安部さんより 感想 2002,12,12,
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とても感動しました。ブラボーです。
わかりにくいことをわかりやすく書くのはとても難しいことだと思います。
ここに書かれてあることを仏教用語を使わずに表現できたら・・・などと考えてしまいました。
ありがとうございます。ブラボーブラボー!ワンダフル!
安部さんへの返事 2002,12,13,
前略
お褒め頂きありがとうございます。
> ここに書かれてあることを仏教用語を使わずに表現できたら・・・
本当にそうですね。もしよろしければ、安部さんにやっていただけたらうれしいです。
私は、いつかそのうち英語でやってみたいなと、夢想しています。英語にすると、気付かなかった問題点がいっぱい出てくるような気がしています。
ご意見ご批判、またお聞かせ下さい。
草々
安部様
2002,12,13, 曽我逸郎
安部さんからの返事 2002,12,14,
前略
先日は早速お返事いただきありがとうございました。
曽我さんの「あたりまえの般若経」をサイトで見つけたのはまったくの偶然でした。実は若いころ?を思い出して「死ぬのが怖いのはなぜか?」などと考えていた過程で「死ぬのが怖いのは自分がなくなるのが怖いから」ということに行き着いて「では自分とは何だろう」ということで「自己とは」で検索していて曽我さんのサイトにたどり着いたというわけです。
20年程前に私もある大学の哲学科に在籍していて、現象学やら仏教哲学やらの本をわけもわからず読んでいました。卒業後会社員になってからは「生きていくのに」精一杯で、たまにそれらしい本を読むことはあっても深く考える時間などなかった(つくらなかった)ようです。
仏教の本もほんの少しだけ読みかじってはおりましたが、難解な?仏教用語が多く出てくると正直言ってほとんど分からないか、分かったような気になってしまうかどちらかでした。
曽我さんの「あたりまえの般若経」を読んでみて、何かこうストレートにハートを射られたように感じがして、感激のあまりメールを差し上げた次第です。
曽我さん自身も「あたりまえの般若経」においてできるだけ仏教用語を使わずに説明しようとしているのだなあと、ところどころ再読して思いました。
無我や縁起や空などの仏教哲学のキーワードを日常の言葉で表現することが可能かどうか僕には分かりませんが、それに挑戦することで自分なりの理解が深まることもあるんだろうなと思っています。
私も今は妻が一人と?子供が三人いてけっこう大変な生活ですが、おりに触れて自分なりの考えを深めていけたらと思っています。
曽我さんもがんばって(日本人はこれしか言えない?)ください。
またおりに触れてメール交換などしていただけたらありがたいです。
敬具
2002・12・14 曽我様へ
安部
安部さんへの返事 2002,12,17,
拝啓
私も妻一人、子供3人です。根がナマケモノなもので、何事も”大変”にならないレベルで済ます様にしております。
メールを頂ける方は、なぜかポスト全共闘世代の方が多いようです。安部さんもそのお一人でしょうか?
政治的にも世相的にも暴れまわっていった全共闘世代の後の瓦礫の中、もしくは台風一過の空の下、なんとなく感じつづけてきた空漠感が仏教に惹かれる所以でしょうか?
今後ともよろしくお付き合いの程お願い致します。
敬具
安部様
2002,12,17, 曽我逸郎
安部さんからの返事 2002,12,17,
拝啓
お察しの通り私は1960年生れのさそり座、血液型はB型です。
私が学生のころにはこれといった学園紛争もなく、曽我さんがおっしゃるようにポスト全共闘世代と言ってもいいかと思います。(学園紛争の残り香は少しあったように記憶してます。)
仏教のことをすこしかじったのも、宗教的な動機からではなく、もっぱら哲学的な興味からだったように思います。
「仏教哲学研究会」などというサークルにも何回か顔を出してみましたが、議論していることの意味がよくわからず、自分の頭の悪さばかりが感じられた記憶があります。
幸か不幸か数年前に勤めていた会社が倒産して(暗くてすみません)、そのときに取っていた資格を利用して現在ほそぼそと自営業を営んでおります。それで時間はあるけどお金がない生活になっているというわけです。
おかげさまで学生時代に戻った気持ちで、人生のことや哲学的な問題を、貧弱な頭脳で考える時間が今はあります。(これからどうなるかわかりませんが)
「20代の人間なんか体を鍛えてればいいんで、本格的に学問をするのは40過ぎだ。」とプラトンが言ったとか言わないとか。20代に読んだ本ももう一度読み直してみれば全く違う理解ができるのかもしれませんね。
曽我さんの小論文とか「意見交換コーナー」とか二三拝見させていただきました。あれだけの議論をするには相当の読書量と思索時間が必要なんだろうなあ、と感じました。
私はそれほど難しい議論をするつもりはありませんし、できもしませんので気楽にお付き合いください。また毎回返事をいただかなくても結構です。
仏教用語を使わずに、自分なりの言葉で「無我=縁起」なることを表現できたら曽我さんにメールしますので(できるかどうか甚だ自身はありませんが)そのときは感想など聞かせてもらえれば幸いです。
それではまた。お元気で。 敬具
曽我 逸郎 様
2002・12・17
安部