曽我逸郎

英霊にこたえる会会長 中條高コ氏との意見交換


2011年6月16日

 英霊にこたえる会会長、中條高コ氏のご講演を拝聴する機会があり、感想をお送りし、中川村HPにも掲出したところ、返信を頂戴した。これも村HPに掲載したが、本日お送りした私からの2通目は、内容がやや踏み込んだものになっているので、村のHPには相応しくないかもしれない。村HPに掲載している分ともども、こちらの個人ページに掲出する。
 テーマは、世界から敬愛される日本になるためには、どうあるべきか。また「公」について、その他、歴史の諸々である。
◆ 講演の感想

 長野県町村長会議(2011年1月18日、全国町村会館)で、中條高コ氏のご講演を聴いた。中條氏は、アサヒビールを躍進させた立役者であり、現在同社名誉顧問、また、英霊にこたえる会会長、(財)日本青少年研究所理事、(社)日本国際青年文化協会会長、(社)日本戦略研究フォーラム会長など要職におられる。英霊にこたえる会会長のお話を直々に伺える機会が得られるとは思ってもいなかった。
 現在84歳、大病をされたそうだが、大変お元気で闊達な話しぶりだった。冗談も交え、話題が豊富で、今自分で取った走り書きのメモを見返しても、体系的な報告はできそうにない。印象に残った言葉から、私なりの感想をまとめてみる。勘違いもあるかもしれないので、この一文はメールでお送りして、もしコメントを頂ければ、それもあわせて村HPに掲出しようと思う。

* 以下、中條氏講演「変化の時代 〜あなたはどう生きる〜」からメモした言葉

 変化の時代は、情報機能の進化がもたらす。
 ソ連は鉄のカーテンを引いて、情報を遮断した。
 フランス革命は自由・平等・博愛であるが、マルクス・レーニン主義は平等だけあればよい、という思想である。
 共産主義の粛清の犠牲者は、戦争の犠牲者より多い。
 貧富の差の小さい日本の姿が、ペレストロイカを導き出し、ベルリンの壁を壊した。
 日本は、間違いなく滅びる。国が滅びる原因は三つある。
 一に、理想を失った民族は滅びる。日本の高校生を調査したが、夢がとても小さい。
 二に、心の価値を失った民族は滅びる。今の日本は、アメリカナイズされ、カネの価値がすべて、モノがすべてになっている。
 三に、自国の歴史を見失った国は滅びる。米国の占領政策は非常に巧妙で、日本の歴史のすばらしさはかき消された。
 コロンブス、バスコ・ダ・ガマ以来、スペイン・ポルトガル、オランダ、イギリスと世界を牛耳る国は入れ替わったが、一貫して白色人種が有色人種を植民地支配してきた。
 中国は、中華思想で周辺民族を見下していたが、アヘン戦争で敗れた。
 しかし、中国に東夷と呼ばれた日本は独立を守った。
 それなのに、戦後の日本は、自国の悪いことばかりあげつらっている。
 日本のこの五百年の歴史にまったく一行一句の間違いもない。
 日本は近代国家の建設に努力した。
 戦争は人類にとって罪深いもの。されど起こる。避けてはいけない。
 日露戦争の世界史的意義を忘れてはならない。
 日露戦争で戦う前に戦争を終える算段をしておいたのはすばらしい。
 ルーズベルトに和平調停を依頼しに行った金子堅太郎の努力・活躍はすばらしい。
 それに比べて、今の中国との交渉はどうか。
 日本の国は、あまりに左に行っている。
 しつけは、5,6歳から叩き込まねばならない。
 マッカーサーは、武器を携えず、コーンパイプをくわえて降り立った。軍人に対する日本人の従来のイメージとは異なるところを演出した。
 GHQは、直接支配せず、日本人を使って間接占領した。日本民族同士を離反させた。軍人は悪というイメージを作った。
 軍人は防人であり、愛する郷土のため、家族のため、志願して行った。英霊となった若者達はちっとも惨めではなかった。
 戦争に行ったオヤジ世代は戦争を語ることができない。それ程せつない体験をした。
 自分は、士官学校の職業軍人だが、戦場に出ていないので、戦争を語ることができる。
 マッカーサーの教育使節団は、日本の教育を破壊した。
 士農工商の士は、リーダーになるべくして生まれ、その自覚を持ち、幼くして人間学を叩き込まれた。旧制高校も人間学を学ぶ場だった。(中條氏は、士官学校の後、旧制松本高校に進まれた。)
 人間学に対するのは、時務学、要領学であるが、今の教育はこればかりだ。
 挨拶のできる子にしなければいけない。命令にハイと素直に答える子を育てる。
 後片付けのできる子、先祖を大切にする子を育てる。
 天皇の機能は、争いにあって常に中庸におられること。源平が争おうが、どちらかに肩入れはしない。
 民の災いは我が災い、民の病は我が病と思いなし、阪神淡路大震災には7回行かれた。
 京都御所の周囲の溝はとても細い。ヨーロッパの城の高い壁とはまったく異なる。
 日本は田植えなど共同作業の伝統があり、絆が深い。恥の文化である。
 植民地化を逃れた唯一の民族である。
 軍隊が弱くて負けたのではない。正義が足りなくて負けたなんて要素はまったくゼロ。
 日本には、環境や四季というすばらしい資源がある。
 京都も原爆の標的だったが、歴史と文化によって対象から外された。
 このような日本のすばらしいものを大切にして欲しい。
        <以上、中條氏の講演から>
 断片的で申し訳ないが、およその雰囲気は伝えられたのではないかと思う。
 私とは歴史の受け止め方がぜんぜん違うと感じる部分もあるし、基本の思いは同じなのにまったく異なる考え方になるのだと思う部分もあった。

