佐藤哲朗さん 佐藤さんのHPへの曽我の感想・質問 2003,6,12,

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曽我逸郎様

こんばんは、佐藤です。
宝泉寺の合宿ではたいへんお世話様でした。

曽我さんの体験記、いつ掲載されるのかなぁと心待ちにしていたのですが、本日、実践会の体験レポートを楽しく拝読しました。

どうぞまた協会の行事に参加されて、長老にもたくさん質問をしてみてください。
幸せでありますように。

佐藤哲朗

生きとし生けるものが幸せでありますように。
個人HP http://homepage1.nifty.com/boddo/


佐藤哲朗さんへの返事 HPの感想と質問 2003,6,14,

拝啓

 日本テーラワーダ仏教協会 実践会では、大変お世話になりました。初参加の癖に遅刻してしまいましたが、たまたま佐藤さんと同じ電車に乗り合わせたお陰で、スムーズにスタートすることができました。ありがとうございました。

 ホームページ拝見致しました。

● <宮崎哲弥「異見あり」に異見あり!>について

 開いてみてアレレと思いました。以前に、別の縁で読んでいたページだったからです。

 実は、この件については、私は宮崎さんの方に共感しています。「書斎仏教」という表現がありましたが、私は、宮崎さんは、知識としてだけの仏教を弄んでいるのではないと思います。偉そうに言いながら、肝心の文春の文章を読んでいないのですが、おそらく結構感情的に書いておられるのではないでしょうか? それは多分、宮崎さんの仏教理解が、知的興味に止まらず宮崎さんの実存にも関わっているからだと想像します。ご自身の考え方、生き方に抵触するテーマだったからでしょう。
 インド中観を中心に学ばれたのなら、無我、縁起(、空)が仏教だと考えておられるはずで、それをないがしろにして、それと矛盾すると思われる輪廻や死後霊ばかりをあげつらう世間の仏教への感心の持ち方に、苛立ちを感じておられるのだろうと思います。オウムについても批判しておられるそうですが、無我、縁起を説かず、輪廻や霊魂を声高に叫んで人を脅す似非仏教は跡を絶ちません。それに対する怒りも宮崎さんにはあったのではないでしょうか? 生きたチベット仏教の歴史伝統や広がりに対する無知は、おそらく宮崎さんにあったでしょうし、私も本当に不勉強ですが、宮崎さんの攻撃の本当の矛先は、チベット仏教とは違うところに向かっていたと想像します。

 一方、輪廻の積極的な主張については、私は未だ説得力のある説明に出会ったことがありません。書いている人自身が納得して分かっておられるのかと首を傾げたくなるような意味不明の文章か、修行してない者には分からないという開き直りばかりです。(「あたりまえ、、」HPの小論集で触れたスマナサーラ長老のお話は、「分かっても分からなくてもパーリ経典に残された釈尊の言葉は絶対として受け入れるべきだ」という意味に私は解釈しました。仏教徒として潔い態度だと思っています。)
 bk1 ホームページの佐藤さんのインタビューでチベットの高僧が、「来世がなければ仏教を勉強する意味が最初から無い」とおっしゃっています。私にとっては、仏教、無我=縁起の教えは、<いつ死ぬかわからない無価値・無目的の生をちゃんと生きるための教え>です。それは、「そういう読み方もできる」という意味ではなく、「釈尊はそれを教えてくださった」と考えています。

● <『大アジア思想活劇』 〜仏教が結んだもう一つの近代史〜>について

 非常におもしろく読みました。活劇の名にふさわしく、実に個性的な人物達が交錯しあい、手に汗にぎる内容でした。史実は理論よりずっとすごいですね。あれだけ突き詰めて調べられたご努力と、歴史の核心を捉える目と、それを的確かつユーモラスに描く筆力に感服しました。

 考えさせられたのは、仏教それ自身が、縁起の現象だということです。勿論、私達は仏教に教えられ仏教を縁として如何に生きるべきか学んでいます。でも、仏教の側も歴史や経済や政治などに様々に影響されてきた。それはあたりまえのことではありますが、あらためて痛感しました。そして、仏教に一番縁を与えるのは、他ならぬ我々ひとりひとりの仏弟子である、そう考えると身の引き締まる思いがします。(野口復堂がここにいたら、「まあ、そう変に力まんと、ぼちぼち頑張ったらよろし」と京都弁で茶化してくれるでしょうか?)
 同時に、熱く仏教を問い、行動した人達の思想が、八紘一宇や大東亜共栄圏の理念に変質し利用され、美名のもとに多くの人を苦しめ命を奪う一助になったのかと思うと、複雑な思いもしました。

 ひとつ質問があります。ダルマパーラとテーラワーダ仏教の関係です。
 ダルマパーラの孤軍奮闘に、当時のスリランカの上座部はほとんど協力していないようです。ダルマパーラ自身も、自分を大乗の徒と言い、田中智学に「・・・小乗仏教及び英国政府等の反対と迫害・・・」と語っています。両者は対立していたのでしょうか? それとも英国支配下において、スリランカの上座部は、ひそかにダルマパーラを支援していたのでしょうか? 死の直前、ダルマパーラが僧になったのは、大乗でしょうか、上座部でしょうか? 現代のスリランカ上座部は、ダルマパーラをどう評価しているのでしょうか?
 先日の実践会で感じたのですが、テーラワーダ仏教は、自分自身の観察・分析以外の事に感心を向ける事を禁じているのではないかと感じるのです。慈悲喜捨の捨も、修行の平安を守るために、現実世界との関わりを、例えそれが植民地支配にあえぐ祖国の民衆の苦悶であっても、持つなという指導ではないでしょうか? ダルマパーラの世界中を駆け巡る熱い戦いは、まさに大乗菩薩的であり、上座部的とは思えないのですが。

 長々と書きました。

 今後とも宜しくお付き合いの程お願い致します。

                            敬具
佐藤哲朗様
         2003,6,14,           曽我逸郎


佐藤哲朗さんから(2通目) 2003,6,14,

曽我逸郎様

お返事ありがとうございます。

>● <宮崎哲弥「異見あり」に異見あり!>について
> 開いてみてアレレと思いました。以前に、別の縁で読んでいたページだったからです。

けっこういろんな方が見てくださっているようですね。輪廻については、ブッダの説いた輪廻説は恒常実体論、霊魂論を前提としたものではなく、縁起論と業論を前提としたものなのだから、「輪廻するというのならばその実体は何か?」というような反論は成り立たないと個人的には思っています。ヴィパッサナーの体験からも、仏教を論理的な体系と見た場合も、別に取り立てて輪廻説を敵視して排除する理由は見つかりません。そのような情熱を燃やす方々の動機付けがよくわかりません。

