Since July 12, 2003最終更新日:2008年12月22日
シトルリン血症からの生還
樹里の部屋掲示板
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本名 柳沢樹里 昭和54年10月30日生まれの29歳です。 | |
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私は、小さな頃から、体が病弱で、いつも風邪を引き病院に入退院の繰り返しばかりでした。 5歳のある日、ご飯が食べられなくなってしまって、 炭水化物が、取れなくなってしまいました。それに加えて、頻繁に軽いひきつけを起こすようになったのです。 どの病院に行っても、病名はわかりませんでした。この頃から、この病気との戦いでした。 移植をして早9年目に突入しますが、最近はめっきり入院もせずにすみました。 今から思えば自分がこのように生きていられるのも両親はじめ、信大の先生方や周りの皆様のお陰だと思っています。今まで色々な人たちにもめぐり逢えたのもこの病気のお陰かもしれません。こんな私ですがこれからもどうぞ宜しくお願いします。 |
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最新情報![]() 今年の4月から 9月まで体調がすぐれない状態だったので行けるか微妙でしたが、なんとか調子を整えて九州の会に行けました。 皆さんとお会い出来て本当に良かったです。 来年の会は信州大学でとのお話が出ていますがまた皆さんとお会いできる日を楽しみにしています。 |
最新情報 この病気になって10年経ちます。その間に色々な方々と出会い、自分の病気について考えさせられました。 もし、あの時この病気だと解らなかったら、今の自分はいなかったんだろうと思いました。 命の大切さと、人との出会いは大切だと思いました。 このシトルリンの会の中での出会いが私の一番の宝物になりました。 話は変わりますが、今年の会は九州での会になるようです。 皆さんとお会いできる日を楽しみにしています。 |
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第4回シトルリン血症の会 大阪交流会![]() |
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今回のシトルリン血症の会には残念ながら欠席となりましたが、盛大な会が開かれました。 今年の会の時には是非参加したいものです。 |
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私がこのホームページを作ろうと思ったきっかけは、 この病気を多くの皆さんに知ってもらいたいからです。 |
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父と母です。 父が肝臓を提供してくれました。 母はいつもそばにいて面倒を見てくれました。 手術も成功し、退院10日前の12月12日、手術3ヵ月後の落ち着いたひととき。 撮影:樹里 |
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![]() 私の病状に対するお医者様の診断 |
シトルリン血症は9万人に一人と稀な代謝性疾患であるが、日本人男性に比較的多い。肝臓でアンモニア代謝を担う尿素回路の重要な酵素であるアルギノコハク酸合成酵素の活性低下が原因で、血液中のアンモニアとシトルリンが高値を示し、その結果これらの物質の毒性作用により脳障害が引き起こされる。 臨床症状は手指振戦、種々な程度の意識障害で発症し、未治療状態では多くの患者は数ヶ月の経過で、脳症が急速に悪化して失外套症候群での臥床状態に陥るか、また高度な脳浮腫のため死亡する。 柳沢樹里さんは臨床症状、検査所見からシトルリン血症である可能性が高い。 現在は入院治療による厳格な食事療法と薬物療により経過観察をしているが、肝臓におけるアンモニア代謝の異常は依然存続している。 | |
平成10年8月20日 信州大学医学部第3内科 矢崎正英 |
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![]() 治療法はあるのか? ![]() 生体肝移植が 必要だった。 |
シトルリン血症に対する従来の治療法は通常の肝性脳症と同様に蛋白制限食、アミノ酸補正輸液、腸内細菌の発育抑制などであるが、これらの治療法はあくまでも対症療法であり、肝臓における代謝異常を是正することはできない。 本疾患では詳細な機序は不明であるが、肝臓におけるアルギノコハク酸合成酵素の活性低下が原因であるため、正常肝を移植すれば肝臓における代謝異常が改善され、脳障害が消失することが期待される。 本疾患に対する肝移植は1988年米国ピッツバーグ大学で35歳日本人男性に初めて行われ、手術は成功した。 その後2名がやはり海外で同様な手術を受けている。 信州大学病院付属病へは過去7年間に7名の成人シトルリン血症患者さんが肝移植を希望して来院している。 この内第一例目の25歳男性患者は、当院で術前検査中に突然昏睡状態に陥り、発病後6ヵ月で死亡している。 また第二例目の30歳男性患者は脳死体からの肝移植を希望してオーストラリアへ渡り待機していたが、やはり脳症が急に悪化して発病後9ヵ月で死亡した。 これに対し第三例目の25歳男性は急速に進行する脳症で来院し、全身状態不良のため海外での脳死体からの肝移植は不可能と考えられ61歳の父親をドナーとして平成7年6月当院で生体部分肝移植を受けた。その後の経過は順調で、術直後から脳症は消失して、8ヵ月目には職場復帰を果たしている。 第四例目の患者は45歳男性であり、平成8年10月発病後10ヵ月で20歳の長男から生体部分肝移植を受け、現在社会復帰している。 柳沢さんの場合も疾患がシトルリン血症であるとすると肝移植が現在考えられる唯一の根治的治療法である。肝移植の方法としては脳死体からの全肝移植と生体部分肝移植の二つがある。 生体部分肝移植は通常身内の方がドナーとなる。一方、脳死体からの肝移植は海外へ出かけて行って受ける場合と、国内で登録して待機した後受ける場合の二通りが考えられる。柳沢さんの場合は対症療法にても症状の改善がなく、現在でも血液中のアンモニアとシトルリンは高値を示しており、出来るだけ速やかに肝移植を受けることが望ましいと考えられる。 |
