テープレコーダ(磁気録音再生機)

 風月堂でのアルバイトをした年の暮れの夜、ある商店のショーウインドーをのぞいていたら、赤井電機が発売していたテープレコーダーのキット「AT−2」が目にはいった。価格はと見ると電気部品まで含めて1万5000円弱、メカのみだと1万1000円台であったと思う。いずれにしても当時の大卒初任給よりは高い値段ではあった。

 アルバイトの賃金の内、100時間ぐらいの残業料については新宿の労働基準監督署にも二度ほど話に行ったがそれでも解決せずごたごたしていた。よし、これを早く解決して金が入ればこのキットを買うことが出来ると考えるともう矢も盾もたまらなくなってしまった。

 どうすればいいか思案した後、朝日新聞の夕刊でやっていた「もの申す」という欄に事のいきさつを書いた葉書を投函した。その結果、電話での取材があり、数日後の夕刊に掲載され、やっと予定していたアルバイト料を手にすることが出来た。

 しかし部品までを含めた金額には及ばなかったので、やむを得ずメカだけになったが、それでも手持ちの部品をかき集め何とか組み上げることが出来た。

 ラジオのチューナー出力をつなぎ、再生音が出て来た時の嬉しさと感激はまた格別であったと記憶している。
今となっては貴重な銘板である。(MODEL AT−2)

 磁気録音機はエジソンの蓄音機が発明されてから約20年後の1998年にデンマークの電話技師ポールセン(Valdemal Poulsen)によって発明されたが、第二次世界大戦中には、交流バイアス法が発明され、磁気テープの開発と共にドイツで性能の良い磁気録音再生機が製作されていた。それまでの磁気記録機は記録媒体として鋼線を使用する直流バイアス式のものであった。

 戦争中のことなのでその技術は連合国側には伝わっていなかった。アメリカ陸軍通信隊少佐のJ.マリーン(John T.Mullin)はドイツ放送を傍受する任務についていたが、ヒットラーの演説と大オーケストラの演奏を生放送と信じていたので、連日深夜まで行われる演説とオーケストラの演奏をこなす団員達の精力的な活動と体力を理解することが出来なかったという。
磁気録音再生の原理
 蓄音機は振動盤に取り付けられた針先で記録媒体である物体を傷つけながら記録する機械的な方式であるが、磁気録音機の場合は電磁石に接続されているマイクロフォンの音声信号で磁力線を変化させ、その変化の状態を磁性体に記憶する方式である。

 細長い鋼鉄片に永久磁石を接触させてから離すと、鋼鉄片は磁化される。この原理を応用し、磁性体を長さ方向に沿って強弱を含め、細かく部分的に磁化させると、磁化された磁性体は残留磁気を帯び、NSの極性や強さの違う小さな磁石が並んでいるような状態になりその特性を保持する。これが記録の原理である。

 次に上記の微小の磁石から発散される磁力線を何らかの方法で拾い、磁力線の変化に応じた電圧を発生させてやれば与えられた原信号を再生することが出来る。
○ 記録
 狭いギャップを設けたリング状のコアにコイルを巻いた磁気ヘッドを用い、コイルに信号電流を流しながら図のように磁性体を走らせると、磁性体はギャップの幅の部分だけが漏洩磁界の影響で信号電流の強弱に応じて磁化される。
磁性体は適当な速度で走行しているので一連の連続した磁性の変化として残される。


○ 再生の時は記録された磁性体(鋼線、テープ)を磁気ヘッドのギャップに接触させながら記録時と同じ速度で走行させる。
磁性体の表面には無数の小さな磁石がランダムな方向で並んでいる(即ち信号電流により磁化されている)と考えることが出来、その各々の磁石はNからSに向けた磁束を出しており、この磁束が磁気ヘッドのコイルと交差し電磁誘導作用により起電力を発生させる。
したがって記録時の信号に応じた信号を再現することが出来るのである。

第二次世界大戦以前の開発状況
○ 磁気録音機が具体的な形として初めて製作されたのは前記のとおり1898年であるが、概念としてはエジソンの蓄音機が発明された10年後の1888年にアメリカのオバリン・スミス(Oberlin Smith)が論文を発表している。

 「電話の送話機の先にコイルと電池を直列につなぎ、コイルの中に鋼線を通しておく。このような状態で送話機に信号を送りながら鋼線を走らせればその鋼線は磁化される。逆に磁化された鋼線をコイルの中で走らせれば送話機には鋼線からの磁力線によって信号電圧が発生する。」