ここで逆にお聞きしたいのですが、「ブッダは輪廻を説かなかった」と仏教学者や評論家、一部の僧侶が声高に頑張っている日本では、あまりにも低俗なカルト宗教が大流行し、横行しています。ある仏教宗派では、輪廻説を心理的なものに還元しつつ北朝鮮顔負けの個人崇拝をしていますね。他の新興宗派では、壮大な輪廻のパンテノンを作って、自分はブッダの生まれ変わりだとする方が頑張っています。輪廻を認める、認めないという事柄は、その宗派や団体なりが仏教的であるか否かということ本当に関係があるのでしょうかねぇ?もっと先に問題にすることあるんじゃないの?

輪廻説を前提とした仏教を実践している他の仏教国では、そのようなカルト的な宗派の話は聞いたことがありません。要するに、きちんと、お釈迦さまが語った輪廻説をきちんと勉強し、そこに勝手な主観や願望、異端的な解釈を混ぜ込まなければ、特に実践上の問題は起きないのではないかなぁと思います。道を失って困っているのは、輪廻を認めてる仏教徒/認めない仏教徒、どちらですか?

>● <『大アジア思想活劇』 〜仏教が結んだもう一つの近代史〜>について
> ひとつ質問があります。ダルマパーラとテーラワーダ仏教の関係です。

ダルマパーラが教えを受けたのはスマンガラ長老をはじめ、当時最高の上座部仏教の碩学たちです。死の直前に出家したのも、もちろん上座の比丘としてです。時代の制約のなかで、出家の立場ではでき得ない活動を彼は行ったのですが、上座部の教理を深く理解し、なおかつ通仏教的な立場でスケールの大きな活動をした彼以上の「大乗菩薩」を、ならば肝心の大乗仏教(他国は知りませんが、とりわけ日本の大乗仏教)の側が生み出しえたのか?という疑問はありますね。だれよりも大乗的な実践者を生み出したのが、上座部仏教の伝統だったとするならば、上座部仏教はどの大乗仏教よりも、激しく大乗的である、ということになりませんか?なんか可笑しいですね。であれば、大乗仏教の存在意義はどこにあるのでしょうか?評論家としてえらそうに「あいつは大乗的だ。こいつは小乗だ」と判定することですか?(ここまでで、大乗仏教といっているのは、日本のいわゆる大乗仏教のことです。他は知りません。)

曽我さんも常日頃悩まれているように、日本の大乗仏教では悟りにいたる実践論が脆弱のようです。あったとしても、正気では近づきになりたくないものばかりのように見受けられます。まるで仏教を実践することを否定するために、そのために理論を構築しているかのようですが、あれは何なんでしょうか?曽我さんも「慈・悲・喜・捨」にさえもケチを付けなさっている。じゃぁ、慈・悲・喜だけならやる気になれるのでしょうか?そのように実験してみたらいかがですか?上手くいったら教えてください。

ここからは個人のつぶやきですが、何人も、「捨」の気持ちなしに、いったい何を成し遂げうるというのでしょうか? ダルマパーラが「捨」を否定して、あるいは曲解して、そのお陰で大乗的に偉業をなしえたとでもいうのでしょうか? 逆じゃないかなと、僕は思いますけどね。そんなところです。

では、よろしくお願いします。

お幸せでありますように!
佐藤哲朗(出先のwebメールより)


佐藤哲朗さんへの返事(2通目) 2003,6,18,

拝啓

 早速にご返信頂きありがとうございます。
 でも、思いがけず、お気持ちを損じさせてしまったようで、驚きました。このようなお返事はまったく予想しておりませんでした。私の書き方が悪かったのだと思います。メールによる意見交換の難しさは、何度も失敗して重々わかっていたつもりでしたが、なまじお会いしているためか、甘えがあり、思慮が足りませんでした。申し訳ございません。不快な思いをさせてしまったこと、あやまります。

 なにから、どう書けばよいでしょうか、、。

 今の日本の状況を私がどう思っているか、そこから説明させてください。

 佐藤さんもご指摘のとおり、信仰の生きている他の仏教国とは違い、伝統的な「仏教」がほとんど死んでしまった今の日本では、様々なカルト「仏教」が跋扈し、様々な仏教解釈が対立しあっています。
 しかし、この状況を、私は、悪いことばかりだとは思わないのです。
 先日、丹後からの帰りの電車で、「今は末法の時代なのかなぁ(そうは思えないなぁ)」と考えていました。昔、例えば江戸時代を想像すると、確かに伝統的「仏教」は生きていたでしょうが、ある村、ある家に生まれ育てば、そこの仏教しか知ることができなかったのではないでしょうか? 釈興然以前には、日本国中どこへ行っても、「『小乗仏教』なんて利己的な教えだ」などと、せいぜいそんなことしか教えてもらえなかったと想像します。ところが今は違います。少しの努力を惜しまなければ、パーリ経典も読めるし、テーラワーダの長老に直接教えを乞うこともできる。日本伝統「仏教」もテーラワーダもカルトも学者の研究論文にも接することができます。勿論玉石混交です。本当のダイヤモンドがあるかどうかは分かりませんし、劣化ウランのような危険極まりないものも混ざっています。でも、釈尊の教えが得難い時代を末法というなら、今は少なくとも江戸時代よりはマシなのではないかと思うのです。(佐藤さんも、その恩恵に与かっておられると思います。)
 確かに、宗教の内側で、生きた信仰の伝統を血肉化しつつ育たないのは、つらいことです。しんどいことです。でも、それは実はラッキーだったのかもしれません。生きた信仰を血肉化できなかった私は、そう思うしかありません。

