新宿風月堂(家庭教師

 7月に入ると長い夏休みが始まる。なにかアルバイトをと思い、学生課の掲示板を見に行った。2ヶ月という長期の口は結構あったが、1ヶ月という期間のものは少なく、2〜3日通っているうちに、冷房工事の現場監督という張り紙を見つけたので紹介状をもらい京橋にある会社に出かけた。社長のYさんが独立して作ったという社員数名ばかりの小さな会社で、以前在籍していた会社から冷房装置の据付工事を請け負ったということであった。アルバイトの私にとってはあまり関係のないことで別に気にもしなかったが、あとで発注元の親会社と下請け会社のY社長との間で私の残業代をどちらが払うかということでもめたようで、なかなか払ってもらえず労働基準監督署に2,3回通って事情を説明するなど、ごたごたが半年も続くとは夢にも思わなかった。

 それはともかく、据付工事が始まるからこれからすぐ現場に行こうということで連れて行かれたのが、新宿の三越デパートの裏にあった風月堂だったのである。
現在でも同じだろうと思うが、工科系の学生は、昼間の授業がびっしりと詰まっていてそれを欠席するということは不可能なことであった。朝8時から2時間ずつの講義、午後は実験や演習ということになっており、開放されるのは5時以降であった。

 家からの仕送りだけではやっていけなかったのでアルバイトをしなければならなかったが、5時以降ということになると職種も当然限られてくる。家庭教師のアルバイトなどは人気の高い職種で、希望者が多くいつも抽選が行われていた。もっとも私の場合、教える相手は高校2年生の男子で英語と数学を重点にというのが条件だったから、文科系の学生にはそこで敬遠され、運良く私に回ってきたのである。

 目黒駅を降りて右方向に20分ばかり歩いたところにある「岐山」という観光旅館の長男が私の生徒であった。大変大きな旅館で、はっきりとは覚えていないが毛利元就の直系かあるいはその傍系かの子孫が経営しているということであった。庭園には大きな築山がありかなり広かったから、大名屋敷の跡地を旅館にしたのかもしれない。
 本人は大学の付属高校に在学していたので受験勉強をする必要はなく、またアメリカンフットボールに熱中していたせいもあって、進学に必要な程度の成績をとっていればよいという態度だった。しかしかなり出来のいい生徒だったと思う。私自身も教えていて例えば数学の問題が解けなくて困ったというような記憶はない。なんでも彼の一学年下のクラスには津川雅彦がいるといっていた。

  夏休みになって家庭教師の方も当然手空きになったので、その間の学資稼ぎをしなければならず初めて肉体労働のアルバイトをすることになったのである。
 時間は9時から夕方5時までで日給300円という契約であった。初めのうちは明るい時間内に帰ることが出来たが、のちには毎日夜の10時半ごろまで店にいるような勤務状態となってしまった。いずれにしても全てが初体験ばかりのことで、実社会に出れば遅かれ早かれ経験するようなことをこのアルバイトを通じて少し早く知ったということになるのであろうか。仕事の不慣れで雇われ先の社員から文句をいわれる、アルバイトとはいえ施工業者の側の人間として施主側の従業員から無理な注文をつけられる等々、がらんとしている寮に帰ってからずいぶん腹を立てたことなど、今はむしろ懐かしい思い出である。(家庭教師)(00/07/14) 
(アルバイト)