木洩れ日詳細

1号(1997年)・・・「風景を問う」                                         
冬季オリンピックを翌年に控え、長野市とその周辺の風景は大きく変わりまた。私の住む川中島でも、新幹線、選手村、競技施設を結ぶ道路が田園風景を大きく変てしまいました。普通の人達はオリンピックなんて全然のぞんでいなかったそんな矛盾を少し書いてみました。
            「あなた達を忘れない」                                  
日本が起こしたあの無謀な侵略戦争から50年以上が経過して、その悲惨な記憶はどんどん風化しています。という私も戦後の生まれですが、でも私は忘れたくない。そんな思いを書いてみました。

2号(1998年)・・・「繰婦(そうふ)は兵隊に勝る」ー伝習工女横田英の生涯
明治維新後、欧米に追いつこうとした日本の国力の下支えをしたのが、日本の主要輸出品である生糸の生産にあたった製糸工場の女工達でした。最初、士族の授産事業であった製糸工場では、士族の娘達が官営の群馬県は富岡工場で習い覚えた製糸の技術を各地の工場で伝えたのでした
それは後年の女工哀史とはまた違った自立した工女の姿でもありました。その代表が松代藩の中級武士の娘であった横田英です。彼女は「富岡日記」をあらわし、初期の工場立ち上げの苦闘を伝えました。そんな彼女の「富岡日記」を下地にして、歴史語りにしてみました。
            「青い鳥はどこに」−長野冬季オリンピックその後
たった2週間の狂想曲が終わった後、長野に残されたものは?

3号(1999年)・・・「川中島の戦い・むかし・いま」
我が川中島の地は、かの有名な上杉・武田両軍が戦国時代何度となく戦ったところで、その戦跡とされる場所も数多く残っている。ところが、オリンピックはその戦の跡も変えてしまった。「現代版川中島の戦い」といったところか。
            「今なぜ日の丸・君が代法制化」
日の丸と君が代、私達日本人は戦後ずうっとこのまわりを堂々めぐりしてきた。私なりの日の丸・君が代観を。

4号(2000年)・・・「罪は我が隣に」−今、連合赤軍事件を読むー
1972年2月、日本中を震撼さすべきできごとがおきた。連合赤軍による浅間山荘籠城・銃撃戦及び、彼等による山岳ベースにおけるリンチ殺人だ。
一方で、札幌では冬季オリンピックが華やかにくりひろげられていたのであるが。
ずうっと忘れていた事件を私が思い出したのは立松和平の小説「光の雨」によってであった。
連合赤軍メンバーの多くが手記を書いている。その手記を読むと彼等が恐ろしい事件を引き起こした特殊な人間では決してないということがわかる。
そのへんのところを書いてみた。

5号(2001年)・・・「北方版夜明け前」−小説『お登勢』を読むー
北方版夜明け前も、本家夜明け前も共に明治維新の影の部分を描いた小説だ。明治維新以来構造改革をと、政治の世界では叫ばれていたが、実は江戸時代以来連綿と続いているのが、「官僚の支配」なのだと、『お登勢』も『夜明け前』も訴えている。

6号(2002年)・・・「月日、三十年」−連合赤軍事件その後ー 
事件から三十年、メディアは一斉にこの事件の三十年後をあつかったが、私は強い違和感を覚えた。独善的な若者達が引き起こした特殊な事件、それがメディアの相変わらずの視点だ。

7号(2003年)・・・「映画から見える昭和三十年代」−御三家、裕次郎、小百合、そして赤木圭一郎
昭和30年代はいろいろな意味で見直されているし、見直されていい時代だと思う。
そんな昭和30年代を映画から見てみた。映画の全盛時代であり、それはもうたくさんの映画が作られた時代である。

8号(2004年)・・・「野口英世という生き方」−貧困、障害、差別、母ー
新千円札の顔になった細菌学者野口英世。最も有名で、伝記の数も最も多いこの偉人ほど実像と伝記に描かれた人物像がかけ離れている人もいない。
しかも時代を超えて生き残っている偉人でもある。不思議なくらいだ。
人間的欠点も多いのに人を引きつけてやまない人野口英世。私にとっての野口英世を書いてみた。

9号(2005年)・・・「戦後六十年の視点」−特攻、徴兵忌避、靖国、加害責任
太平洋戦争の敗戦から六十年である。
記憶や体験から歴史へ。六十年という歳月はそういう時間感覚なのかもしれない。
「平和憲法」がおびやかされている。国会では衆議院で第9条の不戦の項を変えようという議員がとうとう三分の二になった。
私達日本人は侵略戦争という加害の事実に無関心なまま、戦後六十年をすごしてきた。
今、私達日本人が向き合わなくてはならないのはそのことだ。