 宗教の中で育てなかった私は、どうしているか。釈尊の教えこそ正しく私を導くものだと考えています。(これは誉めて頂けるかと存じます。) そして、釈尊の教えとはどういう教えか、考えています。これまでは、ほとんど学者の方々の研究に頼ってきました。けして大乗ばかりではなく、初期仏教についても同じ程度に学んだつもりです。(全体の量は多いとは言えませんが、、。) そして、佐藤さんとお会いした日から、実践的側面からテーラワーダ仏教に学びはじめた訳です。
 ただ、佐藤さんの不興をかっているのは、おそらく、私が外から学ぼうとしている点ではないでしょうか。現状では、仏教学の本もテーラワーダも私の前に横並びに置いています。いつか、佐藤さんのようにテーラワーダこそ正しい仏教であると決断して、中に入るかもしれません。私とて、信仰の中に早く入りたいのです。しかし、そうする為には、間違いないという確信が私には必要であり、そのためには、十分に外から観察せねばなりません。外からいくら見ても分からない、中で信じて修行しない限りだめだ、という主張もあるかもしれませんが、それではカルトの勧誘と同じです。確信とまではいかなくとも、おそらくこれで間違いない、という目星をつけるまでは、テーラワーダも何度もテスターにかけることになると思います。可哀相な人だなぁとお思いかもしれません。あるいは滑稽な人だと思っておられるかも、、。でも、しかたがありません。

 前回お送りしたメールには、確かにそういうテストがいくつか紛れ込んでいました。そのこと自体は、何かを学ぼうとする者が、疑問に感じたことを先輩に尋ねることであり、極自然なことです。悪いとは思いません。ただ、私の表現がまずく、誤解を生んでしまったと反省します。
 私は、仏弟子たらんと思っていますが、大乗の徒ではありません。「小乗」という言葉を、「いわゆる」も「」もつけずにいわゆる小乗の意味で使った事は、少なくとも十年以上一度もありません。テーラワーダ同様に大乗もテスターにかけてきたことは、すこし読んでもらえれば分かって頂けると思います。

 「捨」についての質問も、テスターであって「ケチ」をつけたつもりは毛頭ありません。メールを頂きましたが、「捨」について確認したかったことはまだはっきりせず、新たな疑問も生まれました。始めは軽い確認のつもりだったのですが、幸か不幸かこじれてしまいましたので、もしまだおつきあいして頂けれるなら、大変ありがたいです。

 再度書きますと、私の考えている「捨」は、「集中して修行するためには、気持ちの平安が必要であり、その為には外の現実世界との関わりは慎みなさい、という指導」というものです。これは、現時点の理解の仮説です。正しい理解を得るための叩き台ですから、間違っているなら、是非叩き直して頂きたいと存じます。
 (そもそも私の仏教理解全体が、仮説です。様々な「仏教」とぶつけ合わせ、こすり合わせして、どちらが硬いか、ダイヤモンドに近いかテストし、その度に仮説を修正してきました。ですから、私は、ずっと一貫して自分の仏教理解をテスターにかけつづけてきたとも言えます。それが、生きた信仰の外から正しい仏教に行きつこうとする私の方法です。)
 ですから、ケチをつけようとした訳ではありません。私の理解したような「捨」は、「あたりまえ、、」HPの小論集に書いた如く、仏教を修行し真に知るためには、絶対に必要な実践上の心構えであるのかもしれません。悪意による悪は単発的だけれど、思慮の足りない理想や短絡的正義に燃えた行動は、組織的・持続的・計画的となり、しばしばとてつもない苦を作り出します。そのことも、冷静に見据えた教えであるのかもしれません。これは漢訳経典(整備されたパーリ経典より古い形であることも多々あるそうです)にだけ伝わる話で、しかも釈尊晩年の出来事だそうですから、ここで持ち出すのは適切ではないのかもしれませんが、シャカ族が滅ぼされようとする時、釈尊は結局なんの手も打たれなかったのだそうです。(春秋社 中村元選集決定版第11巻 ゴータマ・ブッダI P763〜) 釈尊は、苦に対処する仏教の方法を厳密に限定しておられ、それ以外の対処はけしてなさらなかったのかもしれません。先のメールで、「例えそれが植民地支配にあえぐ祖国の民衆の苦悶であっても」という極論を付け加えたのも、テーラワーダ仏教は修行実践においてそこまで徹底して合理的(反情緒的)であり、そこまでの覚悟を要求しているのか? という気持ちをこめた質問です。
 とはいえ、私は、私の仮説の「捨」に心から共鳴しているわけでもありません。情緒的には、やはり大乗の菩薩のあり方に惹かれています。しかし、上に述べたような安直な菩薩行ヒロイズムの危険性も認識せざるを得ません。現時点では、「捨」と菩薩行を対比させ、外の現実世界への対応の仕方として、また修行実践者のあり方として、どちらが正しいのか、という問題意識だけでも自分の中に確立しておきたいと思っています。そのために、自分の「捨」の理解の仮設が正しいのか、ご意見を伺いたかったのです。

 『大アジア思想活劇』と先に頂いたメールから私が想像したダルマパーラの生涯は、以下のようなものです。

・青年ダルマパーラは、植民地支配にあえぐ祖国の現状に悲憤していた。
・同じアジアの仏教国・日本が欧米列強に伍して独立を維持している事に希望を見出した。
・現状打破の行動への支援を母国上座部に呼びかけたが、「捨」故に賛同を得られなかった。
・日本の大乗には世俗に積極的に関わる菩薩という概念があることを知り、一時は上座部よりも大乗を拠り所にした。
・日本仏教界にアジア同胞の解放、仏教の世界布教を呼びかけたが、日本仏教界はなんら行動を起こさず、ダルマパーラは失望させられた。
  (ダルマパーラや日本の一部仏教徒の理想は、解放者日本ではなく、遅れてきた植民地主義国日本のアジア侵略を正統化・美化する思想に利用された。)
・最期はインドの聖地再建に孤軍奮闘する中で倒れる。現実には歴史に大きな影響を残しながらも、本人の主観の上では、何もなし得なかったという挫折感が深く、口で理想を説きながら何もしない日本大乗仏教ではなく、自らがその中で生まれ育った上座部に平安を求めた。

 概略このように読んでいるのですが、分からなくなってしまったのは、先日頂いたメールの最後で、「ダルマパーラは、正しい『捨』があったが故にあのように大乗的に偉業をなし得た」と主張しておられるように読める点です。もしこの読みが正しいなら、私の「捨」の理解か、ダルマパーラの生涯の理解かどちらか、あるいは両方が間違っている事になります。また「大乗的であること」を佐藤さんは肯定的にとらえておられるようにも感じます。「大乗的であること」とは、世俗の苦に積極的に関与しようとする事だと考えると、私の仮説する「捨」とは相容れません。ご多忙とは存じますが、ご教授頂ければ幸甚です。

