中山さん 輪廻と執着 2003,12,24,
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曽我逸郎 様
中山と申します。
私も仏教哲学に興味があり、いつも読まさせていただいています。
さて、突然ですが輪廻の問題と執着の問題について述べさせていただきます。
確かに、ダライラマの著書を読むと、輪廻を認めており、輪廻に伴う死後の世界も認めているように読めます。(例えば、「空と縁起」 同朋舎出版)
●輪廻の問題に関して
私は輪廻も含めて、ダライラマに代表される(現代)仏教には矛盾があると思います。
1、輪廻や死後の世界(中有など)などについて
そもそも、釈迦は形而上学的なことには、無記として話さなかったのだから、
それだと輪廻転生や死後の世界なども十分形而上学的なことなのだから、
釈迦がそれを唱えたことはおかしくなる。
しかし、現代の仏教はそれを唱えているのである。
無記 ---> <--- 輪廻説
2、非婚や非出産や出家について
又、釈迦は極端な主張や修行を避けて、中道を唱えたのであるから、
それだと出家や非婚や非出産などを唱えることも十分極端なことなのだから、
中道に矛盾することになる。
しかし、現代の仏教はそれを修行として実践しているのである。
中道 ---> <--- 非婚、出家、非性交、等
●「執着を離れる」ことの意味に関して
そもそも、「執着を離れる」という言葉の意味を、「全ての欲望を消滅させる」
という意味にとったことが最大の問題点なのだと思う。
おそらく釈迦が言ったのは、そのような極端な主張ではなく、
「実現できない欲望に執着してはならない。
それは苦しみを生むだけである。」
ということだったんだと私は思う。
これならば無理がない。これならばわかる。
だから、何に執着してはならないかは、その個人や社会や時代や状況によって異な
る。
確かに全ての欲望が無くなれば、苦もなくなるだろう、という推測が働く。
しかし、そんなことは出来るわけが無い。
出来るとしたら、植物人間になって眠り続けるしかない。
●仏教と社会の矛盾点
もしダライラマの教団のような(彼ら)仏教が本当に広まったのならば、
人類は滅亡する。
なぜならば、結婚もしないし、子供を作らないから。
もしある閉鎖集団内にて(彼らの言う)仏教が広まったのならば、
約100年でその集団は消滅してしまう。
これは「カルト」ではないのか?
たしかに、「性交をしない」「子供を作らない」ということは、
直接に人に迷惑をかけることではない。
しかし、長期的にみると、明らかに反社会的な行動なのである。
これは、性交の相手がいないから性交ができない、という問題ではない。
自らの意志によって子供を作らないのならば、そしてそれを集団で行うのならば、
それは明らかに国家の消滅を意味することになる。
これが見過ごされているのは、幸いにもそこまで「忠実な」仏教国家がこれまで
生まれなかっただけにすぎない。
又、輪廻説も危険である。
何故ならば、輪廻を認めてしまうと、現在の人生も数ある人生の内の一つに過ぎない、
ということになり、それは現在の人生は重要なものではない、という見方に繋がるからである。
死後の世界も同様で、死後の世界の人生の為に現在の人生の価値を否定することになる。
これが極端になると、「良い輪廻」や「良い死後の世界」のためには何でもする、
という思想に繋がる危険がある。
私は、人生が一回であり、輪廻も死後の世界もないからこそ、
自分の人生が重要なものとなり、他人の人生も重要なものとなるのだと思う。
このような反社会性から見ても、彼らの主張は極端であり、危険でもある。
(ダライラマの言う)仏教にはカルト的な要素が存在している。
このメールは公開してもかまいません。
縁起、空、無我、無常、といった仏教哲学の核心的問題については何も言ってませんが、それらの問題は、また別の問題ということで。
今後とも、微妙な疑問をそのたびに言語化していってください。
応援しています。
中山さんへの返事 2004,1,8,
拝啓
明けましておめでとうございます。
返事が遅くなって申し訳ございません。二年越しとなってしまいました。
さっそく順に私見を書きます。
● 輪廻と無記について
私も、輪廻と無記は矛盾すると思います。
今に伝わる「死後に関する無記」は、「如来の死後に関する無記」になっていて、形式上は輪廻と矛盾しないように体裁が整えられています。しかし、無記を背後で支える精神である慎重さと、経典のあちこちに登場する輪廻説の野放図さ(失礼)とは相容れないと感じます。
私は、如来の死後については、「薪の尽きた火のように消え去る」を釈尊の言葉として採りたいと思います。すなわち、釈尊は、如来の死後については、はっきりと「輪廻はない、再生はない」と明言しておられた。一方、一般の有情の死後については無記をもって対処された。本当は有情も輪廻しないのだけれど、輪廻を信じている者たちが、無常=無我=縁起を体得する前に輪廻はないと聞いて、要らぬ誤解をし、混乱するのを防ぐために。
「死後に関する無記」は、本来、「如来の死後に関する無記」ではなく、「有情一般の死後に関する無記」だったと考えます。
しかし、後の教団が、おそらくは教団を経済的に維持する為に、始めは在家向けの教えとして、輪廻説を導入した。その結果生じた矛盾を糊塗する(失礼)ために、「死後に関する無記」に「如来の」という限定を付け加えたのだと推測します。