【 日本の歴史に間違いはなかったか 】

 上記メモのうち、「世界史の大きな流れは、白色人種が有色人種を植民地支配してきた」という見解など、いくつかは、私も同じ考えだ。
 しかし、「日本のこの五百年の歴史にまったく一行一句の間違いもない」と仰る点は頷けない。他国に軍隊を送り出し、しかも兵站を無視して、食料は現地で調達せよ、すなわち必要なら奪え、というやり方に理を主張できるのか。中国に従軍した新兵たちにやらせた「刺突訓練」は正しかったのか。他国で戦争をして、民間人を殺傷し、民間の建物、農地を破壊することが皆無だったのか。逆の立場に立って考えれば、答えはすぐに分かる。もし「戦争とはそういうものだ」というなら、そもそも戦争をしたことが間違いではないか。「戦争をせざるを得ないように追い込まれた、嵌められたのだ」というなら、嵌められて戦争をして、大きな災いをつくり、そのあげく悲惨な大敗を喫したのは、まったく愚かな間違いではなかったのか。「それは今だから言える後付けの非難だ。当時の状況では仕方なかった」というなら、歴史を検証する意味はなくなる。その理屈では、どんな間違いも、その時は仕方なかった、で済まされてしまう。歴史を顧みる意味は、時代を超える行動・判断の基準、正しさを考えることであろう。
 そもそも、人間とは欲深い執着の反応だ。間違いをしでかさない国家・民族などない。自分達の過ちを認め、それを正していくことのできる人々こそが、尊敬される。「自分達の歴史に一行一句の間違いもない」などと本気で主張するなら、冷笑を買う他はない。

【 戦死した兵たちは、惨めではなかったか 】

 「戦死した若者達はちっとも惨めではなかった」という見解にも同意できない。硫黄島で壕の奥に身を潜めたまま、大量の水とガソリンを流し込まれ火をつけられ、水の中で溺れ死ぬか水面に顔を出して焼け死ぬかしかなかった兵たちは、惨めではなかったのか。ニューギニアの、サラワケットの山越えで霙に震え身を寄せ合って凍え死んだ兵たち、湿地帯の泥に半ば沈みながら、クモを食べ、ヒルに苛まれ、風土病に苦しみ、ウジを湧かせながら餓死していった兵たちは惨めではなかったのか。インパールもしかり。機の不調などで目標に到達できず生還した特攻隊員を日本軍はどう扱ったのか。命がけの訓練をやりぬいたにも拘らず、満足な護衛機なしに出撃命令を受け、母機にぶら下げられ、なにもできないままもろともに撃墜されていった特攻機「桜花」の搭乗員たちは、その時、何を思っただろうか。国際法の規定も教えられないまま、捕虜収容所の獄卒を命じられ、命令のとおりに働き、敗戦の報にやっと故国に帰れると思ったのもつかの間、BC級戦犯として死刑にされた朝鮮半島出身者は、喜んで靖国神社に入っているのか。
 中條氏は、「英霊」たちのそれぞれの感情に思いをはせ、寄り添おうとしておられるのだろうか。勿論、氏の言われるような人もおられただろう。講演だから、あえて単純化された面もあっただろう。それにしてもひとまとめに「ちっとも惨めでなかった」というのは、遊就館の展示と同様、あまりに偏ったステレオタイプの見方ではないだろうか。
 「英霊」と十把一絡げに論じるのではなく、ひとりひとりの戦争犠牲者のそれぞれの事情、思いや夢、無念を推し量ることによってのみ、戦争というものの実態にいささかなりと近づいていけるのではないかと思う。

 中條氏は、戦地に赴いた「オヤジ」世代は、「せつなくて戦争を語れない」と仰った。職業軍人でありながら戦地に立ってない自分は、戦争を語ることができる、と仰った。これはどういうことか。
 戦争を語れない「オヤジ」世代は、死んだ戦友たちが抱いていた夢とそれを遮断された無念さ、無残な死に様を知っており、のみならず、戦場で自分たちがしたことを正当化して外に語ることのできない負い目があるのではないかと思う。私自身の経験を言えば、認知症の徴候の出始めた或る老人が、病院のベットで食事介助を受けながら、「俺がこんなくさい飯を食わねばならん訳を知ってるか」と言って、兵隊で行った中国を仄めかし、ニヤリと笑ったのが忘れられない。
 あまりに悲惨な体験には、人は語る術を持たず、沈黙する。罪悪感のあることにも口は重くなる。戦死した兵たちは、勿論一言も語らない。戦争を語ることができるのは、懐かしがることのできる恵まれた戦争体験をした人たちだけだ。あるいは、懐かしがれる罪のない体験だけが語られるのかもしれない。

【 現在の日米関係をどう評価するか 】

 講演を聴いて、最も気になったのは、現在の日米関係を中條氏がどう評価しておられるか、という点である。

 講演の後の懇親会で尋ねた。
 「米国の占領は非常に巧妙で、日本人を使って間接支配した、というお話しでした。私もまったくそのとおりだと思うのですが、日本は、実は敗戦からずうっと今の菅政権まで、一貫してアメリカの実質的な傀儡政権が続いてきたのではないかと思うのです。日本は実際には独立などしておらず、米国に巧妙に支配されて続けてきたのではないでしょうか。」
 中條氏は「そうだ」とおっしゃった。しかし、その声の調子は、あまり強いものではなく、歯切れが悪かった。私は重ねて尋ねた。
 「確かに中国も警戒しなければなりませんが、それ以上に警戒すべきは、米国による間接支配ではないでしょうか。」
 中條氏は、こう応えられた。
 「米国は、もっと早く、10年くらいでこのあたりのこと(日本周辺の意味だと思う)を日本に任せようと思っていた。しかし、日本はいつまでも米国に頼っている。」
 さらに突っ込んで尋ねたかったが、私の横で話したがっている人たちもいて、それ以上は聞けなかった。

 短いやりとりから推察するのは危険だが、中條氏は、日本は米国の下で極東地域を受け持つべきだ、と考えておられるのだろうか。占領期のGHQの政策を非難し、日本がアメリカナイズされていることを嘆いておられる一方で、現在の米国の対日戦略にはさほどの警戒はしておられないように感じた。
 私は、今の日本の右寄りの人たちには、奇妙なほど従米的な人が多いと感じている。中條氏が、この点についてどうお考えか、機会があればご意見を伺ってみたい。