 随分長いメールになっています。最後に簡単に輪廻が気になる理由に触れておきます。

 私は、確かに道を失って困っておりますが、輪廻を認めないから道を失ったわけではありません。もともと道が失われていたのです。輪廻の思想も、既に失われていました。生きた仏教も失われておりました。だから私は、道を探しています。正しい仏教とはどういう教えか、模索しています。その方法は、先に述べたとおり、体系的仏教理解の仮説を作り、それを様々な「仏教」と戦わせ、仮説の誤りを正していく、というものです。体系的仏教理解の仮説には、当然、自分とはどういう現象か、という仮設も含まれます。その仮説は、以下のようなものです。

 私とは、内部に形成されている縁の仕組みによるそのつどの反応である。

 「内部に形成されている縁の仕組み」とは、生物学的に、歴史的文化的社会的に、また個人的体験によって形成されてきた記憶と反応の仕組みです。それは、肉体、特に脳のニューロン間の信号伝達パターン群として保存されています。そのパターンによって外からの刺激に反応しているし、また内部に残った反応の余韻・残響が種子となって大きく拡大する場合もあります(妄想もそのひとつ)。反応するたびに、シナプス可塑性によってそのパターンには必ずある程度の変化が生じますが(業の蓄積)、それでも通常は一定の持続性もあります(その人らしさ・個性)。仏教の修行とは、この反応のパターンを執着に導かれた自然なパターンから、執着のない新たなパターンへ訂正していく事だと考えています。そして、テーラワーダ仏教のヴィパッサナー瞑想こそがそれではないか、と期待しているわけです。(実践会以来、割とまじめに瞑想訓練を続けています。それは、佐藤さんの言葉に習えば、まさしく「実験」だといえます。)

 この仮説では、私とは、肉体の上での現象です。焚き火の炎が薪の上の現象であるように、、。死んで、脳を含む肉体のホメオスタシスが維持されなくなれば、私という現象も止まります。薪の尽きた火のように、、。肉体を離れて「私」が引っ越すことは、考えられません。
 引越しがおこると言われる方には、引越しが可能な「私」とはどういうものか、教えて頂きたいのです。自分が何か(どういう現象か)知ることが仏教には欠かせない筈です。
 輪廻の主張には、三つのタイプがあるように思います。
 1)理解できない説明
 2)私は輪廻が分かっているが、教えることは原理的にできない。自分で修行してある程度のステージまで登る他はない。だから、まず信じて修行しろ。
 3)私も分からないが、釈尊の言葉として経典に残るものは、そのまま受け入れるべきである。
 1にはどういう対応もできませんし、2に従うのはバクチです。多種多様ないかがわしい「宗教」も、「まず信じよ」と叫んでいます。3には誠意を感じますが、例えば、パーリ律蔵にある「釈尊は、洞穴の中で火を吹く竜王と火を吹き競って屈服させ、ほら貝結びの(髪形の)火の行者、三カッサバを帰依させた」というような記述(前掲書P572〜)も、そのまま受け入れるべきなのでしょうか?
 輪廻を納得するためには、輪廻が可能な「私」の仮説も欲しいのです。それによって体系を組替えねばならないから、、。でも、なかなかそれを示してもらえません。

 「輪廻を繰り返して解脱を目指す。もし輪廻がなければ、(その努力も途中で無駄に終わるので、)仏教を学ぶ意味がない。」ではなくて、「いつ終わるかも知れぬこの無意味・無価値な生を如何に生きるか」という、先送りできない切羽詰った問いが、仏教の問いだと思っています。(その割には、だらけてサボってしまうのが情けないのでありますが、、。)

 長々と書いてしまいました。ご多忙の中、煩わせてしまい申し訳ありません。
 「捨」については、お時間許す折にご教授願えれば幸いです。

 佐藤さんが幸せでありますように。
                                  敬具
佐藤哲朗様
          2003,6,18,          曽我逸郎


佐藤哲朗さんから(3通目) 2003,6,19,

曽我逸郎さま

合掌

メールありがとうございます。
悟りかぶって、気取っているわけではなく、ほんとにぜんぜん怒りはないのです。ただ、工夫したつもりでちょっと攻撃的に皮肉を張りすぎて、愛語の戒めに反してしまったかなぁ。

輪廻について、あまり理論的なことはいえませんが、ちょっと表現を工夫してみましょう。

私たちは、瞬間瞬間合成される「私」という在り様においてしか、なにも認識できません。だから、「私」という牢獄が輪廻して続いているのだ、としか実存的には表現し得ないのです。

数限りない生の輪廻を、私は、〔何も〕見出すことなく、流転してきた。家の作り手を求めて。繰り返される生〔の輪廻〕は、苦しみである。
家の作り手よ、おまえは、見られたものとして存在している(あるがままに見られた)。おまえが家を作ることは、二度とないであろう。おまえの梁[はり]は、すべて壊され、屋根は、働きをなさない。心は、形成作用(行:生の輪廻を施設し造作する働き)を離れてしまった。諸々の渇愛の滅尽に到達したのだ。
(Dhammapada Nos.153,154)

禅定によって「過去生」を思い出すというのも、牢獄にしばられてきた業熟体たる「私」の来歴でしょう。「私」は合成されるものであって、その合成は心、つまり認識に依存します。引越しするものはこの働きであって、働きの結果として「私」という牢獄は切れ目なく合成され続ける、と伝統的な仏教ではとらえてきたようですね。

ただ空想していたのではなく、禅定の修習によって、観察した結果をそのように表現したのでしょう。その観察によれば、心は肉体とは比べ物にならないスピードで変化消滅していること、そして

諸々の法(もの・こと)は、意[こころ]を先導とし、意を最勝〔の要因〕とし、意をもとに作られる。
(Dhammapada Nos.1)

ことが発見されたようですね。(ダンマパダの訳文は  http://www7.ocn.ne.jp/~jkgyk/sho1.html)肉体が滅んでも「私」という合成が止まることはない。こころが「生の輪廻を施設し造作する働き」を離れ、「諸々の渇愛の滅尽」に到達しない限り、「私」の合成は終わらないというのが、お釈迦さまの説明のようですね。

