靖国神社関連 その他の批判メール

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◆ 2008、12、24、「村長へ」
 村長ご自身の靖国神社の考え方を村のホームページに掲載するとはなんとも短絡的です。
 しかも、その考え方が頭がいかれてるという感じです。
 そもそも、靖国神社は、英霊を顕彰する施設ですよ。
 決して、戦争準備施設ではありません。
 村の恥です。

◆ 2008、12、23、「村長の件」
 ご担当様
 お忙しいところに失礼いたします。
 大変お疲れ様です。

 村役場の全員が貴村村長のような人物ではないとは考えますので、日本人的一般常識や道徳心・社会性を持ち合わせる方々は、今問題になっている貴村長のサイトでの発言に同調されるような者は少ないとは思いたいものです。
 問題の村長のメッセージ(靖国・九条の会)は、あそこでは片隅に「村長の個人的なことである」ようなことを書いていますが、あのHPを見る者はそこま至らずに憤慨し、それ以上を読むのをやめます。

 つまり、
 「靖国に対しての嘘八百」
 「九条の会に入って、国家社会に対する破壊をもくろむ」(一般的な九条の会に対する認識)という行為を
  村 を あ げ て 遂 行 し て い る !
 とみられても致し方ありませんよね?

 国の責任ではないし、国民の責任でもないです。
 そのような人物を好き勝手にさせている村役場、村民全員の責任でありましょう。
 ですから、以降、日本国民の多くが、中川村村民に対して中川村村民だということで”ある程度の偏見”を持つのは当然になってしまいます。役場も村民も責任を取らないのですから。

 もしくは、上記のことが正しく、村をあげて、
 「靖国に対しての嘘を流布することを強力に進めている」
 「九条の会に入り、日本社会の破壊をもくろみ、国家転覆をもくろんでいる」
 というわけですか?

 ちなみに、9条の会の人物を詳しく調べてみることをお勧めします。

 貴村に常識のあるかたがたが多いことを切望いたします。

◆ 2008、12、18、「曽我村長、寝ぼけるな!」
 靖国神社を、英霊を冒涜する曽我村長は許せん!
 反省しなさい。

◆ 2009、1、9、 「八王子市民からのご返事」
寒中お見舞い申し上げます。

久しぶりでのぞいてみましたら、私の意見にご返事があったようなので、有り難うございます。

>八王子市民さんは、「それ(合祀)がいやな遺族は神社も祭られている事も無視すればいいのです。そこにないと明言されればいいのです。」と言っている。私からすれば、この発言こそ、「遺族の心情をなんと心得ているのか、その御存念をお聞きしたい」という思いだ。「神社に祭られている。といってもそこにあるのは名前を書いた紙だけです。」というのも、靖国神社にとっても合祀に満足な遺族にとっても、失礼な言い方ではないかと感じる。

私は、宗教というのは、霊的なものであり、信じている人にのみ意味あるものと思います。

たとえば、キリスト教とイスラム教のように、宗教はお互いの差異のため争います。もともとこの二つの宗教は兄弟のような関係です。またキリスト教の中でも細かく分かれ、必ずしも仲がいいとはいえないところもあります。宗教戦争だってあります。

ですから、私は、宗教はお互いに争うのでなく、おのおの心の問題なので敬してお互いの道を歩まれるのがいいと思います。そのような意味合いです。

>紙に〜

この部分も、たとえばキリスト教信者にとって、聖書は大事な聖典であります。しかし、聖書は物としては一冊の本でしかありません。そのような意味におとりください。

さて、あまりにテーマが大きくどこから感想を述べればいいかわかりませんが、

村長さんが私は平和主義者である。と述べられていますので、私はその事に賛同したいと思います。また、同時に戦争を好む人もそうはいないと思います。

私もちょっとした活動をした事がありますが、集団になると中で無能な指導者や意味のない活動、やる気のない仲間など、問題は山積みです。だからと言って活動そのものが無意味だとは思いません。戦後日本が悪いと言うほうがいい風潮が続いていると、思います。

今、私には戦争中のことは聞いたり本で読むしかありません。ですから、天皇陛下のことも含めていろんな見方がある、と思いますが、過去先人がしてきた事が無駄であったり、間違いとは思いません。
天皇陛下も、今まで私が知っている範囲では尊敬できる方と思います。
話がずれますが、インドネシア独立のため戦った2000人の日本人兵士もいます。インドネシアはオランダの過酷な植民地でした。半数の方が戦死されこの事は、インドネシア独立につながりました。これも無駄だとは思えません。祖国に帰る事もできたのに、自分にできるかわかりませんが生きていれば死ななければならないときもあると思います。

すこし、感想も入れましたが私の意見に対してのご返事です。まとまらない感想です申し訳ありません。

・・・曽我からの返事・・・

前略

 過去においても、現在においても、人は誰しも凡夫ゆえに、良いこともするし、悪いこともする。日本人が過去において悪いことしかしなかった、とは思っていません。しかし、間違いもした。間違いについては、自ら反省し、繰り返さないよう改めるのがあたりまえのことではないでしょうか。