【 日本を誇れる国にするには 】

 中條氏は、日本人が日本という国を誇りにするようにしたいと考えておられるのだと思う。だから日露戦争をことさら強調し、「日本のこの500年の歴史に間違いは一切ない」と仰る。
 私も日本という国を誇れる国にしたいと思う。根本の思いは同じだ。しかし、微妙な違いがあり、それがまったく異なる考えに導く。
 私は、日本を誇れる国にしたい。それは、これから実現すべき目標だ。過去と現在の日本を無批判に肯定することではない。逆に、過去の過ちを正視し、堂々と認め、改めることのできる国こそが、誇れる国だ。
 それに、日本人が日本を誇りにするだけでは十分でない。日本を世界中の人々から尊敬され愛される国にしたい。そのためには、過去の過ちを正す勇気が必要だ。自国の歴史には一切間違いがないなどという主張が、世界で相手にされる訳はない。

 中條氏は「戦争は罪深いものだが起こる。だから避けてはいけない」と仰る。現実的な考えかもしれない。しかし、私には現実妥協的なものとしか思えない。日本をどこにでもある凡庸な国にすることだ。戦争に巻き込まれて泣き叫ぶ女性や子どもの声を、避けてはいけない、と受け入れなければならないのか。そんな筈はない。それをなくすことに真摯に努力することが、日本を世界中の人々から敬愛される国にする。
 勿論たやすいことではない。時間もかかるだろう。時には短期的な国益を捨てる決断がいるかもしれない。それでも戦争をなくす努力を続ける。世界から貧困をなくしていく。格差を是正していく。思うことを思うとおりに言える自由と互いに考えを深めていく議論が可能な世界をつくっていく。武力にものを言わせるのは恥ずべきことだという世界世論を作る。政治力も外交力も要るだろう。情報収集力も発信力も要る。理を深め理を貫かねばならない。なにより日本国民に武力には頼らぬという腹が据わっていることが必要だ。一番最後が最大の障壁だと思うが、すぐでなくてよい。じっくりと真摯に取り組んでいけば、誇れる国、世界から敬愛される国に日本はなれると思う。
 戦争のできる普通のつまらない国ではなく、理想にむけて世界を引っ張る国にすることが、日本を誇れる国にすると、私は思う。

 戦争をなくす努力を真摯に積み重ねることこそが、「英霊」をはじめ、戦争で亡くなった方々の思いにこたえることではないだろうか。
 中條高コ氏ホームページhttp://www.nakajo-t.co.jp/

 

◆ 中條高コ氏からの返信

2011年2月25日
 中條高コ氏から御多忙の中、返信を頂戴した。以下に掲出する。達筆の筆書きで、ワープロの字ばかり見ている私には、一部判読しがたい文字もあるので別に手紙原文のpdfにリンクを張っておく。頂いたご著書『おじいちゃん戦争のことを教えて』(致知出版社)も拝読した上で、あらためて考察したい。
・ ・ ・ ・ ・

 拝復 あれから四国行脚始め九州、山形と出張が続き 貴兄へのお返事が斯く延引し面目もありません
@ 御多忙の職にありながらよく整理され、ほぼ完璧のメモです
A 言葉の伝達の○(難?)しさ 母親がわが娘に「あなたは不良よ」と言った場合、それを受け取った娘が抱く「不良」の概念がどれ程母親の概念と重なるか大きな問題が横たわる
B 貴兄の指摘には概念のすれ違いどころか本質に決定的誤りがあります

(イ)日本の五百年の歴史に一行一句の誤りがなかったなど全く発言していないし、片時もそのように考えたこともありません 「白色人種の有色人種の国々の植民地化の歴史には一行一句の○(間?)違いがないとの発言
(ロ)戦死した若者たちは惨めではなかったか
 論ずるに及びません 当時の若者たちも貴兄の如くいい嫁をもらい村長でもしたかったのです 今度の戦争ばかりではない 元寇の時も、日清、日露の時も国家、国民が侵される危険にさらされた時は今の人達に理解出来ない程の若者の起ちあがりがあったのです
 このように重大な誤解があります
 貴兄は○(勝?)れ者すぎて他人の話を聞く時、心(傍らに強調の丸印)を真白(傍らに強調の丸印)にて聞くの○(で?)はなく或種の先入感を持って聞かれ○(る?た?)のではないでしょうか
 仏に説法と思いますが特に自分の選んだ講師の場合、余程の謙虚さを己に言い聞かせて聞かないと聞き○(ま?)違いの率が○(高?)まるのが世の常です
 貴兄程の○(勝?)れ者がこの重大な質問に入る時に老生がすすめた拙著『おじいちゃん戦争のこと教えて』を読んで検討しようと何故思われなかったのでしょうか
 歴史を正しく読む○○には限りなくそのことが起きた時代に足を身を置いて考えることが求められます これを歴史の「公準」と呼んでいます 貴兄の如き才長けたお方は「デベート」の学問を訓練されたら更に先○○くのではないでしょうか
 対米関係などいろいろご質問がありますが拙著に孫に語る形で論じておりますので三回程読んで下さい
 何故老生が戦争を語る いや語らねばならないかも判って頂けると思います
 差上げる本は宛名を書き損じたものですからご心配無用、貴兄にあげることでこの本も生き還えるのです
 意を尽くしえませんが、この○(勝?)れ民族の明日の幸セの為にお互い力を尽くそうではありませんか
 一灯照隅万灯照国  妄言多謝
                中條高コ
 村長 曽我逸郎殿
       侍史
 
 