ダルマパーラについてですが、彼に「菩薩道」を歩めと最初に言ったのは、彼の父親です。ダルマパーラの父は、シンハラ人の上座部仏教徒です。上座部にも菩薩の概念はあるみたいですよ。十波羅蜜の修習もある。ただ生易しいものではない。やるのなら、本気で身を捧げてやらんと。だから、本当にヤル気のある人しか、菩薩道は歩まない。大乗の影響というのは副次的でしょう。ただ、彼は「通仏教的」に活動したということです。日本にも大きく期待していたし、汎アーリア主義的な特殊な歴史観を持ってもいたので、思い入れ過多にもなっていたのは事実でしょうが。ま、そういう時代でしたし。

彼の言っていた小乗というのは、ほんとに「つまらん奴ら」というくらいの意味であって、個々の資質の問題として語っていたのだと思いますけど。

「捨(ウペッカー)」についてですが、ちょっと誤解があるみたいです。無執着のこころという解釈が適当かと存じますが、「捨(ウペッカー)」は「修行のために外界との接触を控えなさい」という意味ではないです。それだったら、道場に張り紙すれば済む話です。

そうではなく、「いかなる状況に置かれていたとしても、こころ波立てることなく、現象に執着することなく、平等の気持ちで生命に接すること」が捨のこころの(大雑把な)定義でしょう。(アビダルマ的な定義については、 http://www.j-theravada.net/pali/key-sobana.html#tatra を見て下さい)。

ほとんど、修行の完成(悟り)と同義ですけど、自分のこころが育っているか否かというチェックポイントにもなりますし、努力目標にもなりますね。だから、菩薩道を(もし、マジにやろうと検討されているならば)実践する上でも、この「捨」のこころを育てることは必須です。

世間の荒波のなかで仏道を実践しようとすればするほどに、「捨」のこころが必要になります。「自分を殺そうとしている彼らでさえ、苦しんでいる生命に違いはないではないか。」というくらいの巨大なこころを育てていれば、ちょっとした失敗や困難にくじけることはないでしょう。

一切衆生の苦しみを解決してやるぞと菩薩道を歩むならば、いや、仏道を学ぶならば誰でも、「捨」のこころを育てるようチャレンジすべきです。やった分だけ、結果は得られるはずです。

〜*〜* お幸せでありますように *〜*〜

佐藤哲朗

生きとし生けるものが幸せでありますように。


佐藤哲朗さんへのメール(3通目) 2003,7,8,

拝啓

 ご教授頂きながら、返事が遅くなりました。

 いろいろ考えてみましたが、考えが深まりません。あまり時間がたつのも、と思い、現況のご報告と割り切って、メール差し上げます。

 輪廻については、やはり理解できません。「私」が合成されたものであり、今もまた合成されつつあるとおっしゃる点には100%同感です。でも「作られたものはすべて壊れる」というのも釈尊のお教えではないでしょうか。私という現象は縁によって始まり、縁によるそのつどの現象として業を蓄積しつつ変化しながらしばらく継続し、やがて縁によって壊れ終わる。それで充分だと考えます。輪廻を要請する必要を感じません。「否、輪廻は要請ではない。解脱された釈尊がありのままにご覧になった事実なのだ」と言われれば、私には返す言葉がありません。ただ、釈尊が発見された事実だったとしても、一面で無記の態度を頑として崩されなかった釈尊が、何故「今ここ」の精進に役立つとも思えない輪廻については、何度も「安易に」口にされたのでしょうか。私には、やはり、弟子達が当時の常識に引きずられて釈尊の言葉を理解し、余計な補いをした結果、輪廻は経典に紛れ込んでしまったのではないのか、と思えてならないのです。それとも輪廻は、一生かかっても達成できるかどうか分からない難事に、諦めずに取り組ませるための方便だったのでしょうか? それとも、やっぱり単に事実・・・?

 菩薩道は上座部にもあるとの事。なるほど、所詮大乗とて部派仏教から生まれたもの、以前からあった芽が大きくなっただけなのか、と思いました。ですが、またまたテスター(猜疑心?)がむくむくと発生しました。上座部の菩薩道は、大乗誕生以前からあったのでしょうか? 大乗からの批判を受けて採りこまれた、という可能性も論理的になくはありません。(すみません。重箱の隅をほじくるようで。けしてイチャモンをつけているわけではなく、単に腹に落ちるところまで納得したいのです。)
 なぜそう思ったかというと、大乗以前の経典に菩薩道(解脱前の修行者が有情を現実的苦から救済せんと努める事)を勧める文章を読んだ記憶がないからです。(本生物語も、菩薩道の宣揚というより、釈尊の偉大さを説いていると思います。)勿論私の読んだ初期経典などたかが知れています。重要なものを見落としている可能性は大いにあります。しかし、読んだところから受けた印象としては、修行者は自分の修行に専心すべきであって、解脱前の中途半端な段階で現実世界の対立混乱に首を突っ込むことを容認していたとは感じられないのです。(けしてけして、これはイチャモンではありません。個人的欲望がもたらす害はたかが知れているけれど、短絡的な理想に燃えた行ない(あるいは理想を掲げて為される行い)は、しばしばとてつもない災厄に周囲を引きずり込む。大乗以前の仏教は、この危険を冷静に観察していたのかもしれません。)
 釈尊は、出家を薦め、自分を観察することによって無明・執着を断ち、苦をなくさせることには、努力を惜しまれませんでしたが、例えば病院を建てるとか、食事給付所を設けるということには熱心ではなかったと感じます。それらは真に苦をなくすことにはならないとお考えだったのではないかと推測します。
 菩薩道は、その言葉の耳障りの良さとは裏腹に、裏に危険が潜んでいるのかもしれません。

 捨についても、未だ腑に落ちた理解に至ることができません。
 すべてを遠ざけるのではなく、すべての有情に等しい距離をおくことでしょうか。しかし、それでもやっぱり距離の取り方の問題なのでしょうか、、、?
 先日別の方へのメールでも書きましたが、宝泉寺さんでの研修の折、隣の神社で一人瞑想の練習をしていたら、数メートル先の木漏れ日の石畳に、3,4センチの青虫を咥えた鳥が降りてきて、暴れる虫をついばみ始めました。すぐさま「生きとし生けるものが幸せでありますように」と心に浮かびましたが、その先は判断停止状態です。かわいそうな青虫を助けるために鳥を追いやるべきか? では鳥を餓えさせるのか? すべての青虫をずっと守りつづけることはできないのに、今この一匹だけを助けてどうするのか?
 「痛いね、恐いね、苦しいね、つらいね、、」と青虫に同情しながら、只見ている他はなく、そのうち鳥は再び虫を咥えて飛び去って行きました。
 慈悲喜の気持ちをもって有情を見つめつつ、どうしようもない事はどうしようもない事と正しく理解し、騒ぎ立てず走り回らない事、それが捨でしょうか? 冷静な正しい思考だとは思いますが、気持ち的にはやはり慈悲に欠ける考えのように感じてしまいます。

