たむきくんさん 「生存欲求が静まった時、解脱がおとずれる」 2004,10,20,
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たむきくんといいます。
宜しくお願いします。
日本テーラヴァーダ仏教協会のスマナサーラ長老の本に生存欲求が静まった時
解脱がおとずれるとありました。解脱には八段階(八解脱)あると思いますが、
どの段階の解脱にあたるのでしょうか。
それではよろしくおねがいします。
たむきくんさんへの返事 2004,10,20,
拝啓
メールを頂きありがとうございます。
しかしながら、いささか戸惑っております。
と申しますのは、私自身は「生存欲求が静まった時解脱がおとずれる」という言い方もしたことがありませんし、「解脱には八段階(八解脱)ある」という表明もした覚えがありません。私の言った覚えのないことについて、たむきくんさんは、どうして私に尋ねてこられたのでしょうか?
もしそのことについて知りたいとお考えなら、スマナサーラ長老御本人にお訊きになった方がいいのではないかと思います。日本テーラワーダ仏教協会のホームページ(http://www.j-theravada.net/)に質問を受けつけるコーナーがあったかと思います。
「生存欲求が静まった時解脱がおとずれる」という言葉の意味を勝手に想像して私自身の言い方で言いかえてみます。
「自分を筆頭とする執着の対象が、持続的実体ではなく、無常にして無我なる縁起の現象であったと腹に落ちて納得して、執着の自動的反応が根こそぎ停止すると、もはや苦を作ることはなくなり、慈悲が執着の制約なしに働き出し、軽安に今を生き、軽安に死に向かうことが可能になる。」
しかし、スマナサーラ長老がどのような文脈で言っておられるのかまったく存じ上げないので、私と同じ主旨を述べておられるのか、よく分かりません。
「解脱の八段階」とおっしゃる件も、それほど細かく分けて考える必要性を感じるほどには、私はまだ「解脱」に近づいておりません。
また「解脱」という言葉も、我論的ニュアンスを帯びているように感じるので、私としては、なるべく使わないようにしています。(何かが、束縛を「解」いて、束縛から「脱」する、というようなニュアンスを感じさせ、持続的実体があるようなイメージを植えつける危険性があるように思う。)
失礼ながら、たむきくんさんご自身が、「生存欲求を静めて、その結果、解脱のどれかの段階が訪れた」、という訳ではないだろうと推測します。頂戴したような疑問は、そういう段階に近づいてからお考えになっても遅くないのではないでしょうか。
老婆心ながら、専門的・技術的な問題ではなく、たむきくんさんが今直面しておられる問題に向き合われた方が宜しいのではないかと思います。
もし、頂いた御質問が、たむきくんさんご自身が今直面しておられる問題に取り組む中で生じたものであり、理由があって私の意見を聞きたいということであれば、それらの背景についても詳しくお知らせ下さい。お役に立てるかどうかは分かりませんが、ごいっしょに考えさせて頂きます。
お便りお待ちしています。
敬具
たむきくん様
2004、10、20、
曽我逸郎
たむきくんさんから再び 2004,10,20,
たむきくんです
突然突拍子もない質問をぶつけてすみませんでした。仏教を研究されているなら
ひょっとしたらご存知かとおもったので。日本テーラヴァーダ仏教協会の掲示板
にも質問したんですが、答えが返ってこなかったのでこちらで質問してみました。
それでは
たむきくんさんへ 再び 2004,10,21,
前略
テーラワーダ協会にも尋ねておられたのですか。それは失礼いたしました。
メールで返事がもらえないのであれば、冥想会とかに行って直接質問をぶつけてご覧になれば、なんらかの返事はもらえると思いますよ。
いずれにせよ、私は「解脱」を八段階に分ける必要性を未だ感じておりませんし、「解脱の八段階」と仰っているものにもピンと来ておりません。
もしかすると、余流果、一来果、不還来果、・・・等のことで、数え方によっては八つになるのでしょうか? であれば、私自身は、転生輪廻は仏教に忍び込んだ非仏教思想だと思っているので、この分類は、あまり真面目に考えておりません。
あるいは、四禅と四無色定を指しておられるのでしょうか? その場合も、私はそこまでのレベルには達しておりませんので、やはりお答えする能力はありません。
いずれにせよ、正直に申し上げると、頂いた御質問からは、技術的な問題にかかずらっておいでのように感じています。たむきくんさんの実存に関わる問いなのでしょうか?
あるいは、私が気付いていない問題を提起して頂いているのであれば、是非詳しく御教示頂ければと存じます。
草々
たむきくん様
2004、10、21、 曽我逸郎
たむきくんさんから 3通目 2004,10,21,
たむきくんです。
八解脱は禅定の八段階です。それは初禅、二禅、四禅、空無辺処、識無辺処、
無所有処、非相非非相処、滅尽定の八つです。滅尽定が最終の解脱で阿羅漢の
境地です。輪廻転生はお釈迦様もジャータカで認めてらっしゃったと思いますよ。
実存に関わる問題ではないですが、瞑想して経験したことなので単なる技術的
な問題ではありません。瞑想は単なる技術なんでしょうか?仏教の実践そのもの
だと思います。
それでは