◆ 曽我からの2信目 2011年6月16日

拝啓

 返信が大変遅くなってしまい、真に申し訳ありません。

 頂戴したご本『おじいちゃん戦争のことを教えて』を一旦拝読し、精読しつつ返事を書こうとしていた矢先、3月11日の震災、津波、更に加えて東京電力原発事件が起こりました。
 原子力発電に関しては、敗戦時に大本営発表の実態が分かった時もかくやと思うほど、政府や東京電力、マスコミへの不信感が日毎に募り、何を信じていいのか、じっくりものを考えるゆとりが持てずにおります。
 依然としてどうなるか予断を許さない状況ではありますが、いつまでもそのままにしておく訳にもいかず、せっかく頂いた機会、ご縁をさらに有意義なものにすべく、思ったところをまとめてみます。もしまたご教授頂けるようでしたら大変有難く、お時間許せば宜しくお願い申し上げます。

 拝読して最も感じたことは、お人柄のすばらしさでした。お孫さんへの愛情、また特に敗戦直後の静養先の温泉地での出来事のお話は、率直で誠実なお人柄を感じました。
 そのような方にこのような無粋なメールを差し上げなくてもよいのではないか、とも思いましたが、さまざまなことを思い、また多くの疑問も抱きました。

 最初のメールにも書きましたとおり、根本の思いは共通でありながら、異なる考え方をたどった結果、ずいぶん違う見方をしていると感じます。共通するのは、「世界から尊敬される日本にしたい」(p131)という思いであり、「歴史を検討することは大切だ」という考えです。根本の部分が同じですし、柔軟なお考えをお持ちだと感じますので、共感は無理でも、理解はしあえるかもしれないと思い、なんとかまとめてみます。

* * *

 先の全国町村会館でのご講演を、滅多に得られない機会だと喜び、集中してメモを取ったわけですが、その要約に二点「違う」とご指摘を頂きました。この二点は、私としても意外なご発言でびっくりした箇所でしたので、確認できてよかったと思います。

 まず、日本の歴史に間違いがなかったかどうか、という点については、確かに頂いたご本に、日本が盧溝橋事件の後、戦線を拡大していったことは、アメリカが日本を戦争せざるを得ない状況に追い込んだことと同様に過ちだった(p115、p128)、と書いておられます。
 ただ、私には、それは軍事戦略上の誤りに過ぎず、道義的な過ちではないように感じました。軍事戦略上の失敗より、道義的な過ちのほうがはるかに重大であり、日本はそれを犯したのではないでしょうか。また、米国と戦争するに至ったことばかりを過ちと考えておられるように感じましたが、近隣諸国に対しては過ちはないのか。韓国併合と満州国まででやめておけば、問題はなかったのでしょうか。私は、盧溝橋事件以前から、朝鮮や中国に手を伸ばしていったことが、そもそも道義的に過ちだったと思います。

 中條さんは、日本が欧米と戦ったお陰で、アジア各国は西洋諸国の植民地支配から脱することができた(p161)、と考えておられます。しかし、それは実は怪我の功名に過ぎず、日本の指導層は、西洋諸国の中に割り込んでアジアを植民地支配しようとしたのではないでしょうか。

 『日本の国境問題』(孫崎享著、ちくま新書)に福沢諭吉の脱亜論が言及されていました。

 「…この二国(中国・朝鮮)を視れば、…とてもその独立を維持するの道あるべからず…我国は隣国の開明を待て、共に亜細亜を興すの猶予あるべからず…その伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那、朝鮮に接するの法も、隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、まさに西洋人がこれに接するの風に従て処分すべきのみ…亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」
 おそらくこれが赤裸々な本音でしょう。日本は、中国・朝鮮に対して、西洋と進退を共にして周回遅れの帝国主義でもって列強の中にまぎれ込み、おこぼれに与ろうとした。確かに、大東亜協栄圏とか八紘一宇とか「亜細亜同胞を欧米列強の植民地支配から解放する」といった掛け声もされました。理想に燃えた青年の中には、それに応える熱い気持ちもあったでしょう。『地獄の日本兵―ニューギニア戦線の真相』(新潮新書)の著者、飯田進さんも、そう信じてニューギニアに向かったと書いておられます。しかし、日本の指導層は、計算高く国益のそろばんを弾いて、西洋人の風に従いつつ西洋になりかわろうとした。さまざまな美辞麗句は、本音を糊塗するためのものだったと思います。

 朝鮮、満州への侵攻について、中條さんは、迫りくるロシアの脅威に対処するためである、アメリカもカメハメハ王朝を消し去りハワイを併合した、同じことをやっている、と繰り返し書いておられます(p57、p110)。しかし、他国もやっている悪事なら開き直れるのか。他国と同様の悪をなす凡俗な国でよいのか。天皇制については、他に例のない日本だけのすばらしさ、と言っておられます。自慢については唯一特別だと言い、悪いことは他国と変わりないと仰る。これではご都合主義ではないでしょうか。

 自国の国益を最優先にするのは常識以前の常識(p112)、と書いておられます。しかし、国益を最優先させた結果はどうだったのでしょう。多くの国民を死に至らしめ、国土も町も文化も甚だしく傷つきました。周辺諸国に多大の災厄をもたらし、深い恨みをかいました。つまり、目先の小さな国益を追い求めた挙句、本当の国益を大きく損なったのです。

 「二つの国の利益が相反したとき、一方にとっては正義でも、その正義は相手国にとっては正義ではない、ということが起こる。これもまた当然のこと」(p111)とも言っておられます。一体全体、このような考え方で「世界から尊敬される日本」になれるのでしょうか。少なくとも近隣諸国の人々に尊敬されることは絶対にないでしょう。

 目先の小さな国益勘定に目を奪われるのではなく、相手国とも共有できる正義、すなわち、大きな展望で自他の幸福を考える姿勢、「空想的である」(p112)と仰る人類愛、ヒューマニズムの方が、長い目でみてより大きな国益をもたらすに違いないと思います。
 勿論、空想的な理想論でいい、とは言いません。説得力があり世界中の人々の共感を呼べる理念、情報収集力・分析力、広くしっかりと主張し発信し納得させる力、緻密な外交戦略・交渉力などが必要です。残念ながら、どれも今の日本には欠けています。しかし、この努力をする他ありません。逆に、これらが欠けたまま、万一軍事力に頼ろうとするならば、またしても国益を損ない、世界と自国に大きな災厄をもたらすことは間違いないのですから。