○ 
ポールセン(Valdemar Poulsen)(1869−1942) デンマークの電話技師
 
世界で初めて発明された磁器録音機はポールセンによって「テレグラフォン」(Telegraphone)と名付けられた。1900年のパリ博覧会に出品され高い評価を受けた.
 この装置は直径約12cm、長さ28cmの真鍮製のドラムに螺旋状の溝が刻まれておりその溝に沿って直径約1mmの鋼線が巻かれている構造になっていた。ドラムを回転しながらこの鋼線に磁気ヘッドを接触させて長手方向に移動させると鋼線が磁化される。鋼線の走行速度は2m/秒で録音時間は50秒である。

 まだ真空管が発明されていなかったので再生出力は受話器で直接聞く方式であったが音質は驚くほど良かったと言う。
 

 ポールセンはその後アメリカに渡って会社を作り、テレグラフォンの製造販売を行ったが、結局失敗に終わってしまった。
 ただし機器の改良を進める中で直流バイアス法を発明している。これによって録音感度の増大、歪の減少など音質が飛躍的に向上した。
 しかし何故か磁気録音機に対する関心は失われてしまい、1920年代までには世間から全く忘れ去られてしまった状態になったのである。

○ 1920年代の終わり頃、イギリスで記録媒体として鋼帯を使用する磁器録音機が製作された。鋼帯の幅3mm、厚さ0,08mm、走行速度1.5m/秒、周波数特性70〜6,000Hz,SN比40db、録音時間30分の諸性能を有していたが、装置全体の重量が1トンもあるものであった。戦前NHKにも1台輸入されたがあまり使われなかった。

気録音テープの発明
 鋼線や鋼帯が記録媒体として使われていたが価格が高い、磁気ヘッドとの接触が良好でない、走行の安定性が悪い等々の欠陥があり、総合的な磁気録音機の性能向上の隘路となっていた。

 1928年(昭和3年)、ドイツのフロイメル(Frits Pfleumer)が紙テープに磁性紛を塗るというアイデアを考え、世界で初めて磁気テープとそれを使用したテープレコーダを製作した。

 最初に作られたテープの録音再生音は歪の大きいものであった。磁性紛の粒子が粗く、材料自身も脆かったためである。

 その後、フロイメルはメーカー(AEG)にテープレコーダを持ちこみ、以降メーカーで改良が行われることになった。

 AEGによる最初の試作機は1933年(昭和10年)に完成したが、周波数特性は3〜4KHz、高調波ひずみ10%、S/Nは問題にならないほどの悪い値であった。1935年(昭和10年)に最初の商品マグネトフォン(Magnetophon)が出たが、その時の周波数特性は5KHzで歪もかなり改善されていた。

 この時点で第1図のようなリングヘッドが発明されており、短波長における録音能率が著しく改善された。

交流バイアス法の発明
 1930年代後半過ぎまではどの磁気録音機にも直流バイアス法が使われていた。AEGはマグネトフォンを放送局に採用するよう働きかけたが、その当時の性能は78回転のSPレコードよりも劣っていたので採用してもらえなかった。

 1940年(昭和15年)、交流バイアス法が確立され、マグネトフォンに採用した結果、その性能は飛躍的に向上した。周波数特性は10KHzまで伸び、ダイナミックレンジ65db、歪率は3%に改善された(DCバイアス法使用時は周波数特性5〜6KHz、ダイナミックレンジ40db、歪率5%)。

 交流バイアス法の発明は、回路の実験中に高質の録音再生が行われている現象に気がついた。その原因を調べた結果回路が異常発振を起こしたためであることが判明し、交流バイアス法発明の端緒になったのである。

 交流バイアス法を採用したマグネトフォンによって全ヨーロッパに高質の録音放送が送られたのである。

○ 交流バイアス法は日本でも独自に開発され、昭和13年(1938)、五十嵐悌二、石川誠、永井健三の3氏によって特許出願されている。

第二次世界大戦後の発達状況
 戦後、ドイツのマグネトフォンをアメリカに持ち帰ったJ.マーリンは、これをもとにして機器を製作した。後にアンペックス社が大量に生産を開始し、各放送局で採用された。以後、テープと共に改良研究が行われ、今日にみるような製品となったのである。

 なお日本では、昭和25年(1950)、東京通信工業(現在のソニー)からテープコーダの商品名で発売された。