新義州〜平壌間(鉄道)

 新義州〜平壌間は約200キロメートル、急行列車で4時間ばかりの乗車である。

 昭和2年の鉄道線路図と比べて見ると、駅の数と名称にかなりの相違がある。

 停車した駅は勿論のこと、通過した駅のホームもすべて記録しようと試みたが、2,3撮影出来なかったり、駅名の判然としないものがある。

1.東林駅と宣川駅との間の駅の写真は撮れなかった。

2.下端 という駅名と定州駅との間にもう一つ通過した駅があったが、その写真も撮影漏れとなっている。
新義州駅と発車直後の車窓より
 新義州駅は朝鮮戦争のとき、空襲で焼失したので旧駅とは少しずれた位置に建てられたそうである。車窓からみた写真は進行方向右側である。
龍 川 駅(Ryongchon)
 右側の写真はこの駅と新義州との中間点の沿線風景である。
塩 州 駅(Yomju)
 乗務員は女性が多い。停車中に我々とは逆の新義州行きの列車が止まった。
 下右は牛を使っての作業風景。
東 林 駅(Tongrim)
 通過駅。
宣 川 駅(Sonchon)
 昭和11年(1936)4月から13年(1938)7月までの間、宣川にいた。住んでいたのはホームを出て右に曲がり、数百メートル位歩いたところの住宅街であったと思う。その住宅街と鉄道線路との間の2〜300メートルは原っぱで、日中戦争が始まると、兵士を満載した貨物列車が北上して行くのを見た記憶がある。時には停車した列車に、白いエプロン姿の婦人会の人たちが湯茶の接待をしていた。
郭 山 駅(Kwaksan)
 このあとにも出てくるが、踏み切りには人間がついていた。
下 端 駅(HA Dan)
 小さな駅で停車しなかった。
定 州 駅(Chongiu)
 昭和16年(1941)7月から昭和17年(1942)5月まで住んでいた。駅の方まで行ったことはあまりなかったので、駅周辺の地理はよく覚えていない。
 南山と達川が見られる。
孟中里(Maeng Jong Ri)
 この名称であるかどうか確信は持てない。
文 徳 駅(Mundok)
 昔の新安州付近の駅であると思う。
粛 川 駅(Sukchon)
 平壌近くなると線路沿いに荷物を背負って歩く人の数が多くなる。
漁 波 駅(OPA)
平 原 駅(Pyongwon)
 写真の駅がこの駅名であるかはっきりとはしないが、通過順から判断した。
順 安 駅(Sunan)
 次は平壌駅である。

★ 「趣味の朝鮮の旅(昭和2年発行)」に記載されている平壌ー新義州間の記事より
平壌市内 左から妓生、牡丹台、大同江と練光亭、大同門
西浦、順安、漁波、粛川、満城 の小駅を通過し、新安州駅に着く、ここまでは全て、炭鉱、金鉱がいたるところに散在してゐるが新安州駅からは百祥樓で名高い泉洞に通ずる私鉄价川鉄道が通じてゐる。
孟中里、嶺美
 付近一帯には渺茫たる沃野が開けてる、大陸気分といふのはここいらから出て来る気分の一つであらう。

雲田
 駅の背面丘陵起伏するも前面は一帯に水田遠く連なり真に雲田の名にそむかぬ。

古邑
 ここから西南鼎陽洞海岸の塩田に通じる道路が開けてゐる。

定州
 一名定遠、定原の名あり、平壌義州間の要駅にして汽車はここで水を呑むことにしてゐる。
郭山、路下と次第に北行するにつれて西鮮気分も益々濃厚を加へて来る。

宣川
 宣川は西鮮第一のキリスト教のさかんなところ、外人宣教師の数、数十名にして、往時不逞の徒の画策地として名ありしところなり。

東林、車輦館、南市、良策
 ここいらまでやって来ると国境気分を加へ目ざす鴨緑江にも次第に近くなって来る。

枇ケン から義州街道と分かれて三橋川を渡り、

白馬 の山間を切り抜け

石下 に至る、眺望は次第に開けていよいよ新義州駅に着く。
新義州
 ここから鴨緑江対岸の安東へは約一哩で釜山を去る五百九十哩、京城を去ること四百九十七キロメートル、ここ数分の間には外国の土地を踏まなければならないのだと思ふと、言い知れぬつよさを感じなければならない。

