谷 真一郎さんから  スッタニパータの事など 2001,7,22,

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(このメールを頂く直前に、谷さんと二人で酒を飲みました。曽我注記)

曽 我 逸 郎 様
           from 谷 真一郎

 先日は、やや特定の問題に深入りしすぎた議論になってしまったようですね。
 『スッタニパータ』の中でも最古とされる「蛇の章」に、
「797かれは、見たこと・学んだこと・戒律や道徳・思索したことについて、自信のうちにすぐれた実りを見、それだけを執着して、それ以外の他のものをすべて劣ったものであると見なす。 798人が或るものに依拠してその他のものは劣ったものであると見なすならば、そのものは実にこだわりである、と真理に達した人々は語る。それ故に修行僧は、見たこと・学んだこと・思索したこと、または戒律や道徳にこだわってはならない。」
という部分があります。この部分を(釈尊の反ウパニシャッド的立場ということで)私が紹介しながら、私自身がややその弊に陥っておりました。
 『スッタニパータ』のこのような部分こそ、少なくとも当時のレベルでのインド思想(ウパニシャッドをも含むバラモン思想)を突き抜けていた部分ではないか、と思います。
 また、このように言い切るためには、真の「正しさ」というものが、言説のレベルに属するのではなく、修行によって得られるある「意識の状態」と、(その意識によって見られる)「世界像」のレベルに属するのだ、と考えねばなりませんね。
 「空」について言うならば、仏教に関するある本では、それが客観的諸存在をありのままに見た場合に見出される一種の自然法則(つまり客観世界の中での問題)であるかのように書かれ、別の本では全く違って、通常の認識が言語をエレメントとしているが故に起こる錯視(つまり主観(意識)と客観(対象)の関係性の問題)であるように書かれています。何故こんなに違ってくるのか、結局誰もよくわかっていないまま書いているのではなかろうか、等々と色々考え続けてきたのですが、最近、おぼろげながら、この二つの「空」解説が、結局同じ事を言っていることになるのだ、ということが掴めたように思います。

 先日お話しした、現代日本のチベット仏教受容を巡るイデオロギー状況のような事について、自分用にまとめたメモがありますので、下に貼り付けて送ります。これらは全くのメモですので、貴HPに載せていただくには及びません。(この後許可を頂きましたので掲載します。曽我)

 近況の話になりますが、ここ数日、三重県の山奥で陶芸空間を20年間制作し続けている東さんという方(この話は曽我さんにもきっとしていると思います)が書かれた自叙伝的な文章の、下書きをワープロ打ちする作業をやっています。
 そこで感じたのが「写経」という作業の功徳です。書き写すという作業はテキストに対する感情移入を伴い、つまりはそのテキストを書いた人の経験を心理的に追体験するわけですから、今回の場合のようにその人が偉い人であって、通常の人がしていないような経験を色々としている場合には、それを筆写(ワープロ写?)することで、こちらの魂が多少なりとも高められあるいは浄化されるのではないか、と思います。
 では、またいつか、「宗論(?)」を交わす機会があればよろしくお願いします。
草々

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T チベット仏教把握の問題状況

立場1.山口瑞鳳・袴谷憲昭・松本史朗
 今は失われてしまったサンスクリット文献の代替物たるチベット語文献を通じて「後期インド仏教を知る」、という目的のためのチベット仏教。この観点に、インド仏教に対する特定の評価基準(ありていに言えば「教相判釈」)が加わると、チベット仏教の中でも「インド仏教の正統を伝えた」ものと誤ったものとがあることになる。中観は正しくて唯識は間違っている、唯識の影響を受けて妥協した中観もいけない、ということになる。中国(禅)の影響は、悪影響としてのみ承認する。
 この立場からは密教はその全体が余分なものであるし、ニンマ派やポン教等の土着的要素の評価などは論外である。
 インド仏教の祖述を超えて一歩を進めた(?)とされるツォンカパへの評価は高いが、それも作為的に顕教方面だけを扱っている。

立場2.チベット民族主義
 おそらくチベットの中ではこれが支配的な立場である。サムイェ宗論を正義(インド仏教)と悪(中国仏教)の対決とするのは1の立場と重なるが、その後のチベット仏教の独自性を大幅に認め、中国仏教の影響は否定的なものであろうとも承認しない。密教・ポン教の価値を認める。
 アテーシャ・ツォンカパ両者を高く評価する。基本的にはダライ=ラマの法灯を支持し、中国の「侵略」に抵抗する。