 だらだらと書きました。最初に触れましたとおり、このメールは現況報告であり、もっと正確には、私の自問自答にすぎません。ご多忙の中、返事は結構です。問題意識は保持し暖めていきたいと思います。なにか新しい気づきが孵るといいのですが、、。

 またアドバイスを頂きたくなることがあるかもしれません。その際は、宜しくご教授頂けましたら幸甚です。
                               敬具
佐藤哲朗 様
        2003,7,8,
              曽我逸郎


佐藤哲朗さんから(4通目) 2003,7,9,

曽我逸郎さま

メールありがとうございます。

「人間は善を為しえない。そもそも人間は向上できない。向上する必要すらない。」という偏見は、日本の大乗仏教思想のたいへん奥深い妄想の産物なのです。

自動車とその運転マニュアルを前にして、「自動車を運転することはできない。自動車は走らない。そもそも自動車は走るために作られたものではない」と早合点する人は、賢者といえるでしょうか?

自動車に乗って運転することを断念して、暴走族のように立派なマフラーを付けて展示して威張っている。自動車に乗って移動したいと願う人に向かって「自動車は運転するためのものではない。飾り立てて拝むためのものだ」と説教することが、その自称賢者の仕事となりました。

そうやって、「自動車は走るために作られたものではない」と人々を説得するために作られた膨大な理論体系が、(日本で盛んな一部の)大乗仏教だということも出来るかもしれません。

簡単単純に、失礼を承知で断言すれば、曽我さんがこれまで接してきた仏教とは、そのようなものです。そのような発想でテーラワーダの諸概念に接して、自分で草を結んで自分でけっつまづいている様は、手に取るように分かります。しかし、曽我さんの後ろにくっついて、結んだ草を解いて回ることはとてもできませんので、ご自分でなんとかしていただかなくては…。

○輪廻について。
僕には前便以上にうまく説明する智慧はありません。まぁ曽我さんが輪廻説は必要ないと感じられて、修行の結果としてめでたく一切智者となってもそのご意見が変わらなかったとしたら、どうぞそのように法を説かれたら如何でしょうか? お釈迦さまの心理学に倣ってみれば、「輪廻の話すら聞こうとしない連中が、いったい仏教の何を聞いてくれるんだろうなぁ…」という諦念も感じますけれど。あと、お釈迦さまがどこでどのように「安易に」輪廻を説かれたのか、私には分かりません…(別にジャータカや注釈書の因縁話を全部信じなければ仏教徒じゃないとかいうつもりはありませんよ、悪しからず。物語には物語の役割がありますからね)。

○菩薩道について。
現代のテーラワーダの長老方も、世界中をまわってヴィパッサナーを指導しつつ、郷里の人々のために病院を建てたり孤児院や幼稚園や学校を経営したり、大学や図書館を建てたり、水道施設をつくったり、何のことなくやってます。その人の力量でできることをやっているのを、周りから見て「菩薩道の実践」ということはできるでしょう。それは慈悲の完成のための修行と捉えることはできるし、別にお釈迦さまの説かれた仏法に何一つ付け加えるものではありません。菩薩という言葉の使い方を、大乗仏教の使用法に合わせてちょっと変えたことはあるかもしれませんが、大乗仏教の自称菩薩のだらしない連中よりは、しっかりそれを実践しているでしょうに。テーラワーダ仏教を学ぶことで、どんな大乗仏教徒よりも的確に「菩薩道」の実践、仏道から外れることのない菩薩道の完成はできますし、もっと言えば誰よりも的確に、キリスト教徒にイエスの説いた道徳の意味を伝えることもできます(相手が聞くかどうかは別問題ですが…)。ブッダの教えは、そのいづれをも、何のことなく乗り越えているからです。誰かが「大乗菩薩道とは云々かんぬん」と、ガチガチの頭で妄想して指の一関節も他人のために動かせずにいる間に、ことさらに菩薩道も絶対利他も言わないテーラワーダの長老方は、比較にならないほど他人のために尽くしています。相手を助けるには、助けるだけの力がいるのです。それだけです。菩薩には2つの条件があるかもしれません。相手の役に立てる能力があること。お釈迦さまの説かれた教えを実践していること。以上です。

○捨について
捨の完成は、ほとんど修行の完成(悟り)の境地です。そんな簡単に体得できたら、誰も苦労しないでしょうに。お読みになったかもしれませんが、ブッダゴーサ長老の『清浄道論』(第九品 梵住の解釈 南伝大蔵経63巻)によれば、<(世俗的な思考による)無智捨は[捨梵住の]近敵なり、…過失と功徳とを伺察せざるにことにおいて[捨梵住と]同類なるが故に。>とありますね。(南伝63巻 187ページ)世俗のメガネで「捨」だと思っても、それはブッダの説いた捨とは似て非なる敵(かたき)であるとゆーことです。いっぽう同じくだりで、<貪と瞋とは[捨と]全く異類なるが故に[捨梵住の]遠敵なり。>とあります。とにかく、貪りと怒りから離れたこころで生命に接する、ということが出来るのならば、ブッダの説いた「捨」に近づくのではないでしょうか? ですから、修行中に生命を見て、微かにでも欲や怒りの感情(好悪の感情)や妄想の回転(癡)が起こったならば、「捨」の完成からほど遠い自分というのが分かるでしょう。要するに曽我さんは、修行においてチェックすべきポイントを間違えて、その間違いをもとにして問いを立てているので、思考がおかしくなっているのではないでしょうか?

