ラジオの想い出
昭和20年8月15日、日本が敗戦国となった日から北朝鮮にいた我々の生活は大きく変わったが、早々にラジオを取り上げられてしまったこともそのひとつである。 それ以来、何時引き揚げることが出来るか全く情報がなく、希望的観測を含めた噂の類に振り回されて一喜一憂する生活が続いた。 ★1943年(昭和18年)8月に新義州放送局(呼び出し符号 JBLK)が開局している。それまでは対岸の安東放送局を聴いていた筈。 |
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昭和21年(1946年)11月末、本籍地に引き揚げて来た時、久しぶりに聞いたラジオ受信機である。 高周波1段増幅式の4球受信機で、昭和10年ごろ製作されたものだと思う。 |
現在ではラジオ受信機はIC化され名刺サイズの大きさまでに小型化されてしまったが、これは高さ50センチ、幅30センチの木の箱に収められている。 中身の真空管や部品等、全部分解してしまい、シャーシー、スピーカーなどが残っているのみであるが、埃や汚れを払って居間において眺めていると、当時夢中になって聴いた色々の放送番組が次から次へと思い出されて来る。 ○プロ野球中継といえば阪神タイガースのサード藤村、キャッチャー土井垣、センター別当、ピッチャー若林、真田・・・・・・ ○軽快なメロディーで始まる「今週の明星」 ○筋の展開が待ち遠しかった「鐘の鳴る丘」 ○和田信賢アナウンサーの「話の泉」 ○”カムカム・エブリボディ”のユニークなテーマ音楽、平川唯一の「英会話教室」 挙げはじめると限がないが中でも胸とどろく想いで聴いたのが内村直也の「えり子とともに」だ。音声は映像と違い、聞く人の想像力を果てしなくかき立てる。主役の阿里道子の甘い声とセリフは少年の心を魅了し、今でも耳に焼き付いていて離れない。 |
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戦争中、国民型受信機と云われたラジオに使われていたマグネチック・スピーカー。 使用真空管 高周波増幅用 UY224 再生検波用 名称不明 電力増幅用 UY247B 整流管 KX12B |
1957年(昭和32年)、ソニー(当時は東京通信工業株式会社)が発売したトランジスタラジオ「TR−63]の広告。 右下に価格が13,800円と小さく表示されている。大卒初任給は1万円前後だった。 裏に規格が書かれている。 トランジスタ6石式 スーパーヘテロダイン (トランジスタ 6コ ダイオード 2コ) パーマネント ダイナミック スピーカー 2”1/4 9V積層乾電池 寸法 112×71×32MM 重量 300gr 補助イヤホーン 1コ ポケット携帯用皮ケース付 |
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