平壌ー元山間

1995年4月25日、平壌、元山間(172Km)、元山、金剛山間(114Km)を夫々自動車で往復した。

日程

1995年4月25日16時30分、平壌出発ー18時30分、元山着

     4月26日 元山から通川、海金剛を経て金剛山ホテル

     4月27日 金剛山の九竜淵まで遊歩登山

     4月28日 金剛山ホテル出発、元山の青少年訓練所を見学、平壌に帰着

◇平壌から元山まで
 平壌、元山間は一応高速道路となっているが、コンクリート舗装の道幅の広い道路というべきである。片側3車線、20メートル前後の幅位に感じた。土盛りはなく、従って人間が自由に横断していた。

 冬の凍結等によるコンクリート面の亀裂の補修がされておらず、自動車が100キロ近いスピードで走るせいもあり、車の天井に頭をぶっつけることしばしばであった。

 写真にみられるような補修作業らしきものをやっていたが、どの程度効果があるのだろう。

 途中、何箇所かトンネルがあったが、トンネル内は照明設備がなく、自車の前照灯による照明のみである。ただし壁面の両側には反射塗料を塗った板片が貼り付けてあるので、それらが車の前照灯によって反射されるので、あたかも電灯のように見える。

 沿線を見ていて真っ先に感ずるのは、電力用の送電鉄塔が全くないことである。僅かに木製の電柱が申し訳程度に立っていた。これは電力は各地夫々で調達するという金日成の賢明なる指導のためであるとどこかの書物で読んだ記憶がある。
 
右端の写真は平壌近くで見たもので若干規模が大きいが、それでも木柱である。

元山に近づくに従って民家が多くなり、通勤のための人の群れが見受けられるようになってきた。

 元山へは初めてなので昔の町並みは知る由もないが、建物の作りからみて、やはり朝鮮戦争によって全て破壊された後に、新しく再建された街であることがみてとれた。

 宿舎のホテルに入る前に、車は元山港近辺を走った。アメリカのスパイ船として北朝鮮に拿捕された「プエブロ号」が繋留されていたが、水兵服を着た軍人姿があったので、ちゃっかりと現用使用しているのに思わず苦笑させられた。

 夕方の公園風景。

◇金剛山ホテルにて
 元山で一泊し、翌日は途中で海金剛を見学し、金剛山ホテルへ向かった。

 ホテルの前方の広場では、祭りが行われていて、昼夜民族舞踊を見物することが出来た(義中先輩の故古山高麗雄氏が飛び入りで踊りに参加)。市場も開かれており、一寸覗き見をしていたら、大学で建築学科に在籍していると言う女性が、端から端までの商品を懇切丁寧に説明してくれるので、何か買わざるを得なくってしまった。

 ホテルから少し離れたところに金剛山温泉と称する温泉があったが、銭湯という程度のものである。「温井里温泉」が近くにあるのでそれかと思ったがそうではなかった。

◇元山青少年訓練センター
 金剛山を見学して元山を通過するときに、青少年訓練センターに連れて行かれた。当初は金日成の保養所か何かを建てる予定であったが、金日成の暖かい配慮で、各国からの青少年を集めて訓練する訓練センターを作ることになったという説明であった。

 正面ロビーには、金正日が子供の時に使ったという直径2メートルはあろうと思われる大きな地球儀が展示してあった。

◇東明王稜

 
平壌に帰る途中で「東明王稜」に寄ったが、時間がなくて内部を見学することは出来なかった。