仏陀に、「ねえ釈尊、教えを説いてよ」と懇願した「梵天」というのが、仏陀以前に信じられていた、また人々の供養を受けていた、「過去の神様」だというのも私には興味深いのです。

まだ、うまくピシッと論理立てて表現できてません。私の頭の中にあるモヤモヤっとしたものを、図式化してみます。

仏陀の視点から見れば、

梵天(過去)−仏陀(現在)−衆生(未来)

という時間の図式があります。そして自分が「凡夫」であることを発見した「私」という立場から見れば、

仏陀(過去)−私(現在)−他者(ちょっと未来)

という図式があるような気がするのです。しかもそれはいつも、現在の先端に立ってる私から展開されてる仮定的な時間の流れで・・・・。その関係こそが慈悲で。うまく説明できないのでこのあたりでやめときます。

最後に、この手紙が公開されることがあるとしたら、ここで私のメール・アドレス公開してもいいですか。

曽我さんがご多忙のようですし、私も誰かからご意見を頂きたいと思いますので。

それに、最近思うのは、たとえば自分より年下の若者が、「ひとりでいろいろとものを考えるようになって、突然孤独に落っこちてしまった」なんてことがあって、「誰かに自分の話聞いてほしいなあ」なんてこと考えて、「仏教」って言葉に安心して、どどどっと曽我さんにメールを送りつけたりすることがあったとしたら(あ、俺のことか)、曽我さんも忙しいでしょうし、他人事ながら「見ちゃおれん」という感情が出てきそうなので。できる範囲でそのへんのこと引き受けたいのかなあ、なんて思って。何かのルール違反になるのでしたらやめときますが。

というわけで、一応、sincekeのメール・アドレス。

shinsukeari@yahoo.co.jp

二週間に一回くらいの頻度で、メール確認してますので、返事が遅くなるかもしれません。わたしのようなところに、手紙が来る可能性はあんましないと思いますが、いちおう、対象年齢は14歳から92歳までということにしときます。

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