10号(2006年)・・・「太宰治を読む」
太宰は60年前の作家である。にもかかわらず、若い人にも比較的よく読まれている。
彼の語りかけるような文章は、それ以前の、また同時代の作家の、漢語調の「書く文章」とは、少し隔たっていて、読みやすい。
また、太宰は、女性の、あるいは自分より若い青年や少年の日記や手記を素材にして、作品を作り上げた。
それが、若い読者が太宰作品に共感を覚える要素になっている。
そして、彼の二人の娘もまた作家の道を歩んでいる。本妻の娘津島佑子と愛人の娘太田治子だ。
この二人が、それぞれの出自を背負って、どう作家になっていったかも、彼女達の作品から追ってみた。
特に意識したわけではないが、今年のNHK朝の連続ドラマとして、津島佑子の小説『火の山ー山猿記』を原案とする『純情きらり』が放映された。

11号(2007年)・・・「若者の時代」ー樺美智子・大島みち子・奥浩平・高野悦子の遺稿集を読むー
携帯もパソコンもない時代、ここに取り上げた若者達はひたすら日記を書き、手紙を書いた。
二十才そこそこでこの世を去った彼に彼女。
樺美智子と大島みち子はもっともっと生きて社会的活動をと望んでいた。
奥浩平と高野悦子も自ら命を絶ちはしたが、心の奥底では生き抜くことを望んでいたはずだと思う。
今の時代は「若者が冷遇されている時代」、「若者が生かされていない時代」だと感じる。
そんな時代にしてしまったのは規制体制への「異議」をあれだけ激しく申し立てていた「団塊の世代」を含めた上の世代ではなかったか。「若者に希望を」これが、還暦を前にした私の心境だ。

12号(2008年)・・・「源氏物語」−千年の時空を超えて語りかけてくるものー
2008年は、紫式部が「源氏物語」を書いてから1000年ということで「源氏物語」が改めて読まれ、語られた年だった。
この平安朝中期の宮廷貴族社会を背景にした恋愛物語は1000年以上もの間読者を引き付けてきた。
しかし「源氏物語」は左右双方の思想的立場から非難・批判されてきたという歴史もある。
戦時中(昭和十年代)作家谷崎潤一郎が訳した現代語訳は「不敬の書」として発禁処分を受けている。
また、私が出席したある会合では95才になるという男性が、若い頃社会主義の思想に染まっていたので、「源氏物語」中の貴族達は庶民を収奪してあんな優雅な生活を送ったんだと反発があったが、今は生涯最後の読書として「源氏物語」に挑戦してみたいと語った。この左右両方の目で「源氏物語」を見ると面白いのでは・・・。

13号(2009年)・・・「アンデルセン童話と世界一幸福な国デンマーク」
社会に広がる「格差」と「貧困」。「富の再配分」ということを改めて考えさせられる昨今です。
世界的童話作家アンデルセンの祖国デンマークはアンデルセンの時代から約200年の歳月をかけて「世界一幸福な国」と言われるような暮らしやすい国を作り上げてきました。
アンデルセンの童話にはその時代の貧しく無知な庶民が数多く登場しますが、アンデルセンは哀感をこめてそれらの人物を描きながらも今日のデンマークの人々が享受しているような「幸福」を夢見て書いていたように思います。

14号(2010年)・・・「地域交通に見る長野冬季オリンピックから十二年」
このささやかな個人誌「木洩れ日」を初めて発行したのは1997年。長野冬季オリンピック開催の前年だった。
オリンピック開催のために劇的に変わった地域の景観。それを批判的に書いた。
そして今年はバンクバー冬季オリンピックで幕を開けた。
改めてこの12年、長野はどのように変わったのか、また変わらなかったのかを「地域交通」の面から考えてみた。

15号(2011年)・・・「家の譜」−真田勘解由家・横田家・五明家ー
私は城下町の史跡がたくさん残っている長野市松代町で町案内のボランティアをしている。2号ではそんな関連で、松代藩中級武士の家の娘だった横田英が、群馬県の富岡工場で器械製糸の技術を学び、松代で草創期の器械製糸工場の立ち上げに奮闘する有様を綴った「富岡日記」について書いたが、松代は我が家とも深く関わりのある所でもある。
我が家の歴史とその周辺を書いてみました。

16号(2012年)・・『原発事故』と『カムイ伝』
            −第一部 反原発・脱原発を訴えた信州の二人の市民ー
            −第二部 『カムイ伝』で考える江戸時代と現代ー

2011年3月11日、日本列島太平洋岸東北部を襲った大地震、そして津波、原発事故。特に原発事故に関しては拡散された放射能汚染物質の影響はどこまで広がっていくのか。その未来不安は不気味な雲として私達の上から消えない。原子力という「魔物」を脇に押しやってやり過ごすことはできない。今号はこれをテーマとした。
改めて私達のライフスタイルを問うとき参考になるのは二百五十年間の平和を保った江戸時代の生活ではないだろうか。
江戸学の田中優子が白戸三平の劇画『カムイ伝」』を使って、江戸時代の民衆の知恵と労働と武士支配の理不尽と闘うさまを法政大学社会学部の学生に講義し共に考えた『カムイ伝講義』で考えてみた。

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