新宿風月堂(通 訳)

                                                                         昼と夜は食事のため外に出なければならない。風月堂を出て数十メートルも歩けば食事の出来る店はどこにでもあった。中央改札口の方へは行かずに四つ角を右に曲がると三越デパートの裏手になるが、地上1メートル位から上がガラス張りになっていて店の中がよく見える「白十字」という喫茶店があった。レコードはかかっていたように記憶しているが、音楽喫茶と言うよりは、バックミュージックとして音楽が流れていたと言う印象である。外から見ていても小奇麗な感じのする喫茶店であった。

 
 この喫茶店のオーナーは在日朝鮮人で、その後北朝鮮への帰国運動が盛んであった昭和30年代後半に、店を全て処分し北朝鮮へ行ったということを新聞のコラム欄で見たような記憶がある。地上の楽園という宣伝に乗せられて多くの在日朝鮮人が北朝鮮へと帰って行ったが、大部分は迫害され、悲惨な境遇に陥って居るという事である。果たして「白十字」のオーナー氏はどのような運命をたどったのだろうか。私は敗戦後、北朝鮮から着の身着のままで引き揚げて来た経験があるので共産圏の政治、一般民衆の生活等肌に感じて知っている積りである。これらのことは、また別の形で書いておきたい気がする。
 
 風月堂のオーナーは横山さんという人で当時40才前後くらいだったと思う。大体は奥の事務所で仕事をしていて昼間は滅多に顔を見せないが、夕方近くになると入り口のドアの付近に折畳式の椅子を持ち出し、腕組みをして座っていた。何をするでもなくただ何となく店の中を見まわしていた。背は高く痩せ形で、眼鏡をかけていたが、なかなかハンサムな感じのする中年紳士といったところであった。横山夫人は活発な人で、毎日レジで忙しそうに立ち働いていた。時々小学校5,6年生くらいの息子さんらしきのが入り口で跳んだりはねたりしていた。後年この息子さんが、ヒッピーやフーテンの溜まり場となってしまった店に嫌気がし、風月堂を閉じ、カレー屋に模様替えした。更に後にはこのカレー屋も立ち行かなくなったのか、店そのものが人手に渡ってしまったとの事。新聞のコラム欄で知ったことである。

 ある日の夕方、外に出ようとして入り口近くを通りかかった時、横山さんが立ちながら2,3人の外国人と何やら話をしていた。すり抜けて行こうとすると呼び止められた。言っていることがよく分からないので通訳をして欲しいと言うことである。私だって英語が出来るわけではないのだが、どうして声がかかったのか。出来ませんと言って断ればそれまでの事だったのだが、何となくその場の雰囲気に引き込まれてしまった。話しの内容がどんなことであったか全く記憶していないが、ともかく 「Speak Slowly」 くらいのことは言ったに違いない。何分間のやり取りの間に何とか意味が通じ、役目を終えることが出来た。その間「Yes]と言ったり、「いや、違います」と言ったりしどろもどろでの応対であったことは間違いない。しかしこの件で面目を施して以来、それ以降度々横山夫妻といろいろと親しく会話を交わすことになったのも忘れる事の出来ない思い出である。(通 訳)(00/09/02)

(空等設備)