 一般論としての戦争を好む人はそういない筈であるのに、現実に武力攻撃はあちこちで絶えることはありません。抽象論として平和を支持しても、個別具体的には、「**人・##教徒は何をするか分からない、怖い、危険だ、ひどいやつらだ、やっつけろ、我々は正しい」と執着の連鎖反応が拡大し、「平和のための戦争」、「自衛のための戦争」、「やむにやまれぬ戦争」に陥るのです。それによって利益を上げようと、人々の執着の反応を焚き付ける人もいます。

 私達は、自分という執着の反応にいつも十二分に気をつけ、苦を生む悪い反応になっていないか、警戒を怠ってはならないのです。

                               草々
八王子市民様
    2009年1月13日           曽我逸郎

■ 2009、1、9、 「村長からのメッセージ 2008年11月06日を読んで」
 多難な年を予測させる2009年が明けて、年始にあたりご多忙な日々をお過ごしのことと存じます。それ故、できるだけ手短に感想と意見を述べます。
 私は人を介してメッセージのあるのを本日知りました。早速ホームページを開き、今日までの経緯を理解しました。近年、この国の政治は国会議員よりも地方の首長に人のあるのが際立ってきた、との印象を持ちます。その思いを新たにしました。首長の立場にあって、率直かつ真摯な意見の表明に深い共感を覚えます。
 さて、靖国神社を評したご意見に対し、頑なに自らの立場に固執する非論理的非難はあたらないのはもとよりとして、残念でならないのは支持し共感する側の沈黙です。皆無といっていい状況を看過できません。これが感想であり、エールを送る理由です。
 次に私の靖国神社に対する意見は、曽我さんとは大いに違います。戦後の団塊世代の私は、吟味する必要がありますが、民主主義教育を受けたと思ってきました。従って、天皇制に対しては民主主義とは相容れないものと考えます。その天皇制下の軍隊を精神的宗教的に支えた靖国神社は、敗戦によって天皇制とともになくなるべきだったと思います。
 ただ、かく言う私も戦後教育の申し子です。自分の考えを無批判に拘泥するつもりはありません。戦前の軍国主義教育を受けた人の考えを笑えないという理性は失いたくありません。教育は何ものにも囚われない自立した人間を育てるためにこそあるべきです。一部の特権階級が権力をほしいままに国家の意思として、教育に名を借りて押し付けるものであってはならないと思うこのごろです。
 地方行政の長として、ますます自治の困難が増すことでしょうが、基本的な姿勢は間違ってはいないと思います。どうぞ健康に留意されて、中川村の存在を大いに輝かせてください。

 S.S

・・・曽我からの返事・・・

拝啓

 エールを頂戴し、ありがとうございます。

 HPには、批判や反対意見だけを掲載しておりますが、賛同のメールも頂いており、こちらの方が批判よりも数は多いくらいです。問題を掘り下げるために異なる意見だけをとりあげましたが、S.Sさんからのものも含め、賛同のメールも掲載した方がいいのかもしれません。検討いたします。

 靖国神社は敗戦とともになくしてしまったほうがよかったか、確かにその方がすっきりして禍根を残さなかったのかもしれませんが、やはり心の拠り所としている遺族の方々もおられ、その心情は微妙なものが織り交ざった複雑なものだと思いますので、簡単にばっさりというわけにもいかないように思います。

 亡くなった夫、父を偲ぶよすがという役割は持続しながら、同時に、戦争中そこで何が行われ、どういう機能を果たしたか、それを学んで、皆が平和への決意を新たにする場所になってもらえたら、それが最もいいと思っており、そういう提案をしたつもりです。それがつまり、顕彰施設ではなく、追悼施設に、という意味です。

 今の靖国神社を支持する人たちにしてみれば、そんな靖国神社はもはや靖国神社とは呼べないと感じられたのでしょう。なかなか賛同してくださいません。

 ですが、私には、これが一番いいあり方だと思えるのですが・・・。

 今後ともご意見お聞かせください。
                        敬具
S.S様
      2009年1月10日    曽我逸郎

■ 2009、1、10、S.Sさんから
 こんなに早いご返事を予期していませんでした。ご多忙の中をお目通しくださり、お人柄が偲ばれます。私は早とちりをした訳です。いささか安堵しました。
 私は****の警備員として、最低賃金で働く労働者です。歳は61歳。次の休みに落ち着いて意見を述べたいと思います。
 ただひと言だけ反論をさせていただきます。遺族の心情を斟酌してのご配慮は尊いと思いますが、それさえもかつての軍国主義の強制がなせるものと思いますが、いかがでしょう。軍人だけでなく、国民(臣民)をもいわば洗脳したのがかつての天皇制軍国主義でした。それに気づくのは容易ではないと思います。しかし、次の事実もあわせてご考慮くださることを望むのは、我田引水の類とお思いでしょうか。それは靖国神社による一方的な合祀を取り下げるよう訴訟までしている遺族の心情は、死んでからも利用されていることに痛恨の思いを抱いてるということです。ことは、「合祀の取り下げを望む遺族の要望を受け入れること」で片付けられないものを含んでいると思います。
 お仕事の邪魔をするつもりはありませんので、ご返事はいつになろうと、又いただけなくとも誠実なお人柄を疑うものではありません。
 ご健勝とご活躍を期待してやみません。
                 早々頓首

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