立場3.中沢新一ら 「精神世界」派
 チベット仏教の密教的・ヨーガ的側面を重視するので、必然的に、ゲルク派(ツォンカパが開いた主流派)よりも圧倒的少数のニンマ派(古派)やカギュ派に光をあてることになる。
 この立場に立つ人々は、ニンマ派に限定される教義や文献をチベット仏教一般のものであるかのように紹介する。例えばニンマ派文献であるバルド=トゥドゥルが「チベットの死者の書」という名でマスコミに乗ることになった事など。この潮流は結果的に、オウム真理教の理論的支柱ともなった。これまた明らかに(結果的には1と同様)チベット仏教の公平な紹介とはなっていない。
 ただし、バルド=トゥドゥルを訳した時のタイトルを「チベットの死者の書」とする事が1920年代の英訳に遡るように、この傾向は西洋におけるチベット仏教受容にもともとあったスタンスである。

立場4.散文的立場(一応これが私の立場です)
 チベット大蔵経にはサンスクリットからのみならず漢訳仏典からの重訳が相当数含まれる。また、元以後は中国との交流が活発化し、チベット大蔵経の最初の開版は明時代の北京で行われている。中国とチベットの文化水準及び社会スケールの圧倒的落差を考えると、各時代に中国仏教の影響が無かったとは考えられない。
 ただ、チベット仏教形成期に功のあった外国人は圧倒的にインドから来ている。サムイェ宗論も、その結果としての勝敗は政治的に用意されていたものだとしても、インド仏教の勝利ということ自体は動かない。
 次に、インド仏教の何を取り入れたか、の問題。1の論者のように自分の気に入らないものはチベット仏教の中でも傍系として扱う、というのはいただけない。 ゲルク派(ツォンカパの開いた主流派)の僧院では、顕教では因明(法称『量評釈』)・般若(弥勒五書の一『現観荘厳論』)・中観(月称『入中論』)・倶舎(世親『倶舎論』)・律の五つが学ばれたという。『現観荘厳論』は唯識の立場に立った書である。インド大乗仏教の学習カリキュラムとしてバランスのとれたものである。
 思うにチベットでは、自らが後進国であり受容の立場にあることが深く自覚されており、インド仏教の全般を学んだ上で優れたものを選択していこうという姿勢だったのではないか。その選択は各時代に行われたけれども、インド仏教の全体を学び研究する、ということはずっと行われ続けたのである。1の論者は中心はあくまで中観だった、というが、その中観は瑜伽行中観派にせよ経量部中観派にせよ、龍樹の時代の純粋なものからは遠ざかって経量部や唯識の立場をも包含した中観なのである。おそらく、
1.最高の真理は中観の空であるが、
2.後に出た唯識の哲学がその玄義を明らかにした。
というのがチベット仏教の中での穏当な共通認識であろう。
 密教はチベット仏教の中で大きな要素である。しかし、3の人々の言うように「顕教=寺院の中の制度的仏教」「密教=民衆の支持のもとでの苦行者の仏教」という図式も単純に過ぎる。シャーティラクシタが自分を応援する者としてインドから呼んだ(密)パドマサンバヴァに対して(顕)カマラシーラ、アテーシャの密教重視に対してブレーキをかけたドムトゥン、カギュ派の教祖(密)マルパに対して(顕)ガムポパ、密教重視で出発したサキャ派を顕教の方に転換させて学問仏教の流れを作ったサキャパンディタ、等、チベット仏教では、密教に走るとそれを顕教の方へ引き戻して安定化させる動きが常に存在する。一見したところ正反対の理念と体質を持つかに見える顕教と密教とが、チベット仏教では(敢えて融合はしないままで)表裏の関係にあったのである。そして、実際にチベットでの僧院生活を経験した多田等観(『チベット』)によれば、チベット僧の多くは顕教を学ぶことにとどまり、密教へと進むのは少数である、という。

   ***

U チベット密教と「浄−穢」の問題

・修行者の明妃には賤民階級の女性が選ばれること(津田真一による)
・明妃をパートナーとした秘儀は墓地で行われること(〃)
・仏具に、人間の大腿骨で作った笛、人間の頭蓋骨で作った杯、等が使われること
・マンダラ等の図像に、頭蓋骨のみならず、殺された人間の眼球・全身の皮膚等が描かれること
・マンダラの周囲の結界には、火炎・金剛叉とともに「墓地」が配されること
・大便・精液・経血等が象徴的な「甘露」とされること
・「チュウ」の技法においても、死体を煮て食ったり血を啜ったりという場面があること。

 これらの事から判断するに、チベット密教では、日常の「浄−穢」を敢えて逆転した所に、修行と悟りの世界を置いている。
 日頃「穢」としてきたものに対する感覚的な嫌悪感や反発を乗り越えることで、ある種の自己超克が得られる。また、一旦垣根を超えて「穢」の方へ行ってしまった者は共同体には二度と戻れないから、その意味で退路を断つということでもある。迷いの世界から悟りの世界への跳躍のスプリングボードとして「浄−穢」が使われているのである。
 この構造がチベット密教に独特のものなのか、後期インド密教からの移入なのか、ということは今は問題にしない。ただ、唐を経て日本に伝わった密教の流れには、その構造は全く無く(例外は真言立川流)、従って日本の密教は(他の宗教と同様)徹底的に「浄」の世界に身を置いているということは、確認されておかねばならない。
 このことを敢えて無視して、両者を密教という同じ言葉で一括した上でチベット密教の魅力を云々し、その世界へ魅惑を以て誘う、という言説には十分に注意せねばなるまい。むしろ、チベット仏教をラマ教と呼んだ上で邪教扱いした人々にこそ、そこに偏見はあったにせよ、彼我の仏教の間にある違いが十分に気づかれていたことになるのである。