 東京裁判について、勝者による敗者の断罪、自己正当化である、事後立法によるものだ、というご主張は、私も同意します。ただ、日本はそれを受け入れたのだから、今更蒸し返しても負け犬の遠吠えでしかありません。また、パール判事については、東京裁判の問題点を指摘したのであって、戦争中に日本がしたことを全面的に擁護し肯定したわけではないと思っています。
 東京裁判の正当性が希薄だったとしても、いや、そう主張するなら尚更のこと、日本人みずからが、一連の侵略、戦争がなぜ行われたか、なぜこのような災厄を作りだしたのか、追求、分析すべきではないでしょうか。しかし、日本人は、それを避けてきました。

 中條さんは、日本の近現代史に禁忌めいたものがある(p16)、と書いておられます。しかし、日本の歴史学における禁忌は、近現代に限らないのではないでしょうか。古代から現代まで、一貫したタヴーが連綿としてある。例えば、天皇陵の比定に関して、現代の研究からすると疑問だらけであるのに、明治時代に平田国学かなにかの流れを汲んで「この陵はどの天皇のもの」と定められたまま、見直される気配はない。頑なに守られている。これは、その陵の本当の主に対して、大変失礼なことではないでしょうか。新たな学問成果を生かし、きちんと調べ直すべきだと思いますが、天皇陵の立ち入り調査は、今も宮内庁が許していません。最新のDNA鑑定技術で遺骨などを調べれば、陵の比定のみならず、諸説紛糾する継体天皇は万世一系のどこに位置するのか、朝鮮王朝との関係、南北朝時代の足利家は係わりがあるのか、などなど、さまざまなことが見えてくるかもしれません。三種の神器についても、出して鑑定調査すれば、いろいろな発見がありそうです。それらによって神話が事実として確認されれば、天皇制の正統性に誰もが納得するのではないでしょうか。

 日本の歴史研究におけるタヴーとは、天皇制に係わることであると思います。中條さんが仰る「日本の近現代史にある禁忌めいたもの」も、本質は天皇制ではないでしょうか。つまり、日本の近現代史を突っ込んで論じようとすれば、天皇の戦争への関与に触れざるを得ず、そのことが禁忌になっているように感じます。

 盧溝橋事件をきっかけに戦線拡大を進めたことが間違いだった、軍部の突出が悪かった、と言っておられます。だとすれば、それを、東京裁判ではなく、日本人自らが追及すべきではないでしょうか。不拡大方針が本当にしっかりとあったのか、あったのならなぜ軍部は大元帥天皇の厳命を無視し「独走しても構わない」と考え得たのか。誰がどのように大元帥天皇に報告したのか。その報告を大元帥天皇はどう聞き、どんな下問をしたのか。命令に逆らって独走した軍責任者を如何に処分すべきか、誰がどう決めたのか。どう処せられたのか。
 人の命を軽んじたニューギニアやインパールなどの杜撰な作戦、また特攻攻撃は、誰がどう立案し、参謀総長や軍令部総長はどのように大元帥天皇に上奏し、どのような下問を受け、いかにして承認されたのか。などなど、これらのことが精緻に分析されるべきです。(『大元帥 昭和天皇』(山田朗著、新日本出版社)によれば、昭和天皇は、敵輸送船の動きなど細かな報告から戦闘の先の展開を的確に予想し、参謀総長、軍令部総長も返答に窮するような鋭い下問をしていたそうです。)
 しかし、こういったことを具体的詳細に分析することは、天皇の戦争関与を云々する事になりかねない。それはタヴーであり、だから近現代史の本格的研究に手がつけられることは、今もって少ないのでありましょう。

 ご講演の要約の中で、もう一点「間違っている」とのご指摘を頂いたのは、「戦死した兵はちっともみじめでなかった」という記述に対してでした。
 頂いたお手紙には、「戦死した人達も、楽しく充実した人生を送りたかったのだが、それをみずから諦め、国家、国民のために立ち上がり戦ったのである」という主旨を述べておられます。ご本でも「戦争と向かい合い、国の安泰を願って命を投げ出し、死んでいった人びとがいる。だが、自分は生き残り、ここにいる。そのことが申し訳なく思えて仕方がない」(p143)と書いておられます。士官学校で学問、訓練に打ち込まれた方の率直なお気持ちだと思います。

 ただ、私の想像する兵士達の最期の気持ちからすると、まだ若干きれいごとのように思えます。兵士達は死を目前にして自分の死に意味を見出すことができたのでしょうか。つまり、今死んでいく自分の死が、国家、国民のためになると本当に思えたのか。勿論、天皇のため、国体のためと、心底信じて亡くなった兵も多いと思います。しかし、自分の死に意味を見いだせないまま、不合理な馬鹿馬鹿しさに憤り、或いは憔悴し、死んでいった兵士の方がずっと多かったのではないでしょうか。

 敗戦後十年もしてから生まれた奴になにが分かるか、と仰るかもしれません。しかし、例えば、特攻専用機「桜花」のパイロットはどうでしょう。突っ込むためだけに設計され、着陸を想定しない機体で命がけの訓練をこなし、母機にぶら下げられて出撃したものの、満足な護衛機もなく、重たい「桜花」を吊るした母機はやっと飛べるだけの有様で、目的地のはるか手前で米軍戦闘機の恰好の餌食にされました。つまり、成り立たない破綻した兵器だったのです。決死の訓練に耐えたにも拘らず、ぶら下げられてなにもできないまま母機もろとも撃墜されていく「桜花」パイロット達は、なにをどう思っていたでしょうか。
 輸送船にすし詰めにされてニューギニア戦線に逐次投入された兵達は、海上で船を沈められ、元々乏しい武器も食料も医薬品も失って、何分の一かがようやく陸に泳ぎつき、ジャングルの沼地を、蛭や毒虫に苛まれつつ数百km歩くことになりました。ひたすら敵を避け、ただ自軍陣地に戻るためだけに…。その過程で、餓えや熱帯の風土病に倒れ、4000mを超える急峻なサラワケット山越えでは転落が続出し、多くが凍死しました。河を渡る時は巨大なイリエワニに襲われた兵もいたに違いありません。おびただしい兵が帰らぬ人となりました。このような極限状況において、戦友が泥にまみれウジを湧かせて死んでいく様を眺めながら、へたりこんで動けない兵は、傍らで順番を待っている自分の死に意味を見出せたでしょうか。
 戦況の悪化に伴い、もはや勝てないことは誰もがうすうす感づいていた。しかし、それを口にできない。だから勝つことではなく、華々しく「見事散ること」が自己目的化していった。「同期の桜」の歌詞のとおりに…。現実から美学に逃避する他なかったのでしょう。しかし、戦争は実に残酷で、戦闘で「見事散ること」さえ許されず、多くの兵は疲労と餓えと病で消耗し、意味も実感できぬまま、ぼろのようにみじめに死んでいったのだと思います。

