海尻 あれこれ


しらびそ小屋

北八ヶ岳標高1962メ−トル、みどり池にある山小屋です。 1962年(昭和37年)に開かれました。
主人(あるじ)は今井行雄さん、1935年南牧村海尻に生まれる。 兄である治夫さんの後を継ぎ1962年より山小屋を始める。
大自然にすむ野生のリスの餌づけを始めてから35年余り、
この山小屋はリスたちの共同のえさ場となっているようです。

 絵本
  『もりの ちいさな にんきもの』 [かがくらんど11月号]
                               1986年発行
  『もりのにんきもの ・ りす』 [かがくらんど2月号]
                               1994年発行 
  『りすときのみ』 〔サンチャイルド・ビックサイエンス10月号〕
                               1997年発行
      に紹介されています。


作詞家 いで はく さん

本名は、井出博正さん1941年南牧村海尻に生まれる。 早稲田大学商学部卒。
1971年作詞家遠藤実氏に師事し作詞の道に入られる。 1973年『親子流し唄』(一節太郎唄)でレコ−ドデビュ−。
1976年『すきま風』(杉良太郎唄)から本格的な作詞活動に入り今日に至る。

主な作品
   『北国の春』(千 昌夫唄)
    白樺 青空 南風 こぶし咲くあの丘 北国のあゝ北国の春.....
   『北のふるさと』(森進一唄)
   『あれから一年たちました』(小林幸子唄) 等々


作詞家 山川 啓介 さん

本名は、井出隆夫さん1944年長野県佐久に生まれる。(本籍は南牧村海尻です)
上田高校卒。早稲田大学文学部卒。 大学の演劇部にて脚本家、山川啓介として活躍が始まる。
その他にも作詞家・音楽構成家・舞台構成家・訳詞家、等々多方面で活躍されていた。
2017年7月24日に72歳で世を去る。

山川啓介さん主な作品
  作詞
   『太陽がくれた季節』(青い三角定規唄)
     君は何を今 見つめているの 若い悲しみに
     濡れたひとみで.....
   『ふれあい』(中村雅俊唄)
     悲しみに 出会うたび あの人を 思い出す.....
   『時間よ止まれ』(矢沢永吉唄) 
   『聖母たちのララバイ』(岩崎宏美唄)
   『ひまわり』 『ふるさとのない秋』 『ロ−ラ−天国』 等々
  訳詞
   『哀愁のカサブランカ』(郷ひろみ唄)
  舞台構成
   『中尾ミエ』『由紀さおり姉妹』


井出隆夫さん主な作品
  作詞
   『北風小僧の寒太郎』(北島三郎唄)
      今年も町まで やってきた ヒュ−ン ヒュ−ン.....
   『母さんは雪おんな』 等々、子供のための作詞
  台本
   NHKテレビ[おかあさんといっしょ]の人形劇、『にこにこ・ぶん』 
   『ドレミファ・ど−なっつ』 の台本など

   『写詩集 感傷旅行ガイド』 写真・真島満秀
                 詩 ・ 山川啓介
 2000年3月30日初版

小海町松原 猪名湖の湖畔


左は 井出隆夫さん (北風小僧の寒太郎) 歌碑

右は 隆夫さんの祖父 井出八井 (井出重儀)さんの短歌の歌碑

明治20年南牧村海尻に生まれ、小学校教員として大正5年北牧小学校松原分校に赴任、
昭和13年退職までこの学校に在職、享年53歳、
歌集には『背景』『氷の湖』『井出八井歌集』などがあります。
昭和39年8月30日 歌友、門弟によって建立

歌碑
鳥が鳴く山のふもとのみづうみの
            あかときちかく樹に鳥が鳴く


俳優 畠山 麦 さん

畠山 麦(はたけやま ばく)さん。 1944年〜1978年
本名は、畠山昭夫さん1944年南牧村海尻に生まれた。 高校卒業、自衛隊に入隊。 その後、俳優を目指し、青春ドラマや子供向けテレビドラマに出演する。
1978年7月13日に34歳の若さで世を去る。

出演ドラマ
   『時間ですよ』 TBS(1970)    『ガッツ・ジュン』 TBS(1971)
   『ジキルとハイド』 CX(1973)   『猿の軍団』 TBS(1974)
   『秘密戦隊ゴレンジャ−』 NET(1975)
   『少年探偵団』 NTV(1975)ナレ-タ−
   『怪傑ズバット』 12CH(1977)  『気まぐれ本格派』 NTV(1977)  



地名の由来


南牧村

南牧は、江戸時代からある地名です。
明治4年に廃藩置県が布告され、海尻村・海ノ口村・広瀬村・板橋村・平沢村に分かれていました。 明治22年に市町村制実施の際合併され南牧村となりました。

板橋村は、明治9年から板橋と樋沢が合併して大明村となり明治22年に分かれて再び板橋村となる。


海 尻

大昔八ヶ岳が崩れて海尻の下の深山(したのみや)で、千曲川をせき止めてしまいました。
その為、大きな湖水が出来ました。 この湖の入り口が海ノ口と言われ、湖の出口が海尻と名付けられました。
また、海ノ口の先千曲川の上流には広瀬と言う地名もあります。

南牧村誌には、平安時代の仁和4年(888)八ヶ岳の爆発による崩壊によって千曲川がせき止められ、その上流に湖が生じた。 この頃松原には既に人が住んでいたとあります。



灯明岩

海尻の湯川渓谷に灯明岩という地名があります。
江戸時代・元禄16年(1703)に長野の善光寺本堂建立するにあたり、八ヶ岳より柱にするための材木を奉納しました。
八ヶ岳のふもとから木を切って途中まで運んで来ましたが、日が暮れて困っておりました。 その時、屏風(びょうぶ)の様な形をした岩が不思議にも灯明がついた様にかがやきだしました。
この光をたよりにして、無事に材木を引き出すことができ、この岩を灯明岩と言うようになったそうです。

善光寺本堂は、元禄16年(1703)に徳川幕府が松代藩に命じて工事に取りかかり、宝永4年(1707)に完成した。