谷 真一郎さんへの返事

                          2001、8、1、
前略

 先日は失礼いたしました。いささか盃のピッチが早かったようです。
 独善的な私に、いつも別の視点を提起して頂きありがたく思っております。

1)「こだわらない事」について

 教えて頂いた『スッタニパータ』「蛇の章」で思ったことを書きます。

>「修行僧は、見たこと・学んだこと・思索したこと、または戒律や道徳にこだわってはならない。」

 これは、釈尊のような全幅の信頼を寄せることのできる指導者が身近におられる場合にのみ言い得ることではないでしょうか? 機に応じて人に応じてそのつど適切な指導が為されているのに、過去に学んだ事・自分の考えにこだわって素直に聞こうとしない。確かにこれは、よくない事です。
 しかし、悔しい事に、今私たちの周りには信頼できる指導者はいません。安易に信頼を寄せると、たとえば「人間は欲に溺れ執着にまみれている。これ以上業を重ねる前に早くポワして来世に送ってあげることは、正しい慈悲である」などどいった、とんでもない教えを受けてしまう。
 「こだわるな」というのは「なにもかも受け入れよ」という意味ではないと思います。「耳を傾けよ。ただし批判的に。」これが、信頼できる指導者のいない世に生きる我々に可能なぎりぎりの「こだわらない態度」だと思います。
 そして批判的に聞くためには、整合性のある体系的な仮説が必要だと思います。仏教理解の整合性のある体系的仮説。批判的に耳を傾けて学んだ事と、自分の仮説をぶつけ合わせ擦りあわせる。その結果、自分の仮説が、部分的にあるいは根本的に破壊改訂されることもあるでしょう。それは、仮説の深化発展であるに違いありません。そしてそれは同時に我々自身の深まりでもある筈です。矛盾する考えを「こだわりなく」並列的に認めるだけでは摩擦は起こらない。全幅の信頼を寄せることのできる指導者(仏)のおられない現代では、体系的整合的仮説をごりごりがしがしぶつけ合うことなしに仏教の理解を深める事は、難しいと思います。
 ぶつけ合いによって、仮説に矛盾を発見したり、より優れた仮説を見つけた場合には、私とてこだわる気はありません。調子よく無節操に転向するつもりです。実際のところ、これまでもそうでした。ホームページを始めて以来、我ながら僅かだけれど確かに深まったと感じています。それは、自分ひとりで考えたのではなく、本で読んだ事や、なによりメールで頂いた質問やご意見のおかげです。それらによって私は自分の仮説の修正を迫られ、深められてきたのだと思います。
 谷さんをはじめ、皆さんに感謝しています。

2)チベット仏教について

 チベット仏教にかかわる問題点を簡潔かつ的確に整理して頂きました。チベット仏教を考える際の座標軸が据えられたように感じます。
 自分を四つの立場にあてはめれば、自信の欠ける<立場1>でしょうか。
 チベット仏教は、仏教(=無我・縁起)を釈尊から正しく引き継ぐ中観の唯一の生き残りと思うのですが、そもそも中観がチベットに入ってきた時から、呪術(論敵・中国禅を呪う)的役割の密教(パドマサンバヴァ)と手を携えてきたことが納得できない。いまだに活仏相続制を採っているのが納得できない。というのは、私の仮説では、釈尊の正しい継承である中観は、密教や活仏相続とは、両立不可能であり相容れない、と考えるからです。
 この疑問を説明できる推論はいくつか可能です。
1)チベット仏教が、中観と密教・活仏相続を並列させているのは、仏教として不徹底であるが故である。
2)両立不可能と決め付けているのは、曽我の理解・仮説が間違っているためである。正しく理解できれば矛盾はない。
 2)-1 曽我のチベット仏教理解が間違っている。
 2)-2 曽我の中観理解が間違っている。
 2)-3 曽我の密教・活仏相続の理解が間違っている。
 私としては、1)と信じたいのですが、まったく自信がありません。2)-1、2、3、すべて何がしかの程度であてはまっているでしょうが、特に2)-2が大きく間違っていると、仮説を根本的に構築し直す事になります。そうなると、大変ではありますが、それだけ一挙に深まる事ができるのだとポジティブに考えて、その場合も積極的に仮説再構築に取り組みたいと思います。

 今後ともよろしく御教授下さい。

                                 草々

谷 真一郎 様
                          曽我 逸郎

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