 中條さんは、東京裁判は連合国側が自分達を正当化するためのもの、と書いておられます。おっしゃるとおりです。しかし、東京裁判で得をしたのは、連合国側だけではありません。日本にもまた、得をした者たちがいるのです。それは、兵や国民に「国体を護持せよ」と自己犠牲を強いてきた連中です。兵や国民に無意味な死を押し付け、他国の民にも災厄をもたらしながら、戦争に負けるや否や、駐留軍に尻尾を振って擦り寄り、その庇護を受け、威光を借りることで、国民を支配する権力を保ち続けました。東條英機らが絞首刑にされた翌日に巣鴨プリズンを釈放され、CIAの手厚い支援を受けて総理大臣になったA級戦犯、岸信介が、その典型でしょう。東條英機はとかげの尻尾と呼ぶには大物過ぎるかもしれません。東條ら下半身を切り捨て責任をしょっかぶせて、駐留米軍に媚を売ることで、支配体制の上半身は、敗戦後も生き延びたのです。少し前まで臣民に米国と戦って死ぬことをあれほど要求しておきながら…。

 昭和天皇は、マッカーサーが上陸するや、その元へ赴き、マッカーサーはじめ国務省政策顧問ダレスらの元へ繰り返し何度も通っています。帝国陸海軍に替えて、駐留米軍によって国体を守ろうとしたのです。ちょうど、平家から源氏に乗り換えたように…。戦争中は、国体を守るために米軍と戦って死ぬことを兵に要求したのに、負けたとたん、今度は米軍に擦り寄って国体を守ってもらう。一体全体、何のために兵達も国民も死なねばならなかったのか。これでは、兵達への裏切りではないでしょうか。

 ダレスは、「日本に望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利」を目論んでいました。ダレス自身がそんな虫のいいことは無理だろうと思っていたにも拘らず、日本は「基地の自発的オファ」を行い、それを実現させます。つまり、場所も期間も規模も限定しないまま、国土を外国軍に「好きなだけ、好きなところにどうぞ」と差し出したのです。さらには「思いやり」予算まで提供する。おかげで在日基地は、米国にとって、世界で最も、国内の基地よりもっと安上がりなものになっているそうです。昭和天皇の「沖縄メッセージ」は、今に続く戦後沖縄の苦しみを生み出しました。日本は、米軍のネットワーク下でなければ機能しない米国製ハイテク兵器を今も血税で買い続けていますし、自衛隊の若者を米国の戦争へ下働きに派遣するようにもなりました。国土を差し出し、金を貢ぎ、若者の命まで差し出す。売国も売国、これ以上売国的なあり方があるのでしょうか。
 日本においては、保守、右よりを自認するする人の多くが実は売国的である、という奇妙な状況が、敗戦後一貫して続いています。憲法9条を書き換えて、戦争のできる普通の(=凡俗な)国にしようというのも、自衛隊を手足として使いたい米国の一部の意向におもねるものだと思います。

 売国の対極は愛国です。私は、国家よりも人を愛したいと思うので、自分が愛国的であると主張したいとは思いません。しかし、日本の風土や文化はかけがえのない大切なものだと考えますし、私がくつろぎ落ち着けるのは、日本の文化です。

 中條さんも、日本の美しい豊かな自然を称え、八百万の神々に感謝しておられます。

 「まぶしい日の光を感じたとき、緑の木々を吹き抜ける風に包まれたとき、何とはなしにありがたい気持ちになり、畏れ慎むような心に染まって、思わず手を合わせて拝んでしまう」(p208)
 「身の回りのすべてに神を感じる日本人にとって、神は八百万」(p200)
 ところが、明治以降の日本は、自然を壊し、八百万の神々を踏みにじってきたのではないでしょうか。端的には、他ならぬこのたびの東京電力原発災害です。子供たちや若いお母さんたちをも被爆させ、放射性物質を垂れ流し、拡散し、大地と空と海を汚しています。世界の人々の共通の宝物である海と空気を汚染していることは、日本人として恥ずかしくてなりません。原発に限らず、日本は、経済利潤のため、自然を破壊し、環境を汚染し、公害で人びとを苦しめてきました。日本の産業界が、自然を畏れ、八百万の神々を敬ってきたとはとても思えません。産業界におられたお一人として、中條さんは、このようなこと、今は特に原子力発電について、どうお考えになっておられるでしょうか。

 また、明治天皇が文明開化の行き過ぎた西洋かぶれを日本古来の美風に立ち戻らせた(p202)、とも書いておられます。
 しかし一方で、明治の廃仏毀釈の暴力は、仏教のみならず、八百万の神々にも容赦なく振り下ろされました。村の人々の暮らしに溶け込み、親しく祭られてきた八百万の神々が、土俗的因習的で近代国家にふさわしくないという理由で、取り出され打ち捨てられ、その替わりに鏡などを依り代として中央集権国家にふさわしい神に置き換えられました。明治政府は、組織的、暴力的に日本古来伝統の八百万の神々の多くを破壊したのです。このことはどうお感じになりますか。

