平壌市の地下鉄乗車

1995年4月29日、平壌市の地下鉄に乗車。
平壌駅の西側にある始発駅「千里馬駅」から次の「栄光」駅の1区間を乗った。改札口は硬貨を入れると扉が開くようになっている。ホームでも同じだが係員は皆女性のようである。3人立っていたうちの右側にいた女性をズームアップしてみた。年齢17、8歳にしかみえない。


 改札を過ぎて地下へ向かうエスカレータに進む。約100メートル下に列車のホームがあるそうである。

エスカレータの両側は半透明になっていて中の蛍光灯で足元は明るいが、天井には照明器具がないから、全体としては陰気な感じがする。ホームに降り立つまで約2分15秒かかった。
ホームの天井には花のような絵模様があり、蛍光灯で照らされていたが、構内全体の照明ではないのでとにかく暗い。正面に見える壁にも絵があり黄色の照明である。周囲が暗いのは電力不足なのか、あるいはこれらの絵画を引き立たせるためなのか。今ホームに入って来たのは折り返しの電車である。
車両の中も暗い。


次の駅でホームに降りるとやはり天井にシャンデリアのようなものがあり、さらに階段を上がるとまたもや正面に大きな壁画が現れる。
赤いスカーフを首に巻いた少年少女の一団とすれ違う。

のぼりのエスカレータも一直線である。今度は1分45秒くらいであった。
始発駅の次の駅「栄光」で下車して地上に出ると、目の前に平壌駅が見えた。

もう少し長い時間乗っていたかったが、次の予定があるということでたった1区間であるのは残念至極であった。







「北朝鮮を知りすぎた医者」(ノルベルト・フォラツェン:Norbert Vollertsen)より
 「こちらの地下鉄は深い。五十メートルぐらい。もしかするともっと深いかもしれない。所どころ非常に見通しが悪いうえに、いくつにも分かれているのではっきりしたことはわからない。いずれにしても、エスカレータの深さは東京やソウル、ワシントン、ニューヨークなどの優に二倍あった。北朝鮮側も、こんなに深いのは戦時に防空壕として使うからだということを認めている。そしてこの地下鉄には非常用発電機があるという話だ。とはいえ、ごくたまにしか使われないらしい。なぜなら、何百人もの人々といっしょに真っ暗な地下鉄の中に押し込まれ、再び動きだすのをひたすら待ち望むという奇妙な冒険をしたことが一度や二度ではないからだ。むっとするようなカビ臭い空気、怯えて泣く子どもたち、パニックの兆し。これが北朝鮮の首都における奇妙な冒険のシナリオだった。」
 この記事は1999年から2000年にかけての著者の体験である。