蓄音機の発明
グーテンベルクによる活字印刷術の発明は人類文化史上における最大の功績ではないかと思うが、エジソンの蓄音機の発明もこれに匹敵する恩恵を我々に与えてくれたのではないだろうか。 発明者であるエジソン自身が,自分で製作した円筒式蓄音機からの音を初めて聴いて飛び上がるほど吃驚したそうであるが、さもありなんで、人類は文字に続いて音声を記録として永久に残すことが出来る手段を獲得したのである。 |
1877年 トーマス・エジソン(Thomas Edison)は、直径約10pの円筒形に錫箔を巻きつけた円筒型の蓄音機を発明しフォノグラフ(Phonograph)と名付けたが、その後は手がけていた白熱電球の開発に夢中になり、蓄音機の研究を一時中断した。
しかし他の人によって蓄音機の改良研究は引き続き行われており、音質の悪い錫に変わって蝋を用いたり、針の材料を変えたりしている(グラフォフォンと名付けられた)。 また1887年(明治20年)にはエミール・ベルリーナ(Emile Berliner)が円盤型の蓄音機を発明しグラモフォン(Gramophone)と名付けた。 寺田寅彦は円筒管式蓄音機の再生音を初めて聴いた時の様子について、随筆「蓄音機」の中で書いているが、その内容は非常に興味深い。エジソンの蓄音機が発明されてから16,7年後の中学3年生か、4年生の時であったというから明治26年か27年(1893年または94年)頃のことである。 全校生が講堂に集められているところへ文学士某が(理学士でなく文学士というところが妙であるが)蝋管式の蓄音機を持って現れた。その歴史、原理構造などを説明した後、吹き込みラッパに口を押し当てて機械を回し始め、大声で「ターカイヤーマーカーラアヽ」と歌い出した。どのようなことが展開されるかと興味津々であった中学生一同、さぞかし度肝をぬかれたことであろうと私は想像するのだが、実際クスクス笑い出した者もいたようである。 その地方の民謡か何かを歌い終わった後、文学士は汗をふきふき今度は再生用の振動膜とラッパを取り付け再び機械を回し始めた。すると妙に押しつぶされたような鼻声ではあったが、確かに先ほど文学士が吹き込んだ音がかなり忠実に再現されたので、一同感嘆しまた笑い声が起きたというのである。 寅彦は蓄音機で音楽を聴くことの出来る効用は認めているが、生で聴く音に比べてのあまりの音の悪さや雑音、そしてスクラッチ・ノイズには我慢が出来なかったようだ。この随筆が書かれたのは大正11年(1922)であるが、1924年(大正13年)には電気録音方式が発明されており音質その他大はばに改善されている(電気録音方式の周波数特性は100〜5000Hz)。このレコードを聴いたらどいう感想を述べただろうか。 エジソンのフォノグラフ第一号機では、吹込み用のラッパの前で怒鳴るような大きさの声で録音しても、再生音はやっと聞き取れる程度であったそうである。 寺田寅彦が聞いた頃にはかなり特性も良くなっていたと考えられるが、それでもトータルシステムとしての再生帯域は300〜1500Hzであったというから聴くに耐えないという感想ももっともである。 一旦蓄音機の研究を放棄したエジソンは約10年後に再び研究を始めたが、最終的にはベルリーナの円盤式蓄音機に軍配があがった。
LPレコード 1948年(昭和23年)にアメリカで発表された。それまでのSPレコードは30センチ盤で4分半の演奏時間だったが、30センチで30分の演奏時間、再生帯域も広がり、針音がなく、S/N(信号対雑音比)が改善されてダイナミックレンジも広がった。 日本で純国産のLPレコードが発売されたのは1953年(昭和28年)である。 昭和31年(1956)当時、新宿の風月堂には2000枚以上のLPレコードがあると言われていたが、1枚2000円以上の価格だったはずで、どうしても欲しいレコドを月賦で買った記憶がある。 高校の国語の教科書にベートーベンが第九を指揮した時の逸話がのっていたが、音楽好きの教師が10数枚のSPレコードをうんうん言いながら教室まで抱えて来て蓄音機にかけたことを思い出す。 |
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