 そして、神社本庁は、今もなおその流れの中にいるのかもしれません。山口県の瀬戸内の上関町に中国電力が原子力発電所を建設する計画を進めていますが、一号機の炉心建設予定地周辺は、正八幡宮という神社の社有地でした。ところが、宮司さんが社有地売却に反対したため、神社本庁はこれを解任、別の宮司を送り込み、瀬戸内海国立公園の美しい浦を原発建設用地として中国電力に売却しました。現在も住民の根強い反対運動が続いています。明治以降の神道は、民や美しい自然や八百万の神々の側ではなく、国家や経済界の利潤の側に立っているのではないか、と思わざるを得ません。

 中條さんは、今の若者は、「自分さえよければ」という風潮がつよい(p44)、と嘆いておられます。確かに一部にそういう若者もいるでしょう。若者の犯罪にも憂いておられますが、法務省の白書によれば、少年の凶悪犯罪の件数は、人々の印象とは裏腹に、戦後の全体的傾向として減少しているそうです。また、自然環境や貧困問題や福祉や平和のために頑張っている若者も大勢います。逆に私には、若者よりも、政治家や経済界やマスコミなどの大人達の方が、余程自分達の都合ばかりではないか、と思えます。今、若者たちは、経営効率優先のため、維持費のかからぬ安価な非正規労働力として使い捨てにされています。原発の現場では、短期契約で送り込まれた労働者が、被爆しつつ作業し、法定許容限度に至ると(時にはそれを超えると)仕事を打ち切られます。このような経済界のやり方を、中條さんは、経済人としてどのようにお考えになっていますか。

 中條さんのご本を読んで、大変違和感を感じたのは、中條さんの仰るところの公は、ほとんど国家でしかない、という点です。
    「国家という公に尽くす使命感、公に身を捧げる心構え」(p67)
    「自国の公のために身を捧げるという心棒をしっかり備えていること」(p148)

 しかし、その一方で、「一方の国の正義が、相手国にとっては正義でない、ということがある。これもまた当然」(p111)とも書いておられました。これでは、中條さんの仰る公とは、一面的、相対的なものにならざるを得ないのではないでしょうか。本来の公とは、もっと普遍的なものである筈です。敵だ味方だと色分けして、国益などという損得勘定に走るのではなく、人類全体のためを考えることこそ、真の公であり、そのために働いてこそ、真に世界の敬愛が寄せられるのではないかと思います。

 中條さんは、また、浅間山荘事件で二人の警官が、「社会秩序を守るという使命感に燃えて、公に身命を賭し、殉じた」(p146)とも書いておられます。つまり、公を社会秩序としても捉えておられる。しかし、事はそれほど簡単ではありません。「国のため」と「秩序の維持」は、しばしば対立します。『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』という映画を観て驚いたのですが、彼らのスローガンのひとつは「反米愛国」だったそうです。既成体制の秩序を砕こうとした彼らは、少なくとも彼らの主観においては、愛国者でもあったのです。銃の手入れが悪い兵士(仲間)を「人民から預かっている銃をなんと思ってるんだ」と叱責するシーンもありました。連合赤軍も帝国陸軍もメンタリティはそっくり共通して日本的だと感じ、ぞっとしました。
 「テロリストの主観など相手にしない」と言われるでしょうか。では、幕末の志士達はどうでしょう。間違いなく幕藩体制秩序の破壊者です。ならば彼らは公の敵か。チュニジアやエジプトで長期政権を倒した若者達はどうでしょう。1989年5月から6月にかけて北京天安門広場に集まった若者達は? 五一五、二二六事件は? 伊藤博文を暗殺した安重根は、韓国の公に殉じたのか、テロリストか。(ついでながら、安重根は、伊藤博文殺害の15の理由の14番目に、伊藤が明治天皇の父孝明天皇を暗殺したと主張しています。「現日本皇帝ノ御父君ニ当ラセラル御方ヲ伊藤サンガ失イマシタ。ソノ事ハミナ韓国民ガ知ッテオリマス。」もしこれが本当なら、伊藤は大逆罪で断罪されるべきか、それとも国のためによく天皇をも暗殺したと評価すべきなのか。)

 上に挙げた様々な例のように、公のために尽くしたか、社会秩序を破壊したのか、客観的分類は困難です。特に、事件がまだ生々しい間は…。上記の諸々をどう評価するか、人によってばらばらでしょう。ただ自分の気に入る行動を「公に殉じた」と呼び、そうでないものを「秩序破壊」と呼ぶに過ぎません。このように、中條さんの仰る公は、突き詰めて考えれば、相対的、主観的と言わざるを得ないのではないかと思います。

 では、相対的、主観的でない公とは、どういうものでしょうか…。
 時代や民族、国家に左右されない普遍的な公でなければなりません。誰もが平等に尊重され、尊重しあう社会が公ではないか、と私は思います。空想的な理想論だとお感じでしょうか。しかし、空想的理想論だとしても、それを想定し、それに近づく努力を重ねていくことが、公に尽くすことだと思います。個人が国家に無批判盲目的に尽くすのは、本当の公ではありません。誰もが平等に尊重され尊重しあう世界に近づくべく努力する。もしも日本がそういう努力を実直に続ける国になれたら、世界中の人びとの敬愛を受けることができるでしょう。

 安重根のような他国に支配された状況では、「国のため」と「秩序の維持」が往々にして対立することは、明白です。外国駐留軍のジェット戦闘機の爆音や犯罪に苦しめられ、小さな女の子まで暴行される事態に対して声を挙げようとする人達に、「秩序を守れ」と我慢を強いることは、公とはなり得ない。沖縄ばかりではありません。日本もまた、戦後の7年間に限らず、現在もずっと一貫して巧妙な間接統治によって米国政府のコントロール下にあるのではないでしょうか。日本が真の公のために働き、世界中の人々のために働くためには、この米国コントロール下の秩序体制をリフォームし、脱却せねばなりません。しかるに、現在日本の右寄りを自称する方々の間には、おしなべて米国政府の間接支配を内側から補強せんとする傾向がみられるのが、不思議です。今の日本以外では、通常、外国の支配に協力する言動は、売国的と形容されます。