 「朝鮮と支那との境の、鴨緑江ヨイショ、十字に開けばヨ、アラ、真帆、片帆ヨ、行き交ふ又、ジャンクの賑わしさ」 といふ鴨緑江節がある。
 同江の大鉄橋は大船の上下にも自由にきき図に示す様に十字に開き得る様に出来てゐる橋のたもとには、イカメシイヒゲ面の巡査や兵隊さんが銃剣で、立番をしてゐる、国境の警備はここにもみられて面白い。

 営林廠は御役人の製材工場である、原材はみな鴨緑江上流の恵山鎮付近の大原始林から無限に切り出されるのである、付近一帯は一大工業都市である、日支両国にまたげた大鉄橋は延長一千二百十三米、汽車は橋上をゆるやかに渡って満州は安東駅につく。
★ 沿線各駅の旅館
駅名 旅館名 等 級 宿泊料 町名距離
粛 川 駅  粛川旅館 自 1、80円 至 2、50円 半  町
新安州駅 安州館    1、80    5,00 駅前1丁
鉄屋旅館    同 
菊屋    同
安州駅 吉田旅館    3,00    5,00 安州邑内
菊水旅館    1,50    3,00
孟中里駅 江戸屋旅館    2,00    3,00 1 丁
山崎旅館    同 1 丁 半
嶺美駅 林田旅館    2,00    3,00 2 丁
定州駅 いろは    2,50    5,00 城外洞 4丁
金 風    2,50    4,00 同 6丁
福岡    2,00    3,00 同 3丁
郭山駅 尾張屋    2,00    3,00 1 丁
路下駅 亀屋    1,50 1 丁
宣川駅 海東館    2,50    5,00 3 丁
宣川館    2,50    4,00
車輦館駅 玉屋旅館    1,50    2,50 7 丁
南市駅 長州屋    2,50    3,50 半 丁
南旅館    2,00    3,00 半 丁
枇ケン駅 福屋旅館    1,50    3,00 1 丁
白馬駅 藤屋旅館    1,50    3,00 1 丁
新義州駅 緑屋旅館    5,00   12,00 常盤町十三丁
岩田旅館    3,50    7,00
中津旅館    3,00    6,00 真砂町 五丁
日勝館    同 常盤町十一丁
福岡旅館    2,50    6,00 常盤町 七丁
鴨江旅館    2,00    4,00 同   十丁
九州旅館    2,50    4,50 本町十丁
春田旅館    2,00    5,00 常盤町十四丁
一山旅館    2,00    3,00 同   十二丁
新義州停車場ホテル
洋式と和式とがあります。
  洋式
   ▽宿泊料  米式(食事料を含む) 金 八円以上
           欧式           金 三円以上
   ▽食事料  朝食           金 一円五十銭 
           昼食           金 二円
           夕食           金 二円五十銭
  和式
   ▽宿泊料                金 六円以上
   ▽食事料               特別            普通
           朝食           金 二円          金 一円五十銭
           昼食           金 二円五十銭      金 二円
           夕食           金 三円          金 二円五十銭
           

汽車時間表(昭和18年6月現在ー東亜旅行社発行)

 駅 名   北京行   北京行   北京行
釜  山     7:35    8:10   19:40   20:10
京  城   18:20   19:15    5:05    8:10
平  壌    0:30    1:25   10:47   14:58
定  州    3:16    4:27   13:17   17:52
宣  川   通  過    5:14   通  過   18:41
新 義 州    5:57    7:15   15:48   20:42
安  東  −−−−−  −−−−−  −−−−−  −−−−−
この項「新義州〜平壌間(鉄道)」