對山館(たいざんかん)とは



 
明治22年(1890)、長野県大町市(当時は北安曇郡大町)八日町の大火で、百瀬金吾は家財の一切をなくし今まで家業であった問屋業を断念し、旅館業を営むことを決意して翌年の明治23年に旅館「對山館」の創業が開始された。
 「對山館」と名づけられたこの旅館は、地元では古くからの問屋の屋号を慕って「やまちょう」と呼ばれていた。
金吾の息子慎太朗は「對山館」誕生の2年後に生まれた。
 やがてこの旅館「對山館」は慎太朗の代になって、日本近代登山を支える重要な役割を果たす舞台となり、文学・芸能を楽しむサロンとなっていくのである。
 そんな有名な名前を頂きました。