いろいろと書いてしまいましたが、

「生まれたままの人間は完全な善を為しえない。しかし人間は向上できる。どこまでも向上しなければ、生まれた甲斐がない。」

というのが、テーラワーダ仏教の立場なのです。
曽我さんがいろいろ聞いてくださったので、これまで触れることすら避けていた清浄道論の、一部だけですが読む機会を得ました。ありがとうございます。

--- 一行略 ---

〜*〜* お幸せでありますように *〜*〜

佐藤哲朗


佐藤哲朗さんへのメール(4通目) 2003,7,14,

拝啓

 メール頂戴し恐縮です。お送りしたメールは、本当に自問自答で、只そういう状況に私があることのご報告のつもりだったのですが、私の結んだ草を解いて下さろうとして頂き、申し訳ありません。

 佐藤さんにメールを頂くと、なぜかいつも言い訳をしなくてはいけない感じになり、それに自問自答の種も増えます。

「人間は善を為しえない。そもそも人間は向上できない。向上する必要すらない。」という偏見は、日本の大乗仏教思想のたいへん奥深い妄想の産物なのです。
 おっしゃっているのは、浄土系の考えでしょうか? もうひとつ別の考え方で「人間はそもそも善である。あらためて向上する必要はない。客塵さえ落とせばよい」というのも、大乗にはあるようです。
 私自身の考え方は、これらふたつのどちらでもありません。私の願いは、以前のメールにも書きましたとおり、「自分の反応パターンを、執着に導かれた、自然な、自他を苦しめるパターンから、執着のない新たなパターンへ修正していき、意味や目的や価値に束縛されず、自他を苦しめず、軽安に生きること」です。「向上」という言葉は、価値的な響きを感じるので私はあまり使いませんが、人間は変わるし、その変わり方に一番大きな影響をもたらすのは、その人のそのつどの反応だと思います。だから、そのつどの自分の反応を整える事で、人は自分の反応のパターンを良い方向に変えていくことができると考えています。これは、釈尊のお考えからそれほど遠いものではないと思います。

 自動車の比喩は、仏教の理論研究にばかり現をぬかして一向に実践修行を始めない「仏教者」へのご批判かと思います。ついこの間までまさにそういう状態であった私には、耳の痛いご批判です。
 ただ、日本の大乗「仏教」に実践修行がまったくないかというとそうではなく、護摩を焚いたり、真言を百万遍唱えるとか、回峰とか、激しい修行もあるようです。私自身は勿論このような修行をしたことはありませんので、修行そのものについてはなにも言えませんが、その修行の本になっている筈の仏教理解が、釈尊の教えとは随分隔たっているのではないかと思います。本の理解が違っていれば、修行も正しいものにはならないだろうというのは、自然な推論ですし、それ故私は、このような修行をしようとは思っていません。
 では何が正しい運転方法教習であるのかと問うていくと、テーラワーダのヴィパッサナー瞑想こそが、正しい仏教(すなわち無我=縁起の教え)に基づいて、自分の無我=縁起を知り、執着を吹き消し、新しい反応パターンを築くための修行ではないか、と期待している訳です。

 ところが、佐藤さんの「輪廻の話すら聞こうとしない連中が、いったい仏教の何を聞いてくれるんだろうなぁ…」という独白を耳にすると、またいろいろと気になってしまうのです。
 私が仏教から聞いた教えは、縁起であり、諸法無我であり、一切皆苦であり、諸行無常です。残念ながら、涅槃寂静は、耳にしただけでまだ想像も出来ませんが、、。慈悲、苦集滅道、、、多くの事を教えてもらったと思っています。
 これらより先に、第一義に、輪廻があるのでしょうか? 無我や縁起より、輪廻のほうが大切な教えなのでしょうか? もしテーラワーダにおいても、無我や縁起こそが仏教の核心であって、輪廻は核心ではない、ということなら、輪廻はとりあえず括弧に入れておいて、ヴィパッサナーを学ぶ事もできると思うのですが、輪廻の方が核心なのであれば、ヴィパッサナーの前に、私は仏教理解の体系を構築しなおさねばなりません。

 「お釈迦様が(経典上では)『安易に』輪廻を説かれた」と書いたのは、無記における釈尊の慎重さ・注意深さと対比して、という意味です。
 例えば、前々回のメールでご紹介頂いたダンマパダ(http://www7.ocn.ne.jp/~jkgyk/sho1.html)の第一章、15〜18は、「悪しき行為をすれば憂い悩み苦しみ、よき行為をすれば喜び楽しむ」(よき行ないをせよ、悪しき行いをするな)というのが、教えの主題だと考えますが、そこに主題ではない輪廻が「紛れ込んで」います。(この世と死後の二度苦しむ、二度楽しむ。) このように、主題としてではなく、必ずしも必要でない時にも輪廻が言及されるのは、初期経典のあちこちで見られます。無記における釈尊の慎重さ・注意深さとの明らかな対比を感じざるを得ません。その理由を考えると、以下の3つが想定可能だと考えます。

  1.  輪廻は当時のインドの常識であり、釈尊も格別にそれを問題とせず、弟子達と 同様にそれを受け入れておられた。
  2.  無記のひとつとして伝えられる<如来の死後についての問い>は、本来単に <死後についての問い>であり、釈尊は「(誰であれ)死後どうなるか」という問い に無記をもって慎重に答えられたのに、当時の常識に従い輪廻を前提とした弟子達に 伝えられるうちに、「如来の死後についてのみ無記」と変化し、釈尊のさまざまな教 えにも輪廻への言及がもぐりこんでいった。
  3.  輪廻は、釈尊が自分自身で確認された事実であり、それを修行者達に隠す必要 も認められなかったので、様々な場面で自然に何度も口にされた。
 私は、おそらく(2)ではなかったろうか、と考えています。無我=縁起が釈尊の悟りの核心であったなら、釈尊は「輪廻はない」と発見されたのだと思います。しかし、輪廻を信ずる弟子達がまだ無我=縁起をしらないうちに「輪廻はない」と教えれば、弟子達は短絡的な結論をだして間違った行ないに走るに違いない。そう考えられた釈尊は、輪廻に無記をもって対応され、ひたすら無我=縁起を学ぶことを奨励された。本来釈尊は輪廻に慎重であられたのに、経典にとして後世に伝えられる過程において輪廻が「安易」に頻出するようになった。そんなふうに想像しています。
 (スマナサーラ長老がおっしゃるとおり、輪廻は釈尊が発見され、釈尊から始まった考えである事が学問的に明らかになれば、1,2は否定されます。また、2であるなら、恐怖経(パーリ中部根本五十経第4)の<ご自身の過去生と有情の輪廻するさまをご覧になったのが悟りの内実である>という記載をどう「処理」するかが問題になります。)