 秩序維持は公ではない、真の公のためには現状をリフォームすべきだ、と書きました。しかし、勿論それは、暴力的な変革を主張しているのではありません。
 自分では普遍的なつもりの公も、はじめは、相対的主観的なレベルからスタートします。それを真に普遍的な公に近づけていくのは、議論です。ちょうど中條さんと私のこのやり取りのように、議論を突き詰めていくことで、一歩一歩普遍的な公に近づくことができる。だから、異なる意見を尊重し、自由に発言し、互いに耳を傾け、批判し、学びあうことが、非常に重要です。

 中條さんは、陸軍士官学校の欠点として、外部から遮断された閉鎖社会で、たくさんの情報からあれこれと選択し自分の頭で考え判断する余地が限られ、冷静に状況を見極め判断する力を奪ってしまう(p71)、と述べておられます。これは、陸士だけのことではなく、戦争の際や戦争に向かう際いつでもどこでも現れる状況だと思います。戦争は、人びとの考え方をひとつの型に嵌めなければ継続できません。自分で考える人間は、排除されます。異なる意見が互いに尊重しあり、批判しあい、学びあうことなど、けっして許さない。普遍的な公の追求から最も遠いのが戦争です。戦争は、相対的主観的でしかあり得ない。「自由のための戦争」、「民主主義のための戦争」など、本当は形容矛盾でしかありません。美化、正当化して人を騙す詭弁です。

 ですから逆に、自分で考え、畏れずに勇気をもって発言して他からの批判に曝し、学び議論して考えを深めることこそが、戦争を予防する方法です。すなわち、普遍的公を追及することです。

 そう考える故に、中條さんが以下のように言っておられるのは、私にはまったく理解できません。

 「戦争は、人類の敵であり、…起してはならない。…しかし、現実に戦争は起こる。…だからこそ公のために身を捧げる行為は平和を守るために尊ばれなければならない。公に己を捧げる使命感こそが戦争という愚行を防ぐ」(p66)
 ここで「だからこそ」と仰る論理が判りません。これに続けて、「陸士で教えられたものは、詰まるところ、国家という公に尽くす使命感、公に身を捧げる心構え」(p67)と書いておられます。中條さんが言っておられる公は、ここでも国家だと読めます。先に触れたとおり、中條さんの仰る正義は、国によって異なる相対的なものでした(p111)。であれば、国家という公もまた、相対的なものでしかありえないのではないでしょうか。すねわち、それぞれの国が自国のためを要求する利己的相対的な公でしかありません。

 そのような公は、逆に、戦争を引き起こすのではないでしょうか。例えば、二つの国の国民が、それぞれに「我国固有の領土」を、それぞれの国益として主観的に冷静さを欠いて主張しあうことによって、戦争が起こる。(因みに、先に挙げた『日本の国境問題』には、北方領土や尖閣に仕掛けられた罠に日本が見事に嵌っていることも述べられています。著者、孫崎享氏は、外務省のインテリジェンス畑の出身で防衛大学校元教授。)
 中條さんの歴史観からすれば、日本はロシアの脅威に対処するという自国の一面的公(=国益=相対的正義)のために朝鮮半島、中国大陸に侵攻した、ということになると思います。そして、それが戦争になったのではないでしょうか。自国の公、主観的相対的公への盲目的献身が戦争を引き起こす、という実例ではありませんか。

 もう一箇所、引用させて下さい。

 「戦争はなぜ起こるのかといえば、人間が愚かだからにほかならない。だが、その愚かさに負けてしまっては、もっともっと不幸な人が増える。人間の愚かさを少しでも克服するには、身を捧げて国を守り、国民を守ることが絶対に必要なのだ。そのことによって、人間の愚かさが招く不幸は最小限に食い止められ、その愚かさを克服して獲得した懸命さを次の世代に引き継ぐことができるのだ。」(p145)
 これを読むと、愚かなのは外国だけで、戦争を起すのはいつも外国、日本は賢明で戦争を起したりはせず、愚かな外国の仕掛ける戦争を受けて立つだけ、と考えておられるように読めます。だとすれば、明治、大正、昭和の間、次々と続いた戦争で、どの国の愚かさが戦争を引き起こしたのでしょう。日本の愚かさは、盧溝橋事件を発端とする軍部の独走だけで、朝鮮や満州への侵攻は、冷静に国益を損得計算した賢明な行動だったのでしょうか。今後、日本が愚かにも戦争にむけて歩むことはないのでしょうか。国ごとに相矛盾する正義の中で、日本の正義だけはいつも正しいのでしょうか。

 日本国民は、今も愚かにもしばしば冷静さを欠いた短絡的反応をして、戦争の危険を高めていると感じます。勿論、日本だけではなく、外国も同様です。それぞれが感情的反応をして互いに憎悪を高めあい、そこになにかきっかけがあれば、すぐに戦争になりかねない。

 人間は、国籍、民族を問わず、そもそも暴走しやすい感情的動物です。だからこそ、国益や国家といった主観的相対的な公を声高に叫ぶのではなく、互いに尊重しあい、学びあい、広い視野で普遍的な公を目指す癖を、自分達につけていく他はないと考えます。日本は、その主導的立場に立ち努力すべきであり、それができれば世界中の人びとから敬愛されることになると思います。それこそが安全保障にもつながり、大きな真の国益になると信じます。

 長々と書きました。失礼な物言いも致しましたが、論点を際立たせるためとご理解、ご寛恕下さいませ。
 もしまたご意見お聞かせ頂ければ、幸甚です。
                                   敬具
中條高コ様
     2011年6月16日                  曽我逸郎
 

ご意見お聞かせください。
2011年6月16日 曽我逸郎

小論集リストへ戻る  ホームページへ戻る  意見を送る soga@dia.janis.or.jp