文献学的に実証せよと言われてもその能力はありません。推理ゲームレベルの推理にすぎません。でも、これが、無常=無我=縁起と無記と輪廻説の間にある矛盾・混乱を一番シンプルに説明できる仮説だと思います。
輪廻説は、現代の人々にとって、耳に心地よい、執着に適う、我執を強める「教え」だと思います。大抵の人は、輪廻を聞きたがっており、輪廻を説く人は、その我執におもねているように感じます。
「あたりまえ、、」HP、小論集に掲載したブッダダーサ比丘の見解の輪廻に関する部分も是非御一読下さい。
● 中道と欲望について
釈尊が中道の教えで「避けよ」と説かれた両極端のうちの片方は、うまいものを食って、酒を飲んで、楽しい事をして、エッチな事もして、、という、欲望・執着に従った生活だったと思います。言いかえると、当時の普通の人の普通の生活です。
もうひとつの極端は、断食・不眠・息を止めての瞑想、その他の苦行です。
数直線を想定して、当時の普通の人の普通の生活を+10とし、苦行を−10とすると、中道は、±0と言えるでしょう。そこで我々自身を考えると、様々な欲望に応え、様々に欲望を拡大する現代文明の生活は、+20か50か100になっていると思います。だとすると、そこで普通の生活をする我々の眼には、釈尊の中道は、かなり「極端」に映るとしても不思議ではありません。
欲望にはいくつかのレベルがあると思います。食欲であれば、小説「野火」に描かれたような、飢餓のあまり木の根でもネズミでも戦友の遺体でも食おうとするレベルから、グルメの極みの贅沢なレベルまで。
±0、すなわち釈尊の中道とは、朝と昼前の決まった時間に過剰でない量の食事を摂って、餓えが修行の邪魔をしないようにし、かつまた、黙って与えられるものをそのまま食べて、これが食いたい、あんなものも味わってみたいなどと欲望を放縦にしないこと、だと思います。
身体が不満を言い募って修行ができなくなるほどの苦行でもなく、欲に走って、修行にも差し障り、苦をも生み出す生活でもない、それが中道だと思います。
ですから、実現できない欲望はダメ、逆にいえば実現できる欲望はOK、とおっしゃったのではないのではないと思います。実現できる欲でもも、やっぱり欲は良くないと思います。
これは、私の及ばぬ世界のことで、ただ想像するだけですが、釈尊は食欲も持っておられなかったかもしれません。何日か食事なさらなければ、空腹感・飢餓感は当然感じられたことでしょう。でも、「私は空腹を感じている」と認識されるだけで、食欲はおこらなかったかもしれない。そして、「食事を摂った方が、修行のため、弟子の指導のためによい」、と判断されて、托鉢に出かけられたのではないか。そして、もし食べ物が得られず、私達なら懇願するか盗むかするような状況になられたと仮定しても、「私の身体は食べ物を必要としている。しかし、与えられなかった。もうすぐ私は死ぬだろう」、そう観察しながらそのまま死んで行かれたのではないかという気がしています。釈尊の到達されたところは、そのようなレベルではないかと想像しています。
● 仏教と社会について
成道の直後、世に法を説かずそのまま死んでしまおうと釈尊が考えられた際、梵天は「世の中には釈尊の教えを聞いて覚ることのできるものも僅かではあるがいる」と説得しました。この説話を展開すると、仏教はすべての人を遍く救うことを始めから放棄していたことになるのでしょうか?
これは、微妙でやっかいな問題です。実際の釈尊の説法を振りかえると、明らかに釈尊は、身分や性別や知性によって人を差別なさいませんでした。結果的に、ある階級の男性が弟子には多かったということは言えるかもしれませんが、それは教えを乞うものにそのような人が多かっただけであって、ご自身は教えを乞う者には等しく教えを説かれました。しかし、ということは、逆にいうと、釈尊は教えを乞わないものを無理にでも救おうとはされなかった、見捨てておられた、ということになるのでしょうか?
、、、この問題は、しばらく保留にさせて頂きたいと思います。
これは現実にはあり得ない思考実験ですが、すべての人が出家して無常=無我=縁起を体得したとします。生産活動をする人も子供をもうける人も居らず、托鉢する先もなく、みんなが餓えて自分が死んでいくのを観察しながら苦を克服しつつ死んでいきました。
おそらく釈尊は、それでよしと考えられるのではないでしょうか。苦しみ、苦しめ合いながら人類が存続することよりも、今生きている人達の苦がなくなることのほうが、釈尊には大事だったのではないかと想像します。
シャカ族が滅ぼされる時、釈尊は結局はそれをそのまま黙認されたという話があるそうです。史実かどうかは分かりませんが、少なくとも、釈尊ならそうされただろうと考えられていたのでしょう。無常を知り尽くされた釈尊が、国家や人類の存続を重要だと考えておられたとは思えません。それより目の前の人々の苦を抜くことの方が大切だった筈です。
以上は、実際にはあり得ない思考実験でしたが、前々からの、きっと実際にあったに違いない状況についての疑問があります。
赤ちゃんの誕生に出会われた時、釈尊はどう思われたでしょうか? めでたい、喜ばしい、微笑ましいと、頬を緩められたでしょうか。あるいは、また苦しむ人が増えた、この子の親もこの子故に苦を増やすことになるだろうと、眉を曇らされたのでしょうか? 私は、後者であったのではないかという気がしています。中山さんは、どうお考えになりますか?
新年早々、あまりハッピーではないメールを送ってしまいました。
本年も宜しく御意見御批判下さいますようお願い申し上げます。
よい年になりますように。
敬具
中山様
2004、1、8、
曽我逸郎