 とはいえ、輪廻以外の点では、私の仏教理解の仮説はテーラワーダの教えに大きく相違していないと思っておりますので、許されるならば輪廻は括弧に入れておいて、勉強させていただきたく願っております。輪廻を聞かないものは仏教を学べない、と言われてしまうと、私ばかりでなく、今の日本のかなりの人が門前払いされてしまう事になるのでは、と危惧します。

 菩薩道については、テーラワーダと大乗とどちらがちゃんとやっているか比較しようという意図は、私にはまったくありません。その点では、日本大乗のお寺の大半は葬儀法要・水子供養・永代供養や駐車場経営・霊園経営・幼稚園経営しかやっておらず、惨憺たる状況です。前のメールにも書きましたとおり、日本の「仏教」は仏教としてほとんど死んだ状態です。
 私が問題にしたかったのは、菩薩道にひそむ危険性です。安直に捉えられた菩薩道は、危険なヒロイズムになりかねないし、よく思案された菩薩道による行ないも、一人歩きし誤解されて間違った行動に人を誘ったり、誰かに捩じ曲げて利用されたりされかねない。悪と知って行われる事より、正義と信じて行われる事の方が、大きな厄災をもらたすのは、しばしば経験する事です。利害・執着が対立し渦巻くカオス的現実世界に首を突っ込んで行くことの危険性を、大乗以前の仏教はよく分かっていたのではないか、と思ったのです。
 こう書いたからといって、勿論私は菩薩道を全否定しているわけではありません。心理的には菩薩道に惹かれるからこそ、その危険性も認識しておきたかったのです。
 頂いたメールで、佐藤さんは(テーラワーダも?)、菩薩道をかなり肯定的に捉えておられるということが分かりました。

 捨については、ヒントを頂きました。いかなる有情もえこひいきせず、毛嫌いせず、平等に接するというのは、等しい距離を取るという外面的な意味ではなくて、自分にとって好ましい・好ましくないといった価値評価をしない、すなわち執着をしないことが捨である。もっと突き詰めるなら、そのような執着を起こすのは<自分がある>と思っているからであるから、我執をなくすことこそが捨である、ということでしょうか? であるならば、確かにおっしゃるとおり、捨の完成は修行の完成になります。現実世界の具体的場面にどう向き合うかという問題ではなく、自分の内側のあり方についての教えということでしょうか?
 ようやく腑に落ちる理解を得られたような気が致します。今後も引き続きこの理解の仮説を検証し深めていきたいと思います。ありがとうございました。

 今回のメールは「言い訳」ですから、お返事は不要です。私の結んだ草を解いてまわることの大変さは、私がよく存じておりますので、そのようなお手間を取らすわけには参りません。引っかかり、けつまずきながら、自分の仮説を深めてまいりたいと思っております。

                             敬具
佐藤哲朗様
         2003,7,14,
                               曽我逸郎

・・・・・・・

【2005、1、24、加筆】
 岩波文庫『悪魔との対話』中村元訳を読んでいる。輪廻転生の根拠として佐藤さんが挙げておられるDhammapada(法句経)の「家の作り手」に似た言いまわしがあるので、抜粋しておきたい。これらが主張していることは、輪廻転生とは反対のことだと私には思われる。

サンユッタ・ニカーヤ 第X篇 第9節
<悪魔>
「だれがこの個体を作ったのですか? 個体の作者(つくりて)はどこにいるのですか? この個体はどこから生じ、この個体はどこで滅びるのですか?」
<セーラー尼>
「この個体は自分のつくったものではない。この個体は他人の作ったものではない。
 原因に依って生じ、原因が滅びたならば[個体も]滅びる。
 譬えば、或る種子が、田に捲かれて、地味と湿潤との両者とに依って生えて成長するように、そのように[五つの]生存構成要素と、[六つの]要素と、これらの[六つの]認識領域は、
 原因に依って生じ、原因が滅びたならば滅びるのである。」
  (「自作でも他作でもない」は龍樹『中論』の「観因縁品第一」を連想させる。)

同 第10節
<悪魔>
「この生ける者は、誰が作ったのか? 生ける者の作者(つくりて)はどこにいるのか? 生ける者はどこから生じるのか? 生ける者はどこに滅びるのか?」
<ヴァジラー尼>
「そなたは何故に〈生ける者〉というものを認めるのか? 悪魔よ。汝は
 悪しき見解をいただいている。
 この〈生ける者〉はただ諸々の形成されたものの集合である。ここに〈生ける者〉は認められない。
 響えば実に諸々の部分が集まったならば「車」という名称が起こるように、それと同じく、五つの構成要素(五蘊)が存在するのに対して〈生ける者〉という仮りの想いが起こるのである。
 実に苦しみが起こり、苦しみがとどまりかつ滅びてゆく。
 苦しみのほかには、なにものも生起しない。苦しみのほかには、なにものも滅びない」
  (「車の比喩」は、「ミリンダ王の問い」と共通だ。「なにも生起しない。なにも滅びない」という言い方も龍樹を思い起こさせる。)

【2005、2、9、さらに加筆】
 法句経(Dhammapada Nos.153,154)の「家の作り手」とほとんど同じ言葉をテーラガーターに見つけた。中村元訳 岩波文庫『仏弟子の告白』「二つずつの詩句の集成 第4章」より。

  1. (人間の個体存在という)小さな家は無常である。わたしは[幾多の生涯にわたって]あちこちに繰り返し家屋の作手をさがしもとめて来たが、生涯をくりかえすのは、苦しいことである。
  2. 家屋の作手よ! 汝の正体は見られてしまった。汝はもはや家屋を作ることはないであろう。汝の梁はすべて折れ、家の屋根は壊れてしまった。心は方向を転ぜられ、まさにこの世において消滅するであろう。
      シヴァカ長老
 ここまで同じだと、どちらか片方が元になったと考えるべきだろう。釈尊の言葉がシヴァカ長老という一弟子の言葉として伝えられるとは思えないから、シヴァカ長老の言葉が皆に気に入られ、広がって行くうちに、いつしか釈尊の言葉とされて法句経に取り入れられたと想像する。すなわち、法句経の「家の作り手」は、おそらく釈尊の言葉ではなかったのだ。(もっと厳密な考証があれば御教授下さい。)
 シヴァカ長老よりも、二人の尼僧のほうが、無常=無我=縁起を正しく深く理解しているように思える。

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【2005、2、22、再度加筆】
 上の加筆に対して、佐藤哲朗さんからご意見を頂いた。

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