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平成10年7月でした。高校卒業後3ヶ月ほどデイサービスで仕事をしている最中に体調不良で倒れ、小林脳外科医院に入院しました。 最初の診断は単なる食欲不振とのことでした。 ところが、容態は悪化する一方で改善しませんでした。 そのとき、偶然、信大から来ていた佐藤先生に診てもらったところ、肝臓に問題があり、初めてシトルリン血症と診断されました。 このまま放置すると余命3ヶ月、と言われてしまいました。 |
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佐藤先生に紹介されて、平成10年7月28日に信大病院へ検査入院しました。 本当にシトルリン血症なのかどうかの検査です。その結果、確かにシトルリン血症であり、緊急に肝移植が必要と診断されたのです。 最初は国外での脳死移植を希望していたのですが、シトルリン血症は時間に余裕がありません。外国へ行く時間的な余裕が無く、一刻も早く肝移植が必要なので、生体肝移植に踏み切ることになりました。 |
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生体肝移植の臓器提供者候補として父、母、兄が検査されました。 父の肝臓が脂肪肝を直すという条件で、移植可能との検査結果が出ました。 肝臓が確かに適合するかどうか確認するための肝生検には3週間かかります。この間にも確実に容態は悪くなってきていて、お盆の最中には、危篤状態になり、親戚が集められたということです。 |
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![]() 肝臓を提供してくれた父と。 |
8月22日父と母が来てくれました。手術まで三週間!お盆は体調が悪くてたいへんだった。(~_~;) 容態は非常に悪く、食事も点滴も受け付けない状態で、衰弱が進んでいました。 前からアロエベラのジュースだけは飲めたので、このころもそれだけを飲んで、なんとか生きていました。 父は脂肪肝を治すためにダイエットの最中で少しやせてきました。 私は、朦朧としていて、よく覚えていません。 |
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9月11日 手術当日の朝 ![]() 生まれて初めての手術なので、 不安で怖かったです。 朝8時半から手術です。 |
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平成10年9月11日の日記から・・・ 天気晴れ温度29度暑い、前日の日親戚の人たち数名が病院に泊まってくれた。AM8時30分父と2人でストレッツチャーにて手術室へ向かう。 AM10時手術開始(いよいよ始まるぞぉ~!!生まれて初めてだからちょぴり怖いよぉ〜?!)でも勇気を出してがんばるぞ! |
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手術を担当してくださった信大医学部の川崎教授です。私のときではありませんが、肝移植についてのテレビインタビューで放映された時の画面です。 | ||||||||||||||||
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手術は8時半に始まり、夜10時50分頃終了しました。 肝臓提供者の父は6時頃終了しました。 | |||||||||||||||||
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手術当日の様子 私は手術中だったのでみんなの話を聞いて日記に書きました!! |
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AM10時手術開始。兄が朝一番で、病院へ来てくれる。兄が一度帰宅し、PM4時頃又親戚の叔父さんと叔母さんを連れて病院へ来院する。 他の親戚の叔父さんが病院へ来院してくれる。PM6時父無事に病室に戻る。湯たんぽを入れてもらう。 PM7時父肝移植後初対面(母・兄・親戚の皆さん数名)。PM8時、兄・親戚の皆さん数名帰宅。PM8時20分(熱38.3)氷枕をする。PM8時30分父の意識がはっきりする。 「腹減った」「顔かゆい」「樹里の様子は?」「根性でがんばった。」と母と話した。 担当の先生が回診に来てくれる。「手術は順調に進んでいます。」と言ってくれる。(川崎教授回診)「樹里さん順調です。腸を吻合しています。」 「後手術は2時間位で終わります。」PM9時消灯。父「お母さんには無理だった。」と言った。 母の言葉から・・・・・ 「お父さんは樹里のために、移植確定してから『いやだ』とか、弱根ははかなかった。ありがたかった。」 PM9時45分担当の先生が2回目の回診に来てくださる。(3内の担当の先生も一緒に)樹里現在複合しているとのこと、大変順調とのこと。アロエジュースが効いたのか??(出血が少なかったのこと) |
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アロベラジュースについて 右の写真の黄色いボトルのジュースです。 このジュースのおかげで手術までの期間に死ななくてすみました。 父の肝臓の適合性を検査する期間に点滴による栄養補給を受け付けなくなり、アロエベラジュースを飲んで体力を保ちました。 |
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9月21日 手術後10日目。ICUから出て、個室にうつっています。 手術後初めての三分がゆ。5歳からこの日までご飯が 食べられなかったので感激でした (*^_^*) |
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![]() 手術後初めてのお散歩をしてきた所です。 |
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担当医の矢崎ドクターです。移植のときにお世話になった先生です。今も定期的に病院に通いお世話になっています。 | ||||||||||||||||
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