ラジオ放送の歴史

 1920年11月  アメリカのペンシルバニア州ピッツバーグでウエスチング・ハウス(WH)社がコールサインKDKAで実験放送を開始した。アメリカ商務省の正式免許を受けたのは2年後の1922年11月であるが、これが正式なラジオ放送の最初である。この頃には放送局の数が500局を超えたという。

★1865年、英国の物理学者マクスウエル(1831−1879)が電磁波の存在を理論的に予言、1888年,ドイツの物理学者ヘルツ(1857−1894)によってその存在が実験で証明された。

 そしてヘルツの実験を雑誌の記事で読み無線通信の実用化に道を開いたのが、ロッジ、ポポフ、マルコーニらであり、1901年、マルコーニは大西洋間の横断通信実験に成功した。

 しかしマルコーニの火花放電式の電波では音声信号の送信は出来ず、それには持続波が必要であり、さまざまな研究開発が行われた。

 ○直流アーク放電している電気回路にコンデンサーとコイルを接続し高周波の持続波を発生させる方法(同調回路による共振現象の利用)。

 ○1903年 アーク放電式の改良が行われた(電狐式送信機)。
  水素ガス中の銅電極に強い磁界を加えて直流アークを放電させ、この放電回路に並列に設けられたLC共振回路に直列に送話器を挿入、発生した高周波電流の振幅を音声信号で変調した(デンマークのパウルハウゼン)。 

 ○1906年、GE社のフエッセンデンは、アレクサンダーソン(スエーデン)が製作した高周波交流発電機を使用し、発電された電流振幅を送話器で変調した。クリスマス・イヴににニューヨーク近郊の実験所から演説と音楽の実験放送を行った(初めてのラジオ放送である)。

 ○コヒーラ検波器では音声電波を検波することは出来ない。アメリカのピカールによりシリコンが検波に使えることが発見され、鉱石検波器の発明となった。

 ○1908年 ド・フォレストがパリのエッフェル塔から実験放送を行ったとされる。

 ○1907年 3極真空管が発明され、1915年には真空管による発振回路が発明された(ハートレー発振回路)ので送受信機器は飛躍的な発展をとげるようになった。

 ○1909年頃からアマチュア無線電波による放送が盛んに行われるようになり、特に第一次世界大戦では電信の利用が必要になったので、無線機や真空管の研究が活発となった。

 ○1918年 WE社のコンラッド技師がアマチュア無線によって定期的な放送を始めた。

★日本での実験放送
 ○大正11年(1922)3月 上野公園で開催された平和記念博覧会場と東京朝日新聞本社との間でニュースや音楽の実験放送を行った。


大正12年(1923年) 関東大震災が発生。ラジオ放送の必要性があらためて認識されるようになった。

日本でも開局の出願が100件以上になり、東京では28社の申請があったが、逓信省の指導により1本化され、後藤新子爵を総裁とする東京放送局が設立され、大正13年11月29日に許可がおりた。

大正14年(1925年3月1日放送開始を目指して準備に入った。

 
送信機
当時、ウエスト・エレクトリック社製送信機500W)日本電気が所有しており、それを購入して使用する予定であったが、ライバルの大阪放送局(夫々別個の企業体であった)が先を越して購入してしまった。
あわてて上記のウエスト・エレクトリック社に発注したが翌年の放送開始には間に合わないので、東京市の電気試験所にあったゼネラル・エレクトリック社製無線電信電話兼用送信機(200W)を借用することで交渉が成立、放送用に改修する作業に入った。

● 敷 地
スタジオ
田町駅付近の埋立地にあった東京高等工芸学校の図書館スタジオ施設とした。広さは16坪(約53平方メートル)だったが、中を仕切って出演者の休憩室にあてた。
送信機室
同じ敷地内の木造別棟の一部を送信機室にした。

縦 2間半(約4.5メートル)、横 1間半(約2.7メートル)の広さの畳敷きの部屋に、送信機、発動発電機、グリッド・バイアス用の電池を設置。

使用周波数は波長375メートルコールサイン JOAK
空中線柱
隣接地に逓信省の電気試験所があったが、移転したあとに木製の高さ40メートルの空中線柱が残されていたのでそれを使用した。
● 検査不合格
大正14年2月26日から逓信省の落成検査が開始された。これは現在でも同様である

検査の結果は「未完成な設備で仮放送を行うにも不適格である」として不合格になってしまった

企画書に記載されていた出演者の休憩室が出来ていなかったこと、調整室が狭くてとても放送にはならないなどが理由であったようである。

慌てたのは放送局である。すでに3月1日から放送開始ということを新聞や広告で宣伝しており、各地に「祝放送開始などというポスターが掲げられていたので、電波を出さないわけにはいかない羽目になっていた。そこで何とか試験放送ということにして電波を出す了承を得、1日から放送を開始することが出来たのである。
 仮放送開始
その後、不備な個所を改修し、合格と判定されたので、3月22日午前9時30分、試験放送から仮放送に切り替えられた。

NHKはこの日を放送記念日としている。
● 本放送
大正14年7月12日、愛宕山に建設した施設から本放送を開始。

送信機 ウエストン社製送信機(1KW)を日本電気経由で購入した。
空中線 自立三角鉄塔 高さ 45メートル。水平部 28メートル 4条の逆L型アンテナ
電池室 300A/hの鉛蓄電池50個を設置、停電に備えた。
● 日本放送協会の設立
大正15年8月6日本放送協会が設立され東京放送局大阪放送局(大正14年6月開局名古屋放送局(大正14年7月開局の3局が統合され、今日に至っている。

NHK
という名称は、戦後、GHQの指示でつくられたものである。
● 民間放送の出現
1950年(昭和25年)6月1日に、電波三法が施行され民間放送の開設が可能となる。

1951年(昭和26年)9月1日 中部日本放送、毎日放送が放送を開始した。
           12月25日 ラジオ東京(東京放送)が6番目の民放として開局。

※主な参考資料 放送技術(昭和49年4月号) 「東京放送局開局前後の思い出」(久我桂一)